「最低ね」

 自分も父親も全て。

 私は使用人の手を振り払うと、部屋を飛び出した。

 すれ違う使用人たちのあわれむようなその瞳から逃れるために、フードを深くかぶると足早に外へ出て街を歩く。

 打ちつける春の雨はどこまでも強く、冷たい。
 それでも傘すら持たない私を気遣う者など、ここには誰もいなかった。

 もっとも、最初からそんな人なんていなかった気もする。

 どうしてこんな風になったのかしら。
 どこで私は選択を間違えてしまったんだろう。

 子どもの頃?
 父の仕事を手伝わされるようになった頃?

 それともあの男爵家に嫁げと言われた時かな。

 いくらだって、父に反抗するタイミングはあった。
 でも出来なかった。
 そんなのことをすれば、どうなるかなんて目に見えていたから。

 あの人は、身内にも使用人にも容赦はない。
 自分に逆らう人間には、酷かったもの。

「でも……こんな時になって好きにしろだなんて。ホント、勝手な人ね」

 私はさしかかった橋の上で、立ち止まる。

 揺れる水面に顔は写らないものの、見える手などにまでバラ様のあざが広がっているのが分かる。
 
 昨日お風呂に入った時には、もう背中の方にまであざが広がっていたっけ。

 あと数日もすれば、あざになったところが痛み出す。
 そうすればもう、ただ苦しみながら死を待つしかない。

 あの家に戻っても、私を看病してくれる人はいない。
 動けなくなったら、食事すら出来ないというのに。

 それを好きにしろだなんて。

「最初で最後の選択が、これだなんて。最低すぎるわね」

 私はやっとの思いで橋の欄干(らんかん)に上る。

 ああホント、最低な人生だったわ。
 何一つ思い通りにもならなくて、こんなの私の人生って言えるのかしら。

 神様なんているとは信じたこともないけど、でも最後だもの。
 少しくらい恨んだっていいわよね。

 最低な人生を用意してくれてありがとう。
 おかげで最後だけは自分で決めれたわ。

 だからもし次があるのなら、絶対に許さない。

 こんな世界なんて、大嫌いよ。
 最低な人生さん、さようなら。  

 不思議と体から力を抜くと、笑いがこみあげてくる。

「ふふふ」

 そう言葉にしたあと、涙がこぼれ落ちる。
 遠くで誰かの叫ぶ声と、手を伸ばしながら走ってくる影を見た気がした。

 しかし宙に浮いた体はそのまま、冷たく深い川の底に落ちて行った。