冷たい風が肌を撫で、涼しさが体に染みる。

 いつものように俺は屋上で空を見上げて、授業をさぼっていた。

 この場所の空気は重苦しくなく、心地いい。

 自分が無力で愚かでちっぽけな存在であることに変わりはないが、それでもこの空気はそんな劣等感を乾かしてくれる。

 孤独や恐怖、後悔といった負の感情をほんの一瞬、忘れさせてくれる。

 コンビニで買ったおにぎりを口にしながら、校庭を見下ろした。

 笑ってやがる。

 シュートを決めて仲間と肩を組み合って笑う姿が目に入り、嫌悪感を抱いた。

 笑っている彼らに罪はない。

 それでも、心にまとわりつく不快感は消えない。

「心まで馬鹿だったらよかったのに」

 親の仕事を継ぐ気なんてもうないし、無理だと分かっているから頭が馬鹿なのは構わない。

 でも、せめて孤独や後悔、親の期待に鈍感でいたかった。

 そうだったら、俺もあんな風に無邪気に笑えていたのだろうか。

 流れていく時間の中でそんな無意味なことを考えてしまう。

 静まり返った校庭を見て、俺は屋上を後にした。

 雨が降り始めていた。

 制服小さな水滴が次々と沁み込む。

 階段を駆け下りていく。

 靴と階段が当たる、タタタタタタの音がリズムよく響く。

 自分の足音が建物に反響して、広がっていく。

 1回まで降りて靴を履き替え、学校を出た。

 手に触れる程度の小雨。

 俺はいつも通り傘を差さずにいた。

 電車に乗り込み、ドア付近に立つ。

 雨の日は公園にいると言っていたし、今日もきっといるのだろう。

 誰もいない公園で彩芽は空を見上げて一人佇(ひとりたたず)んでいた。

 幸せそうな笑顔。
「いいよな。彩芽はいつも幸せそうで」

 俯瞰した声。

 八つ当たりだと自殺した彩芽が幸せなわけがないことは分かっているのに、その表情を見ているとその言葉が出てきてしまった。

「蓮は幸せじゃないの?」

 幸せであることが当然だという様に尋ねる彩芽の純粋な声に苛立ちを覚える。

「そりゃそうだろ。幸せな要素なんてない」

 この話題で彩芽が自殺をした理由を探れたらなんて思って、話を続ける。

「ふうん」

 子供のような小さな挑戦的な微笑み。

 この微笑みにいつも好奇心をくすぐられ、丸め込まれてきたっけかな。

「灯夏はそう思わないわけ?」

「まあそういう部分もあるけどね」

 言葉を濁した。

 拒否するわけではないが、都合よく自分から語ってくれることはなさそうだ。

「蓮の幸せじゃない要素は何なの?」

「誰にも期待されず、大切に思われていない。楽しみも特にないし」

 頭に浮かんだ情景を乱暴に言葉にしたら思った以上に投げやりな響きになった。

 怒りがくっつかない温度のない言葉。

 俺はもうその対義的状態である幸せを諦めている。

「そんなの分かんないでしょ」

 本当に彩芽は。

 簡単なことのように言いやがる。

 机上の空論だって無理なことだって分かっているのに、どうして彩芽の言葉はこんなにも心揺さぶられるのだろう。

「挙げた3つ、蓮が気付いてないだけで持ってるかもしれないよ。それに幸せな要素だってあるはずでしょ」

 屈託のない純真な笑顔。

 彩芽のその笑顔にはなぜか嫌気がささず、心が照らされてしまう。