さよならMs.Dan 〜職権濫用教師と受験生の1年戦争〜

さわらび中学校は、中途半端な田舎にある、実に平和な公立学校。

少年鑑別所の真向かいという立地のせいもあるのだろう。

真面目な生徒たちに、厳しい教師たち。

教師らが上から押さえつけ、生徒たちは内申点の為に、我慢して従っている。

しかし、問題はそれだけではない様子。


【4月】

まだ、新しいクラスメイトと打ち解けきれていない3年生たちは、無邪気な顔をしつつも、受験という地獄を控えて、成績の近い相手を密かにライバル視している。

荒井月菜も、そんなごく普通の生徒の一人。


土俵入りの如くドスドスと、最近、月菜を悩ませる原因の一つである“彼女”は3年3組の教室にやってきた。

「Stand up!」

粗雑にドアが開けられ、檀先生が入ってくるや否や、日直の号令が教室に響く。

「Good morning!Everyone」

不気味な笑顔を浮かべながら、英語教師である檀孝子は言い、

「Good morning⋯⋯ミ⋯⋯Ms.Dan」

いつも、このMs.の手前で、生徒たちの声は、束の間バラつく。


檀先生は、月菜が1年生の頃から英語担当だが、彼女の独特な風貌は、当時まだ中学生になったばかりの生徒たちを困惑させた。

肌に艶はなく、髪はいつ見ても爆発。

体型も中年太りだが、よく見ると顔立ちは幼い。

しかし、若々しさは欠片ほどもない。

普段は化粧っけがなく、式典の日だけ、子供の落書きのようなメイクをしている。

「檀先生って、いくつなんだろね」

「親世代じゃない?最低でも40は過ぎてそう」

「でも、未婚だって聞いたよ。あと、本人は20代だって言ってた」

「えー!?いくらなんでも20代はないでしょ!うちの60代のおばあちゃんよりオバサン臭いのに」

生徒たちは好き勝手なことを言っていた。

初めての英語の授業にて、檀先生は、

「私のことは、Ms.Danと呼んでもらいます」

そう言っていた。

生徒たちは、檀先生に自分たちと同年代の子持ちか、オールドミスかのどちらかと思い込んでいた為、

(ミスでもミセスでもない、好都合な敬称があるもんだね⋯⋯)

内心、そう思っていた。


今の時代、男女や年齢で分けるような敬称はやめましょう、という風潮があり、40、50を過ぎて未婚であろうと、他人がとやかく言うことではない。

しかし、多様性、インクルーシブ、ダイバーシティなどといった言葉どれほどが叫ばれようと、田舎ではそんなことはお構いなしだ。

美人の独身主義者がうじゃうじゃ居る都会とは違い、たとえどんなに不細工であろうと、40を過ぎた未婚女性というのは、田舎の場合は滅多にいない。

ましてや、教師のようなお堅い仕事に就いている場合、なおのことである。


月菜は、もともと悩みを抱えやすいタイプではあったが、最近はますます悩みが増えている。

ブラスバンド部員たちの不仲、第一志望の高校に入れないかもしれないという不安、母親の妊娠。

そして、休み時間の今、視線の先には、男関係の派手さが学校一の亀山麻樹が、幼馴染の木村蒼真に対して、フラーティングの真っ最中。

蒼真も、満更でもない顔をしているから、月菜はますますブルーになる。

「どうした?生理?」

無遠慮すぎる言葉に振り返ると、フランス人形のような顔をした――実際にフランス人の母を持つ――親友の町田エルザが隣に立っていた。

「違うよ。なんていうか、色々と悩む時期じゃない?」

「そう?私は何も悩んでないけどな」

エルザは、かなりのマイペースなので、月菜のように思春期特有の不安定さというものとは無縁の様子。

「ねぇ⋯⋯亀山さんって、最近やけに蒼真くんと仲がいいみたいだけど、エルザはどう思う?」

月菜がぼやき、

「なるほど。それが原因で悩んでたのか」

「え!?いやいや!それだけじゃなくて⋯⋯」

「亀山でしょ?可愛くないし、何も心配する必要ない」

「そりゃ、エルザよりも可愛い子は居ないからそう思うんじゃない?」

「亀は男好きだからね。好きだと言われたら好きになるような男子はその気になるんでしょ。でも、あの顔に一目惚れする奴はまず居ない。月菜のほうが100倍可愛い。まさに月とすっぽんだから大丈夫って言ってるの」

