「アホやねん」
ずっと前に言われた台詞だけど、頭に染み付いて離れない。
わたしは大事なところがアホらしい。

小学生のときの将来の夢はサメになって、誰よりも速く泳ぐことだった。
周りにめちゃくちゃ馬鹿にされて、それでなんかおかしいんだろうなと思って一緒に笑った。
その時から、確実にどこかがすれ違っているって自覚している。

でも、わたしは無事高校生になり、毎日限界だけど、気が緩んでた。

まぁ、きっとどうせ、分からないことはあっても生活できるから。


「…先輩?」

だけど、あり得ないくらい綺麗でかわいらしい、婚約者が出来てしまった。
それも、昨日、突然。

ああ、もう嫌だ。
気が遠くなる。
だから、名家って時々面倒臭くなる。


「…ちょっと、先輩、ちゃんと目を見て会話して下さい」

はい、わかってます。
普段なら、1秒くらいは目を合わせられる。

でも、君が余りにも綺麗だから…!

「…うん、聞いてます。…佐野くんだよね」

どでかい、超名門の佐野家の2人息子の、下の子。
今は多分、15歳くらい?
わたしの2つ年下だから。
身長は160センチくらいで、金髪に銀の目がかなり目立つ。

勿論、だからどうだっていう訳じゃないけど、うちは代々黒髪黒目一族で、染めてはならない決まりだから。

まぁ、古い古いしきたりだけど。

「違います、婚約者を苗字で呼んでどうするんですか?…もう一度、ほら」

「…えっ?」

昨日会って、ほぼほぼ見知らぬ他人に近いのに、なんてことを言うの?

もしかして、彼はイギリス育ちのそのパッションそのまま持って来たのだろうか?
というか、性格?
いや、本家からの指示かな。

「…ごめんね、…えぇと、…」

流石に覚えてなかった。
腕を振ってもう少しで出て来そうなんだと必死でアピールする。

「僕は、佐野 草介。早野 姫子さんの婚約者です」
若干、綺麗な顔にひびが入ったように見えた気がするけど、綺麗なソプラノの声には全く影響がなかった。

…だけどそれって、明らかに両家の話し合いで決められたやつだよね。

こんな、15歳が背負っていいことなのかしら。
「…どうもありがとう。…不満がある訳ではないわ。だけど、あまりにも突飛もない話だから、少しびっくりしただけ。これからよろしくね」
そう、わたしは今、問題だと思ってる訳じゃない。

ことなかれ主義だから、今後面倒なことがないようなら、変な慣習も受けて立つ気はある。

綺麗にまとまった定型文を伝えることができてよかった。

もういいだろう。
多分、適当にこの関係を続けていれば、また動きが必要になる時が来るだろう。
それまで、関係を練らなくていいはずだ。

「よろしくお願いします、姫子さん。…これから、仲良くしていきたいですね」
「…うん、よろしく、草介さん」
あぁ、社交辞令来た。
仲良くしたいときに、仲良くしていきたいとは言わないものだし。
仲良くするべきだけど、現状したくないときに言われるやつだよね?

もしかして、わたしの対応がダメダメすぎて、普通に振られるパターン?

「…あの、わたし婚約者できるの初めてで、いろいろ分からないことだらけなんだけど、仲良くしたいとは本当に思ってるから、何でも言ってね?」

「いえいえ、こちらこそ初めてなので何かご不快な思いをさせてしまうことがあるかも知れませんし、その際は指摘していただければ、すぐ直しますので」

「…なら、お互い普通にいきますか?…まずは友人関係からはいかがです?」

「勿論!そうですよね、僕もまずは姫子さんと共に時間を過ごしたいと思っていたんです」

「…わぁ、嬉しい。じゃあ、そのような形で、何か問題あればこちらこそ指摘お願いしますね」

「お互いにとって穏やかな関係を作れるといいですね」


「本当ですね」


…わたしたちは連絡先も交換することなく、時間の割に仲を深めないという最適のルート取りに成功した。


放課後、わたしの予定はがら空きだったけど、勿論独りで帰れそうだ。

そして、放課後。
のんびりと車に乗って、温かいココアを運転手の上原さんに貰って、啜っている。

「…ということがあったのよ」

「…まぁ、婚約者なんていつの間に。もうそんな時期なんですねぇ」

上原さんは40代のベテランの女性の運転手で、普段はあまり話しかけてこないから、自然と車内ではいつも沈黙だった。

けど今日は流石に話さざるを得ない。
「…だって、もうわたし17歳だよ?お母さんがわたしを産んだの、19歳くらいだもの。…それより、わたしの婚約者のことよ」

「…えぇ、えぇ」

「本当綺麗な人なのよ。…なんか、ちょっと上から目線だったけど、まぁ、仕方ないし、わたしも十分我儘だしね。…普通に出会いたかったわ。イケメン、将来絶対多くの女性をメロメロにするのよ」

「婚約者さまは大変なお方みたいですね。…これからもお嬢様が幸せに暮らせることだけが、わたしの願いですよ」

「…ええ、優しいね。上原さん。彼、15歳の割にわたしの意図を汲み取って、ほどほどの距離感にしてくれたし、昨日今日の関係とは思えないくらい適切な対応をしてくれたのよね。本当尊敬するし、勿体無いくらい」

