10万都市サマルパテから西へ伸びる街道を、私――ティタミア・ロドルースを乗せた馬車は進んでいた。別荘へ向かう途中であった。

「退屈かね、ティタミア」
「そんなことはありませんわ、旦那様。美しい景色に見とれていただけです」

 馬車の小窓から視線を外し、私は目の前の人物に微笑みかけた。私の向かいには、今の夫(・・・)であるデリグ・ロドルースが座っている。
 彼はサマルパテの大貴族だ。最近は金融と不動産事業で成功し、ますます権勢を振るっている。その辣腕ぶりに相応しく、デリグのコートも靴も一分の隙が無く、目つきは常に獲物を狙うかのように鋭い。

 私は、そんなデリグの眼鏡にかなった自慢の妻として常に彼のそばにあった。私の小柄で男好きする豊満な体型は、デリグの嗜好を完璧に体現していた。

「ティタミア。お前は本当によくできた妻だ。美しく、柔らかく、花のような香りがする。声もいい。頭の回転が速く、会話はさりげなくて面白い。外の景色よりもずっと素晴らしく、価値がある。まさに完璧な芸術品だ。どうか私のもとを離れないでくれよ」
「まあ、旦那様。私はもとより、あなたのもとに身を寄せるしかない哀れな小鳥ですわ」

 シルクの長手袋に覆われた繊細な手をデリグの膝頭にそっと置き、私は言った。それが夫の庇護欲を刺激し満足させることを、私は妻としてよく理解していたのだ。

(妻として、か。偽りで手に入れた身体と地位のくせに。そうよ。私は贋作。偽物。作り物)

 表情を一切変えることなく、私は己を嘲った。

(それでも――手に入れたかったのよ。取り戻したかったの。幸せと平穏を。その代償が、今)

 デリグの好色な視線を受け止める。その嫌悪感に耐えることは、自分への罰なのだ。私は、それだけの罪を犯した。生きるために。幸せの欠片でもいいから手に入れるために。

 私は、鏡装魔法の遣い手だった。

『生存に最も有利な容姿』へと変身するこの魔法は、遣い手自身をカリスマ性を備えた美しい女性へと変貌させ、上位者――それは大貴族であったり、英雄であったり、敵国の将であったりする――を魅了する。この美しき草原と鏡の国エルオニータで、唯一、『魔法』と呼ぶことが許された特殊な力だ。
 ゆえに、鏡装魔法の遣い手は厳格な管理下に置かれ、無許可の使用は極刑に処せられる――本来は(・・・)

 しかし私は、鏡装魔法の遣い手であることをずっと隠してデリグの妻となっていた。デリグを欺き、法の目を欺いているのだ。

 本来の姿は、決して不美人ではないものの、デリグの好みとかけ離れた長身痩躯の身体である。
 私は、本来の身体の方が好きだった。細身の身体は凜としていて、綺麗だと思っていた。
 魔法で作り出したこの身体は、私にとってただの高性能な武器にすぎなかった。

 もし鏡装魔法が解かれ、本来の姿を晒してしまえば、デリグは烈火のごとく怒り狂うだろう。いや、彼の場合、ただ喚くだけでは決して終わらないはずだ。デリグの特殊で残酷な性癖は、妻となってから嫌というほど見てきている。
 デリグの怒りを買うことは、死よりも恐ろしい結末を生む。

(それでも、私は上手くやってみせる。これまでも上手くやってきたのだから)

 偽りの姿の上に、さらに偽りの微笑みを重ね貼りしながら、私は時々思うのだ。

 いつまでこの虚しいゲームを続ければいいのだろう――と。