「そうなのかもしれない。
最近、君の『ぶち殺す♡』が
脳内で勝手に『愛してる♡』」に
変換されちゃってさ」

そう話す皇の眼差しがちょっと虚ろだ。
本当に大丈夫か? お前。

「そうかよ。そりゃあ学校に来るより、
脳外科に行ったほうがいいんじゃねぇ?」

真剣にそう思う。

「本当にねぇ……。それより君のほうこそ大丈夫?
今日がなんの日なのか、ちゃんと覚えている?」

そう問われて、俺は目を泳がせる。

「あっ……ああ〜。
なんの日だったかな? 仏滅? だったかな?」

なんとか笑顔を取り繕おうとするのだが、
時折ピクピクと表情筋が引きつるのを感じた。

「いいや、もちろん大安だよ」

皇は制服の内ポケットから紙切れを取り出して、
俺の頬をペチペチした。

「僕と君との……。
よもや忘れたとは言わせないよ」

微笑む皇に、
そこはかとない圧を感じながら

「なっ……何のことだっけ〜?」

俺は尚も白を切り通す。

一方で皇の持っている紙切れを
奪おうと必死に手を伸ばすが、
ことごとく躱されてしまう。

あれ、多分、あの日交わした
婚約の証書だ。

くそっ!

「とぼけても無駄だよ。
この国は法治国家だ。
皇と藤堂の両家が弁護士を交えて
正式に書面で交わした婚約を
そんな小手先の浅知恵で回避できるとでも?」

俺は皇の言葉に口を噤んだ。

ぐうの音も出ねぇ。

「ちょうど10年前の今日、僕達は出会った。
感慨深いよねぇ。
そういうわけであの時交わした契約が
ちょうど今日から効力を発するわけなのですけど?」

皇の言葉に俺は必死に頭を回転させる。

なんとしても……時間を稼がねば。

っていうか、俺、何がなんでも
こいつと婚約するわけにはいかねぇんだよ!

何せ、俺、悪役令嬢だからな?

婚約したところでヒロインが現れて
婚約破棄されちまう運命だからな。

くそっ! 何か考えろ。

できるだけこいつとの婚約を遅らせる方法を。

そして俺ではなく、
どうかヒロインとよろしくやってくれ!

「おっ、お前はそれでいいのかよ?
親に結婚相手を決められて、
すっ……好きでもない相手と……
無理やり……結婚させられて」

苦し紛れに発した俺の言葉に、
皇がわかりやすく固まった。

「き……君には誰か僕の他に
すっ……好きな人がいるとでもいうのか?」

その言葉に今度は俺がエグられる。

ええ、ええ
どうせ俺はあなたと違って
モテませんよ、前世から。

なんならあなたのお好きなヒロイン
高山葉月にガチ恋してましたよ!

最終巻でてめぇと結ばれ、
幸せになる高山葉月にほっとしつつ、

俺は貴様にどれだけ嫉妬したかっつうの!

ああ、俺、どうして藤堂椿なんかに
転生しちゃったかな。

むしろ俺は、皇愁夜、
貴様に転生したかったァァァァァァ!

もしくはモブでもいいから、
高山葉月の友人のひとりにでも……。

「そ……そんなんじゃねぇし。
けど俺だって……」

ふと視線を窓の外にやると、
ちょうど中庭で一人の男子生徒が
意中の人に告白しているらしかった。

真剣な表情で何かを言われた女生徒は、
次の瞬間真っ赤になって、
それでも幸せそうに男子生徒に微笑んだ。

どうやらOKしたらしい。

「俺だって……
家とかそんなの関係なく、
ちゃんと恋をして……
両思いになって……
付き合って……
っていうプロセスを
踏んでみたかったっていうか……」

そう言って俺はしょんぼりと肩を落とした。

ああクソ! 笑いたきゃ笑えよ。
こんな悪役令嬢な俺だってな、
恋に恋してたんだよ!
悪いかよ! チクショー!

「そ……そうなんだ。
ごめん。僕も君の気持ちを考えず、
ちょっと急ぎすぎたところがある」

いきなり皇が愁傷気な声を出したので
ちょっとびっくりした。

「べっ別に……
お前に謝られる筋合いはないっていうか……
お前と付き合うわけじゃねぇし」

そう言った俺の手を、
皇がそっと包みこんだ。

「いや、藤堂椿、僕達付き合おう!
そうと決まれば速攻だ!」

なんだか皇の目がギラギラしている。
ちょっと怖い。

「はぁ? 落ち着け、バカ!
そもそも俺とお前じゃ、
『素敵なおつきあい』じゃなくて
『仁義なきどつきあい』に
なっちまうだろうがっ!」

俺の言葉に皇が吹き出した。

「それも含めて僕たちなんだと思うよ?
どう素敵なラブコメになりそうだと思うけど」

皇はまだクスクス笑っている。

「冗談キツイぜ。却下!
何が悲しくてお前なんかと」

俺はてんで話にならないといった体で
ひらひらと手を降った。

「僕と付き合ったら、
正式な婚約までの期間を
もう少し延長してあげてもいいよ」

その言葉に俺は身体の動きをピタリと止めた。

「なんですと?」

そう言ってくるりと振り返った瞬間

「隙あり!」

俺は手首を掴まれて、皇に抱きすくめられる。

「なっ!」

あまりのことに、腕の中で固まっている俺の耳元に

「その期間内に藤堂椿、
絶対に君を落としてみせる。
だから覚悟してね」

そう囁いた。

言葉とともに
皇の唇が降りてきて
俺の頬に触れると

俺の心臓が跳ねた。

ドッドと大きな音を立てて
とんでもない量の血液が
全身を駆け巡っているのを感じた。

「はっ、はあ?
絶っっっっっ対に落ちねぇし!
絶対の絶対の絶ぇっっっ対にっ!」

この胸の高鳴りと、
顔の火照りを悟られまいと、

俺は怒気を装い、
皇に怒鳴り声を上げたのだった。