アオハル・ノート

 高村紗英(たかむらさえ)は、物音に目を覚ました。
 ベッドに入ったまま手を伸ばし、枕元に置いたスマホをいじって時刻を確認する。
 日付を越えている……。
 紗英の眉が怒りでヌっと上がる。

 紗英はベッドサイドに置いておいた照明のリモコンを手に取ると、ベッドから起き上がり、忍び足で部屋の中央まで行った。
 持っていたリモコンをONにすると同時に、部屋を二つに割っているカーテンをむんずと掴み、サっと開け放った。

 カーテンの向こう側でゴソゴソ動いていた人影の動きがピタっと止まる。
 女性だ。
 紗英とよく似た顔をしたその女性は、紺色のスーツを着たまま顔だけゆっくりと紗英の方に振り返る。
 その様子は、まるで油の切れたロボットのようだ。

「美沙()ぇ、今何時だと思ってるのさ!」
「あはは。ごめんごめん、紗英。起こしちゃった?」
「そんだけガサガサ音がしてたらね。……なにそれ」

 部屋に仁王立ちしながら姉・美沙を睨みつけた紗英は、姉の持っている大きな花束に気が付いた。
 五十本くらい入っているだろうか。真っ赤なバラの花束だ。

「これ? ……んー、あはは。プロボーズされた」
 
 美沙の顔が赤い。
 酔いのせいだけではない。照れもあるようだ。
 姉の報告に、紗英の顎が落ちる。

 これは大ニュースだ。
 美人ではあるが、天然ボケが行き過ぎて、半分夢の世界で生きてるんじゃないかという感じの姉に恋人がいた。
 しかも、プロポーズの段階まで話が進んでいる?

「お相手はどんな人? わたしが知ってる人? あ、職場の人?」 

 美沙の顔が更に赤くなる。

「……(しゅう)ちゃん」
「え?」

 美沙の照れ顔とは逆に、紗英の心はズンと沈み込んだ。

 桧山秀一(ひやましゅういち)はお隣に住んでいる桧山家の長男だ。
 高村家の子供は、二十三歳の美沙と十四歳の紗英の二人だ。
 対して桧山家の子供も、高村家同様、二十五歳の秀一と十四歳の瞬平の二人。
 同じような子供構成もあって親同士子供同士も仲が良く、まさに家族ぐるみのお付き合いとなっている。

 紗英にとって十一も歳が離れている秀一は、オムツを替えて貰ったことさえある、兄というより父に近しい存在だ。
 そして同時に、現在進行形の初恋の人でもあった。

「そう……なんだ。おめでと、お姉ぇ」
「ありがと、紗英」
「え、でも、いつから?」
「一年くらいかなぁ。瞬ちゃんには速攻バレたけどね」
「なーんだ、瞬ちゃんも知ってたんだ。わたしだけ知らないって? もー、酷いなぁ。でも……良かったね」
「うん」

 紗英は、必要以上にハシャいでみせた。
 美沙も笑顔で応える。

 ――わたしは今、笑えているだろうか。泣いたりしていないだろうか。

 紗英は、湧き上がる複雑な思いを必死に抑えつつ、姉の惚気(のろけ)話を聞いた。

 ◇◆◇◆◇

「あっふ」

 翌朝。
 昨夜、遅くまで姉の惚気に付き合ってしまったせいで、朝から眠気が去らない。
 あくびをしつつ、クラス委員の仕事として教室で自主学習ノートを集めていた紗英のところに、同じクラスの男子生徒がやってきた。

「手伝うよ」

 一言だけ言うと、ノートの束をサっと持つ。

「……ありがと、瞬ちゃん」
「なぁに、たいしたことじゃない」

 たかがノートとはいえ、クラス全員分となるとそれなりに重い。
 それを全て桧山瞬平(ひやましゅんぺい)が持ってくれた。
 クラスメイトでもある、お隣、桧山家の二男だ。

 十四歳でありながら、百七十センチの長身。
 頭は普通だが、運動神経は抜群に良くて、バスケ部では期待の新星と呼ばれ、顔もそれなりに整っている。 
 クラス外にもファンがいるくらいモテる。

 もちろん、紗英と瞬平が幼馴染であることは周知の事実なのだが、二人が一緒にいることで特に女生徒の視線が集中するのは致し方ないところだ。
 ともあれ、瞬平のお陰で手ぶらになった紗英は、瞬平に礼を言って、二人で職員室に向かった。

