「っは、ん、むぅ……っ!」

 課長は私の唇を甘噛みすると、そのまま舌先で隙間をこじ開け、歯列をなぞり、奥に引っ込んだ私の舌を追いかけるみたいに捕まえてきた。

 ぬるり、と撫でられた表面で課長の舌の感触を感じて、背筋がぞくぞくする。口内に、自分ではない体液が沁み込んでくる。

 え、待って。待って何これ? この人こんなキスするの?

 い、イメージと違う……っ!

 息もできないくらいの激しい口付けに、私の頭と心がパニックを起こした。

 普段は能面みたいな表情をしている課長だから、こういった事も静かなのだと勝手に思っていた。

 けれど、抱き締めてくる腕が意外に強引だったり、私に交際を認めさせるために「試しで」なんて提案してきたり、思いのほか情熱的で。

 そのうえこんな、食らいつくみたいなキスをする人だったなんて……!
 予想外過ぎるんですけど……!

 私の身体をがっしり囲い込んでいる課長の腕が、まるで私を逃したくないと言っているみたいで、恥ずかしさと嬉しさで眩暈がする。

 私だって年齢的にそれなりの恋愛経験は積んでいるのに、これまで出会った誰よりも激しく強い熱に飲み込まれそうだった。

 普段は静かな人なのに……っ。

「ああ、可愛いな……君は、本当に、」

 息継ぎで少しだけ唇を開放してくれた課長が、呼吸を吐きながら呟いた。その声の低さに、含まれた欲の色に、私のお腹の奥がずくんと疼く。

 な、なんなのこの甘い声はーっ!?

 足元からお全部、身体の根底ごと揺さぶられるような低音に、脳内がほの赤いピンクに染まっていく。
 まるで、春の嵐に巻き込まれたような感覚だった。

「かちょ、ん、むぅ……っ」

「駄目だ、まだ足りない」

 唇が離れた一瞬、咄嗟に名前を呼ぼうとしたのに、がしりと顎を掴まれ固定されて、再び深く口づけられた。

 解放された手で、思わず課長のスーツの袖を掴む。
 なんだかもう足に力がはいらなくて、腰が抜けてしまいそうだ。

 口内を舌先でちろちろと刺激されて、その度に腰がびくりと跳ねてしまう。

 足ががくがくする。こんなキス、知らない。

 もう立っていられなくて、がくりとくず折れそうになった時、課長が腰を抱いて支えてくれた。
 そしてそのまま、腰をぐいと押し付けられる。素肌じゃないのに、スーツ越しの課長の身体が、熱い。

「……ああ、帰したくないな」

「えっ」

 私の肩に顎を置いた課長が、息を吐き出すように言った。

 耳元で声を聞かされたのと、吐息がかかったのと、あと台詞の意味に仰天して、私はつい固まってしまってしまう。

 いや、確かにお互い年齢も年齢ですし!?

 二十七歳と三十二歳が付き合う事になったなら、そのままそういう事になる場合もあるんだろうけど、っていやいや当日は早過ぎない?

 なんかスイッチ入っちゃった気もするけど私もそんな軽い女だと思われたくないし……って私は一体何考えてるの!?

「わかってる。……今日は帰す」

 混乱の極みで赤面したまま固まっていると、課長が耳元でふっと笑った気配がした。

 あ、今日は帰す、のね……なんか残念?

 いやそうじゃなくて。って今日は、って言ったよね今。

 今日はって……!

 少しだけ寂しいような、かといって今すぐはちょっと、と思うようなわけのわからない気持ちを持て余していると、課長がふっと腕を緩めてくれた。

 まだ腰は抱かれたままだけど、ボール一つ分くらいの距離が空く。
 彼は少しだけ困っているような顔をしていて、けれど唇は緩く弧を描き、薄く柔い、優しく微笑んでいた。

 春の嵐が止んで、晴れた日に咲く桜が見える。

「俺の理性があるうちに、今日は帰ろう」

「は、い……」

 ばくばく跳ねる心臓を誤魔化すように、小さく返事をすると、課長はふわりと笑みを深めて最後にもう一度だけ、花びらが触れるみたいなささやかなキスをしてくれた。

 ―――帰り道、私の心臓が保ったのはきっと、奇跡だと思う。

 そして私は忘れていた。

 いつものお昼の『仕事』は、これからは兼崎さんに頼むんですか?
 と彼に聞くのを。