「あら、良かったですね」

「…これから、どうなるのかしら。…ていうか、ママもなんでわたしに言わないの。絶対わたしに前もって言うべきなのに、もう自由な人だから仕方ないかもだけど」

「…お忙しい方ですね、お二人は」

「…それもあるわ。…わたし、本当胃が痛い。人と暮らせるタイプじゃないのに。もう、駄目」
ほかほかの背もたれのシートに背中をもたらせて、身体が沈んでいく。

「…まあまあ、お嬢様はいつも頑張っていますよ。…毎朝、学校に行って、無事に帰ってくる。素晴らしいじゃないですか」

「もう、嬉しくなっちゃうわぁ。甘すぎだけどね?…否定はしないのね、わたしが協調性皆無なこと」

「…否定して欲しいなら、全力で否定いたしましょう。お嬢様はいつも人のことをよく観察して、その人にとって、あって欲しい姿を見せることが出来ます。…大体の人はできません」

「…ちょっと、AIみたいなこと言わないでよ。上原さんだって、いつ寝てるのってくらいずっと働いてるのに」

「…そういうところですねぇ」

「…」

もう何も言えなくて、なぜか敗北感を感じて、顔を窓に寄せる。

全然頬が赤くなっていたのは否定する。

外では寒そうにしながらテッシュを配る若い男の人や、スカートを履いて看板を掲げるメイドの人が働いている。

街行く人はみんなスーツを着ていたり、忙しそうにしていたり。

ぼんやりと見つめながら、しばらくそうしていると車内の暖房をより一層感じた。


ふと、なんか思った。
わたしって恵まれているのかも知れない、と。


「…上原さんの前職って聞いてもいいの?」

「…わたしの?」

「…ええ」

やっぱりあまり触れていいことなのか分からず、視線を彷徨わせる。

「…元々バスの運転手をしていたんですが、独りで子どもを育てているのでちょっと疲れてしまったんです。その際、転々と運転の仕事をしながら今に至るという感じですかね」
ふ、と笑ってから口を緩めると、優しく話し始める。

へえ、そうなんだ。


「…じゃあ、ここは一番長くいる家ってこと?うち、そんな待遇良さそうに思えないけど」
うちは待遇いいのかよく分からないけど、どうなんだろう?
あと、なんでこの仕事にしたんだろう?

「まさか!ここは最高ですよ。休日もあるし、残業もきっちりしているし、お嬢様に言うのはどうなんだろうとも思いますが、職場としてはホワイトですよ。もう、何を心配しているのですか」

前職とは全然違う、と頭を左右に振って、笑う。
それなら良かったけど。

「…なんかわたしってちょっと周りと違うでしょ?だからみんなの言う普通とか苦労に共感出来ないから、いつかそれで面倒なことになったら嫌だなって」
もし、わたしがパパの元に生まれていなくて、例えば、大原さんみたいなシングルマザーの家庭に産まれていたら、今とは全く変わっていただろう。
性格も、価値観も。
それが、どっちがいいかなんて決める術は神様だって多分持ってないけど、でも、知らないのはどうかと思った。

「…誰かに何か言われました?」
違うよ。

「…ううん。婚約者が出来て、ちょっとナーバスになっちゃったのかも。だってわたし、まだ恋もした事ないのに、婚約者ができちゃって」

…それがわたしのあたりまえなんだけど、ふと疑問に思ったんだ。

なんか、わたしは可愛いものが好きな高校生っていうところでは普通だと思う。

だけど、みんなと乗り換える苦労みたいなものを知らないでここまで育って来た。

だからか、自分に足りないことが見えないことが、嫌なのかも知れない。

「…そうですね。…今やりたいことと、やるべきことを両立させるのは大変ですよね。全て自分の力で済ませるのは到底出来ませんし、大人になってもそういうことってままならない場合ばかりですよ。安心じゃないですけど、毎日、ぐっすり眠れるようにわたしたちは支えることしかできないのですが、して欲しいことはあるんですか?お嬢様」
大原さんは目尻に皺を寄せて、ちょっと大人な顔をする。

自然と、視界が思考で埋まる。
普段、わたしは何を考えていたんだっけ。
ああ、婚約者が出来てしまった。
結論として嫌ではない。
出来なければいいとも少し思う。
人を見てすらないのに判断してる自分は少しネガティブで、偏見かもしれない。
なら、誰かに期待したか、と考えると、いや、誰にも期待はしてないなと気づく。
みんな、仕事として、古めかしき家を動かす小人になって、壊さないように、維持するために、結婚も、子育てもしているように見えた?

わたしにみんな甘いけど、それは…。
わたしをより、家にふさわしく、家族に優しい人間にするため?

なんでか、胸がうなった気がする。

もし、わたしが、厳しい家庭に育っていたら、きっと勘のいい婚約者なんてできなかった。
わたしもきっと厳しいタイプの大人になろうとしただろう。
「…すみません、少し大袈裟な分かりにくい話でしたよね」

ううん。
わたしってば、分からなかったんだ。
「きっと、この家に合うような人にもうわたしはなってるからさ、違う人生は馴染まないなと思って。婚約者に恋はしないと思う。だけど他の誰にも恋はしないことを想像したの」

「それが、お嬢様にとって、一番幸せになれそうな選択なら、応援しますよ。…もし恋をしたくなったら、いつでも相談に乗りますよ。天気が毎日変わるように、お嬢様だって、したいことを変えたっていいんです。変わることに背を向け、蓋を閉めるよりは、より自然なことですよ。…つまり、心のままに、息をすればいいんです」

「大原さんの運転する車内って酸素たくさんあるね。…流石だなぁ」
一息もつかないまま、わかりやすく思春期すぎる話題が終わる。

ふう、と吐いて吸うと、いつもより大原さんの顔が普通に見えた。
いや、いつも大原さんだけど、なんか生きてる人なんだなって思った。
「換気と温度管理には気を遣いますから。…お嬢様、そろそろ着きますよ」

「うん、分かった。もっと、今度話して、大原さんのこと」

ちょっとだけ身を乗り出して運転席に近づく。

「…ふふ」
「あら、可愛い」
ミラーごしに微笑み合う。

「うん、…今日もありがとね」