その日、藤堂椿はとてもご満悦の様子で
僕と食事をし、
その後ゲームをやって帰っていった。

藤堂家の門をくぐる直前に、
僕を振り返って

「今度裏技教えてやるからっ!」

藤堂椿は白い歯を見せて、
男前に笑った。

僕の胸中は複雑である。

「はぁ〜」

車の窓から流れていく夜景に
ぼんやりと目をやりながら、
僕は深いため息を吐く。

『親友』というポジションっていうのは、
きっと楽なのだろうな。

色んな葛藤を抱えなくても、
その人の一番そばにいることができる
特別な存在で⋯⋯。

心がひどく高ぶって、
相手を傷つけてしまうこともなく、

今日みたいに穏やかに微笑み合うことができて⋯⋯。

だけど決して恋人にはなれない存在⋯⋯か。

「苦しい⋯⋯な」

僕は思わず小さく呟いてしまった。

「大丈夫でございますよ、愁夜さま」

車を運転している坂下が、
バックミラー越しに僕の様子を伺っている。

「藤堂様もあなた様と同様に、
苦しんでおられます」

坂下の言葉に僕ははっとした。

そうなんだよなぁ。

いつも元気な藤堂椿が
ギャン泣きするほど苦しんでいる。

「では、どうして苦しいのでしょうか?」

坂下の問いに、僕は口を噤み、

『それは彼女のことが死ぬほど好きだから』

心のなかで答える。

「藤堂様もきっとあなたさまと
同じお気持ちなのではないでしょうか?」

坂下はそう言ってくれるけど、
正直僕には自信がない。

だって何しろ相手は、
あの藤堂椿なんだから。

わっかんねぇっ!

僕にはさっぱりわっかんねぇ!

僕は頭を悩ませる。

◇◇◇

「ああクッソ! 眠れねぇ」

俺はベッドの上で寝返りを繰り返す。

目を閉じると、なんか色々思い出す。

「うあああああっ! 
どう考えても距離感がバグってるっ!!!」

俺は頭を抱えた。

『お前を好きになるのが⋯⋯恐い』

そういった俺に

『それならあのさ、藤堂椿、
ちょっと触ってみ?』

つって、あのバカは⋯⋯。

はだけたシャツの隙間から見える、
薄く筋肉のついたあいつの大胸筋に⋯⋯。

「さ⋯⋯触ってしまった⋯⋯んですけど⋯⋯」

その感触がリアルに思い出されて
俺は赤面する。

「ああクッソ! 
よもやこの俺が
男の大胸筋にドキドキする日が
やって来ようとは⋯⋯」

俺はちょっと泣きたくなった。

『皇愁夜っていうのは、
もっと冷たいもんだと思っていた』

って言った俺に

『もし僕が君に出会っていなかったら、
本当にそういう人間になっていたかもしれない。

人を愛するということを知らず
人に愛されることを知らず

冷たい檻の中に捕らわれて
それでも必死にもがき続ける日々の中で

君が僕に手を差し伸べてくれたんだ。
君が僕に笑いかけてくれたんだ。

あの日から、僕の世界が変わったんだ。

君がいたから⋯⋯生きられた。

それくらい、僕はこの世界の温かなものを
全部君から貰ったんだっ!』

そう言ってくれた。

小学生のころはともかく、
中学生になってからの俺達の関係は本当に険悪で、

絶対俺は嫌われてるって思っていたから

皇が俺のことをそんな風に思っていてくれたことは、
正直すごく嬉しかった。

その皇の友愛に
俺も心から報いたいって思うんだけど⋯⋯さ。

「ああ、クッソ! 
あいつの大胸筋が頭から離れねぇっ!」

俺は頭から布団を被る。

そのとき、枕元に置いていたスマホが鳴った。

大胸筋からだった。

「うっ⋯⋯もしもし⋯⋯」

俺はなんとも言えない
背徳感を抱きながら電話に出る。

「ごめん⋯⋯眠ってた?」

愁傷げな声を出しているけど、
お前、起こす気満々じゃねぇかっ!

だがしかし⋯⋯今日の俺は眠れない。

「いや⋯⋯眠れないんだ」

俺は素直にそう言った。

「どうしたの? 何かあった?」

スマホ越しに、心配そうな声が届く。

「いや⋯⋯大胸筋が⋯⋯ちょっと⋯⋯な」

俺がウニャウニャ言うと

皇が大爆笑した。

「ばっ、バカっ! 笑うなってば」

俺は狼狽える。

「ごめん、ごめん。ドキドキしちゃったんだ?」

皇はなんだか嬉しそうだ。

「そりゃ⋯⋯生まれて初めてお前の身体に⋯⋯
触れたっていうか、ああいう状況になったら
ドキドキもするっつうか⋯⋯」

俺は恥ずかしくて、
やっぱり歯切れの悪い口調になってしまう。

「光栄だよ、君にドキドキしてもらえて。
いや〜筋トレ頑張った甲斐があるなぁ」

やっぱり皇は上機嫌だ。

「ところで藤堂椿、
君は親友にドキドキするの?」

不意に投げられた皇の問いに、
俺は口を噤む。

「うぐっ⋯⋯」

親友にそういう想いを抱いている時点で、
なんか裏切り行為な気がする。

こいつにすごく申し訳ない気がする。

「不純な思いを抱いてしまって
すいませんでした。
以後気をつけます」

小学生の作文みたいな言葉で詫びると

「何を言っているんだい? 藤堂椿。
以後気をつける必要なんてまったくないよ?
君は僕に対して大いに不純な思いを抱くといい。
なぜなら僕と君とは親友ではないから」

突きつけられる現実に俺は下を向く。

「僕と君とは⋯⋯」

スマホの向こうで皇が言葉を切った。

ったく容赦ねぇな、コイツは。
ちょっとくらい
そういうフリをしてくれてもいいじゃんよ。

もしもコイツの親友になることができたなら、
俺はずっとコイツのそばにいられるのに。

皇の腕の中で、
ほんの一瞬夢見てしまった甘い幻。

そんな俺の儚い恋心を
見事に粉砕してくれる。

「ただの腐れ縁だ⋯⋯バーカ⋯⋯」

恋の甘さとほろ苦さを込めて、
俺は憎まれ口を叩いた。