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平川さんに呼び止められた弥生さんを残し、結衣は一人フロアへと戻る。

社長秘書の平川さんと話すなんて、とても緊張した。平川さんがあんな風に話されるなんて意外だったが、それよりも弥生さんと部長、平川さんが仲が良いことに驚いた。
それを聞いて、部長と弥生さんが息ぴったりなことが納得できる。

弥生さんは結婚してからアシスタントに転属した。総合職の頃から仕事の評価が高く、今でもいろんな人が弥生さんに意見を求めているところを目にする。

私も弥生さんみたいに仕事ができるようになれるのかな。
結衣の歩むスピードが遅くなる。

平川さんに相談するくらいまだ頼りないんだな。
先ほどの弥生さんから平川さんへの提案が思い出され、目の前が暗く感じる。
弥生さんのレベルを求められるのだから、覚悟はしていたものの、結衣が独り立ちできる目処は見えてこない。

午後もやることはいっぱいだし、気持ちを切り替えよう。

暗い顔を弥生さんに見られなくてよかった、と思いながら、一人気合いを入れ直しデスクに戻る。
するとフロアには先に湊部長が戻っていた。

「不在にしてすみません、弥生さんと早めにお昼に入ってました」

「加山さんから聞いてたから問題ないよ。
いつもお昼もゆっくり摂りづらいだろう?すまないね。

仕事の進め方が以前と変わって戸惑うことも多いのに、田宮さんの頑張りで本当に助かってるよ」

にこやかな部長の顔を見ても、今は素直に喜べない。

「ありがとうございます。
そう言っていただけると励みになります。
部長もお昼まだでしたら、摂られてください。
なにか進めておくことはありますか?」

精一杯で笑顔をつくってみせる。
今自分はどんな顔をしているんだろう。
そう思うとまた情けなくなってくる。

湊部長から指示を受けると、逃げる様に席に着く。

「それから、来週水曜昼に社長と会食の予定を入れたから、スケジュールの調整を頼む。
長引く可能性もあるから、その日の午後は出来るだけ空けておいてくれ」

「承知しました。
水曜は社内の予定ですので、他の予定が入らない様にしておきます。
火曜までは変更なし、木曜の正午までと金曜の15時以降の予定は動かせる様にしておきます」

急いでスケジュールを開き、予定を入れて他の予定を組み替えていく。
湊部長は少し驚いた顔をしたが、すぐににこやかに微笑んだ。
「ありがとう、助かるよ。
田宮さん、俺の仕事にもだいぶ慣れたみたいだね」

『社長との打ち合わせ後には予定が変わることがあるのよ。これから増えるんじゃないかと思うから、一応頭に入れといてね』
結衣が部長のアシスタントに着いてから、社長との会食は初めてだ。しかし、弥生さんから話は聞いていたので、すぐに反応できた。

やっぱり弥生さんはすごい。
私の不安から戸惑うことはあっても、弥生さんに教わったことで困ることはない。教え方も的確でわかりやすい。

認めてもらえたと感じたうれしさと、反面ほんとに?という不安な気持ちも湧いてくる。

「貢献できるにはまだまだですが、弥生さんのおかげでだいぶ。
弥生さんにも、部長にも早く安心して任せていただける様にがんばります」

顔を上げてモニター越しに部長を見ると、部長がじっとこちらを見ていた。

「安心して任せてるよ。それよりちゃんと休息を取れてるかどうかの方が気がかりだな。
今日は残業せずに上がる様に。

コーヒーの時間も大事だろ?」

「は、はい。すみません」

結衣はどう答えてよいかわからず思わず誤ってしまう。
フッと表情を崩すと、休憩をとる、と部長はフロアを後にした。

入れ替わりに弥生さんが戻ってくると、一緒に午前の契約資料のまとめにかかった。

時短の弥生さんが帰ったあと、気がつけば定時を回っていた。
弥生さんからも緩急つけてやらないと身がもたないよ、と言われている。

よし、今日はもうあがろう。
結衣はテキパキと資料を片付ける。
部長の言葉があったからではないが、今日の決断は早かった。