玄関ドアを開け、固まる私の視線の先に。

 今しがた頭を占めていた張本人がいた。

「悪かった。巽君から社内連絡があって……君が熱で動けないと。風邪だと聞いていたから、仕事が終わったら連絡するつもりではあったんだが。……遅くなって、すまなかった」

 そう申し訳無さそうに言う課長は、片手に持っていた白いビニール袋を前に掲げた。

 袋越しに薄く透けて見える物を見て、絶句する。

 これ……私が律子に頼んだ風邪薬と栄養ドリンクじゃない……。

 その小さな袋と、もう一つ中くらいの袋を持っていたが、片方は明らかに私が律子に頼んだものだ。

 だって風邪薬のメーカーも栄養ドリンクだって、いつも彼女にお願いしてる私の鉄板なんだもの。

 私は熱が出ている事も一瞬忘れてしまうほど、その場にがくりと項垂れてしまった。

 買ってきてもらった物だけを受けとって帰すわけにもいかず、かと言って風邪を引いている自分の部屋へ招きいれるのも躊躇われた。それに一応、一人暮らしの女の身だ。

 特に今は告白の返事を待ってもらっているという状況でもあって……ああもう、わけがわからなくなってきた。

 けれど逡巡する私に構わず、本庄課長は「失礼する」と一言告げて、強引に中へ入ってきてしまう。

 ……正直、熱で汗掻いてるしすっぴんだし、ぼろぼろだし、部屋もちゃんと片付け出来てないからやめて欲しかったけれど、拒否する暇も無く押し入られてしまった。

 なんだか押しが強い……?
 どうして?

 珍しい彼の態度に、ふと違和感を覚える。

「あ、あの! 課長に風邪をうつしてしまっては大変ですし、その……」

 暗に早く帰って欲しいとお願いしているにも関わらず、本庄課長は無言で冷蔵庫に袋から取り出した物を詰め込んでいた。

 一人暮らしの女性宅の冷蔵庫を断りもなく空けるのはどうなのかと思うのだけど、律子に頼んだはずの買い物を持ってきてくれたのだから文句も言えない。

 ああもう、どうしよう。何してくれちゃってるのよ律子ってばっ!

 弱ってる友達の家に男の人を行かせるって、どういう神経してるのよ!

 普段は助け合っている友人に内心これでもかと罵声を浴びせながら、この事態をどうするかと熱に侵された頭で考える。

 ああ、ホントに余計具合悪くなってきたような……。

 ちなみに今立っているのは玄関入ってすぐの台所。床はフローリングで、私は裸足にスリッパだけれど下冷えしてきたのか結構寒い。

 課長に何て言って帰ってもらおうか、と考えているところでその当人が振り向いた。冷蔵庫に詰め終わったらしい。

「俺の事は気にしないでいいから早くベッドに入って。そこは冷える」

 そう言うや否や、課長は私の身体をこれまたぐいぐいと強引にベッドへと押しやって寝かせた後、まるでお母さんがするみたいに布団をぽんぽんと軽く叩いた。

「……巽君が」

 ベッドの隣で片膝を付き、じっと私に視線を落とす課長の瞳が、少しだけ揺れる。

「君は、俺が届けに来たと知ったらすぐに追い返そうとするだろうから、多少強引でも部屋に入り込めと。どうせまともに食べていないだろうから、ついでに何か食べさせてやってくれと言っていた。無理やり部屋に押し入る様にしてしまって……すまなかった」

 そう言って、本庄課長は小さく頭を下げてくれた。

 顔は相変わらず無表情なのに、叱られた子供みたいに見えるのはなぜだろう。

 未だ布団の上を優しく叩く大きな手。それがとても心地良い。

 ……別に、怒ってなんていないのに。

 戸惑っただけで。

 律子の指示だというのには驚いたけれど、課長の気持ちを察していたらしい彼女のことだ。たぶん私の気持ちも薄々気付いているんだろう。

 先日「あれからどうなったの?」と聞かれて答えに詰まる私を見て、どうも感づいたみたいだったから。告白のことも、私が課長へ好意を抱いているってことも。

 だから、わざわざ彼を寄越したのだ。なんというか、持つべき友は律子である。

 内心呆れたが、不思議と嬉しさも感じながら口を開いた。

「いえ、正直助かりました。驚きはしましたけど……ありがとうございます」

 苦笑しつつ感謝を伝えると、課長が落とした視線をあげた。

「怖くはないか?」

「え?」

「いや、俺は君に告白しているし、普通なら未婚の女性の部屋に上がり込むべきではないからな」

「それは……大丈夫、です。課長のことは、怖くはないです」

 怖くはない。けどドキドキはするし緊張もしている。

 でも……嫌ではない。

 むしろどこか、課長が部屋に居てくれる事に安心感すら感じていた。

 地下倉庫でもそうだった。この人といると、私はなぜか安心できるのだ。

「そうか。……全く警戒心を抱かれないというのも、男としてどうかとは思うが……今回は、良かったのかもしれないな」

「え?」

「いや、なんでもない。お粥くらいなら作れるから、少し待っていてくれ」

「あ、はい。どうぞ……」

 私が大丈夫と言ったことに安堵したのか、課長は矢継ぎ早にそう告げて、それから本当にお粥を作ってご馳走してくれた。

(上司に食事の用意をしてもらう、という事実に後から気づいて慌てて遠慮したのだけど、課長は頑として引いてくれなかった)

 課長が料理の出来る人だったというのにも驚いたが、スーツのジャケットを脱いだ彼がうちの台所に立つ姿は……なんというかこう。

 あー……うん。

 すごく……格好良かったです。