「誰がそんなうまいことを言えと⋯⋯!でも、ありがとう」



移動教室で、月菜とエルザが廊下を歩いていると、向こう側からは、まだ若くてルックスもよく、生徒たちに人気の理科教師、森友先生が歩いてきた。

「こんちわぁ」

「おう」

すれ違いざま、エルザと森友先生はハイタッチし、そのまま通り過ぎた。

「エルザ、相変わらず森友先生と仲いいね」

「私が無線部最後の一人だからでしょ」

エルザは、アマチュア無線部のたった一人の部員で、彼女が卒業したら廃部となる。

森友先生はアマチュア無線部の顧問。

先生自身、昔から無線オタクで、廃部になることを残念に思っているという。

「部員一人って、最初は淋しそうだと思ったけど、実際は気楽みたいでいいなぁ」

そう言って、月菜はため息をつく。

月菜の所属するブラスバンド部は、とにかく部員同士の仲が悪い。

特に、3年になってからは、常に誰かと誰かが衝突しており、辟易していた。


月菜は、一人っ子として育ち、甘えん坊なところがある。

ゆえに、母親から突然妊娠を告げられた時は、全く嬉しいと思えないどころか、かなりショックだった。

自分は心が狭いのではないか?

そう思い、人知れず悩んだ。


そのように、いろんなことで悩む月菜には、もう一つ気がかかりなことがある。

月菜は、優等生というわけではないものの、5科目のうち、英語のテストだけは、この3年間、常に満点をとり続けてきた。

それにも関わらず、通信簿は常に4で、5がついたことが一度もないのだ。

他にも点数のいい子がいるのかと思ったが、順位を貼り出される際に、常に満点なのは、月菜とエルザだけしかいない。

しかも、エルザまで英語の成績は4だというのだ。

(あんな奇妙な噂、いくらなんでもないと思ってたけど、まさか本当に⋯⋯?)

その噂とは、檀先生にはお気に入りの男子生徒が何人か居て、そのお気に入りと親しい女子に対しては、職権濫用で嫌がらせをしているというもの。

彼女の“お気に入り”の中に、蒼真も入っており、

「月菜も、檀先生のターゲットにされてるって噂だよ」

去年のクラスメイトからそう言われたことがある。

月菜と蒼真は幼馴染で、かなり親しいのは事実だが、付き合っているというわけではない。

だからこそ、月菜としてはライバルになりそうな相手にモヤモヤするのに、自分が檀先生の嫌がらせ対象だとしたら、踏んだり蹴ったりである。


放課後、なんだか家に帰りたくなくて、一人で公園のブランコを揺らしていると、

「月ちゃん、どうした?」

蒼真が声をかけてきた。

「蒼真くん。いま帰り?」

「ああ。もう遅いのに、一人でこんなところにいたら危ないじゃん」

「だって、今の私、どこにも居場所がないんだもの」

「話なら聞くよ」

そう言って、蒼真は隣のブランコに腰掛けた。


月菜は、諸々の悩みを打ち明け、蒼真はそれを親身になって聞いてくれたが、

「最近、やけに亀山さんと親しいのね」

だとか、

「檀先生のお気に入りなんだって?」

ということだけは、口が裂けても言えやしない。


「なるほどね、わかるよ。でも、悩まない受験生なんていないんじゃないか?」

「エルザは何も悩んでないって。それに、受験のことだけじゃないの」

「家族の問題もなぁ⋯⋯俺のところも、兄ちゃんが大学やめるのなんのって、家庭内は毎日大荒れだよ」

「え?早大に合格したって、お赤飯炊いてお祝いしてたばっかりなのに」

早大とは、東京にある有名私立、早蕨大学のこと。

「その早大が、案外チャラチャラした学生が多くてさ。兄ちゃんも、上京して、浮かれて、流されたのかなぁ。俺は同じ轍を踏みたくないから、堅実コースを目指すつもり」

月菜は、蒼真の志望校を知らない。

聞いてしまったら、同じ学校に行きたい⋯⋯!などと思ってしまう気がするから。

しかし、蒼真は理系。

月菜は音大に進学したいので、志望校は音楽科のある高校に限られる。

「そんな暗い顔するなよ。元気出せって」

頭をくしゃっと撫でられ、月菜は内心、

(悩みのひとつは、あなたのことなんですが!?)

鈍感すぎる蒼真に、少し苛立った。

苛立っても、憎めない。

(これが惚れた弱味ってやつなのかしら⋯⋯?)

大きなため息をつく。

「もう遅いから、帰ろう。家まで送るよ」

「うん」


to be continued