「痛てぇっ!」

俺は思わず声を上げた。

「生徒会の会議の資料作りに
少し時間がかかりそうだから
ちょっと待っててって
そう伝えようとしたんだけど」

そう言って皇が小さくため息を吐いた。

「じゃあ、俺、帰るわ。
邪魔したら悪いし」

さようなら〜と、思い切り手を降って
その場から逃げようとした俺の襟首を
皇がむんずと掴む。

「帰るな! ちょっとだけ待ってて。
すぐに終わるから」

少し拗ねたような口調でそう言って
俺を自分の執務室に連行する。

◇◇◇

うちの学園は超金持ち校である。
名うての資産家や、大企業の社長の令息、令嬢が
わんさと集う。

特に皇愁夜はうちの学園でも群を抜いた存在で、
学園への寄付額がエグい。

恐らくそういうことが、鑑みられて
皇は学園内に『執務室』と称する
個室を宛がわれている。

オーク材で作られた重厚な本棚に、仕事机、
その横には見事な白薔薇が生けられて……って
あっ、これか。

俺は手の中にある薔薇と見比べた。

いずれにせよ、どこのホテルのラウンジよ?
もしくは、どこの企業の社長室? 
って感じの部屋である。

皇は机の上のパソコンで、
会議の資料を作っているし、

俺は勧められるままに、
その前にある応接スペースの
革張りのソファーに座って、
ぼんやりとその光景を見ているだけ。

特に会話らしい会話もなく、
なんともいえない重い時間が過ぎていく。

居心地が悪いのは俺だけではないようで、
時折、皇がこちらをチラ見しては、
なんか赤面している。

「藤堂様、
愁夜様専用スマホのご用意ができております」

俺達の微妙な空気を気遣ったのであろう、
皇家の執事が
俺の前にスマホを差し出した。

いらねぇしっ!

俺は心の底からそう思った。

とはいえ、今朝の取引の件がある。
無下にもできない。

「はあ、どうも」

俺は死んだ魚の眼差しでそれを受け取った。

「Nero Claudiusの第五世代……」

品名を見て、俺はちょっと泣きそうになった。

そもそもNeroシリーズは
皇んとこの企業系列で生み出された製品で、
中でも『Claudius』シリーズというのは
ちょっとしたいわくがある。

「これ、お前んとこの会社の役員に配布されている
『パワハラ専用機』じゃん」

俺の言葉に、
皇の額にピキッと怒りの青筋が立った。

「失礼な事を言うな! 
うちはホワイトだ」

皇が怒りながら、
パソコンのキーボードを叩いている。

「絶対に着信拒否できない仕様だとか、
遠隔でしか電源が落とせないとか、
色々聞くぞ?
何がなんでも着信に出ないと
エライことになるらしいな」

俺の言葉に、
皇の怒りのボルテージが更に上がった。

「だから、妙な憶測をするなとさっきも言っただろう?
ただの……スマホだよ」

そう言葉を紡ぐ皇の言葉の端々に、
怒りとイライラが滲んでいる。

なあ、皇よ。
お前、絶対に俺のことキライだろ?

俺には幼少期から、そんな確信がある。

まあ、もっともこいつに嫌われるように
わざと仕向けた部分もあるし、

そうでない部分は、
もともとの相性が悪いのであろう。

なんしか、会えばいっつもケンカ、
平穏に一日を終えた試しがない。

そういや、こいつって初対面で俺のこと
ブスって言いやがったんだよな。

そのあと俺がこいつのことをぶん殴って、
それでこの婚約はチャラだと
そう高を括っていたんだけど、

今もまだこいつとの婚約は継続中だ。

な〜んでこいつは、
俺との婚約を解消しねぇんだろ?

俺んち、つまり藤堂家が
格上の皇家に固執するのは理解できる。

だけどこいつん家なんて、
俺のことをわざわざ相手にしなくても、

相手は掃いて捨てるほどいるだろうにな。

「プッ……プライベートなものは……
情報漏洩が怖いから
セキュリティーがちょっと
特別仕様なだけの……」

なぜだか皇はゴニョゴニョ言いながら、
耳まで真っ赤になっている。

なんだ?

「やっぱりパワハラ専用機じゃねぇか!」

俺はジト目で皇を睨んだ。

「伝わらないなぁ……君相手だと」

皇はがっくりと肩を落とした。
そして3秒ほど項垂れたあと、

すっと息を吸って、
顔を上げた。

帝王の表情である。

「よし分かった。
君がそこまで電話を嫌がるというのなら、
今すぐ婚約の効力を発生させて、
速攻で皇家に行儀見習いに入ってもらうから!」

皇は懐から紙切れを取り出して、
ヒラヒラさせる。

「さーせんでした!」

俺は皇の前に三つ指をついて詫びる。

ああ、くそっ! 
てめぇ覚えとけよ!

そんな毒をそこはかとなく孕みながら。

◇◇◇

「分かれば……よろしい」

僕は帝王の仮面をつけて
勝利の微笑を浮かべる。

ああ、もう!
空気が薄いっ!

窓を全開にしているけど、
それでも薄いっ!

僕はそう言って
胸を掻きむしりたいような衝動に駆られる。

君と一緒にいたいくせに
そのくせ、そうなると
いつもいっぱいいっぱいになってしまって
気の利いたことの一つも言えない。

挙げ句パニクって、君を怒らせてしまうか、
帝王の仮面を被って誤魔化すかの二択になってしまう。

僕は大好きな君と一緒にいるときの僕が
大嫌いだ。

もうたまらなく情けないよね。

言い訳なのかもしれないけど、
君以外の他の誰かといるときは
もうちょっとマシなヤツなんだよ。

これは自分でもひどいなと思う。

専用のメンターに通うか?

10年前からけっこう真剣に悩んでいる。

切実に悩む僕の前で、君のお腹が切なく鳴った。

目を上げると、君がちょっと涙目になっている。

「す〜め〜ら〜ぎ〜、腹減った〜」

良家の令嬢でありながら、
なんの屈託もなく僕にそう告げる君に、
思わず笑みが溢れた。

それはいつものような作り笑いではなく、
僕の心からの笑みだった。

自分の中のそんな感情に気がつくとき、
やっぱり僕はちょっと泣きそうになる。

これは僕のわがままなのだろう。

それでも今、このとき、
もう少しだけ君と一緒にいたいのだと、
僕は狂おしいほどに思ってしまう。

「この俺様を待たせるからにはなぁ〜、
帰りにハンバーガー奢れ〜!」

そう言って君が
ソファーの上で手足をばたつかせている。

「別に……いいけど」

泣き出したいほどの恋心を隠して、
僕はそっけなく君にこたえる。