「昨夜はずいぶん遅くまで起きていたんだな」
「え?」
「カーテンの明かりが漏れてた」
「そっか」

 高村家の子供部屋と桧山家の子供部屋は、丈の低い垣根を挟んでわずか一メートルの距離にある。
 しばらく黙って歩いた後、紗英がゆっくりと口を開いた。

「瞬ちゃんはいつから知ってたの?」
「秀兄ぃと美沙ちゃんのこと? 半年くらい前からかな。ほら、秀兄ぃは隠し事できるタイプじゃないから」
「なんで教えてくれなかったの?」
「言えるかよ……」

 それきり瞬平は黙り込んだ。

 ◇◆◇◆◇

「先生、自主学習ノート、持ってきました」
「あぁ、ありがとう高村さん。……っと、桧山くんもか。ありがとう。そこ、置いておいてくれる?」
「ん」

 担任が、何やらノートPCで作業をしながら、紗英と瞬平に指示をする。
 瞬平は黙って担任の机に自主学習ノートの束を置いた。
 ところが、紗英が教室に戻ろうとするも、瞬平が動かない。

「瞬ちゃん、戻ろ?」

 その声に、担任が顔を上げる。

「どうしましたか? 桧山クン」
「紗英に何か言うことあるんじゃないのか? 兄貴」

 担任、桧山秀一が、辺りを見回し、声を落とす。

「美沙ちゃんのことか? それはオレのプライベートな部分の話だ。瞬平、ここは学校だ。そういうことは学校で話すべきじゃない。それと、学校では『桧山先生』だ」
「紗英と美沙ちゃんは、たった二人の姉妹だ。付き合ってることくらいは事前に報告しておくべきだったんじゃないの? プロポーズまで進んでから姉経由で聞くって、幼なじみに対してちょっと冷たくないか?」
「瞬平、だからそういうことは……」
「瞬ちゃん、いいよ。もう行こ」

 紗英は瞬平を引きずって、教室に向かった。
 残された秀一は、去っていく二人を見つめ、軽くため息をついた。

 ◇◆◇◆◇

 コツン。

 その夜、紗英が机に向かって勉強をしていると、窓ガラスに何かがぶつかる音がした。
 カーテンを開くと、向かいあった隣の家の窓越しに瞬平がいた。
 紗英は窓を開けた。
 手を伸ばせば届くところに瞬平がいる。

「何?」

 紗英が瞬平に問いかける。

「紗英が兄貴のこと好きだったのは知ってる。長い付き合いだからな」

 紗英の顔が赤くなる。

「瞬ちゃん、何言ってるの? わたしは別に……」
「いいんだ、別に。確かに秀兄ぃは頭いいし、顔も悪くない。多少鈍臭いところはあるにしてもだ」
「瞬ちゃん?」
「でも!」

 瞬平が紗英の言葉を遮る。

「そんなお前をずーっと見てるヤツもいるってこと、忘れるなよ」
「へ?」

 窓が勢いよく閉められた。
 紗英は瞬平を呆然と見送った。

「えぇぇぇぇぇ?」

 紗英はしばらく窓を閉められずに、その場に立ち尽くしていた。

 ◇◆◇◆◇

 翌日紗英が自主学習ノートを集めていると、またも瞬平が手伝ってくれた。

「あ、あの、瞬ちゃん?」

 瞬平は黙ってノートを全部持って、さっさと職員室に向かう。
 紗英が慌てて追いかける。

「失礼します。桧山先生、ノート持ってきました」
「あぁ、ありがとう。貰います」

 秀一がノートを受け取る。
 紗英、秀一、瞬平。三人が三人とも目を合わさない。
 奇妙な沈黙が流れる。

「あの!」

 沈黙を破るように、紗英が口を開く。
 秀一と瞬平が紗英を見る。

「おめでとうございます。姉を……よろしくお願いします」

 紗英がぺこりと頭を下げる。
 ホッとしたのか、秀一の顔が緩む。

「もちろん。これからもよろしくね、紗英ちゃん」

 紗英は再度礼をして、職員室を出た。

「やればできんじゃねーか」

 教室に向かって歩きながら、さっきまでずっと黙っていた瞬平が口を開く。
 だが、その視線は前を向いたままだ。

「ありがと、瞬ちゃん」
「なぁに、いいってことよ」
「瞬ちゃん……」
「なんだよ」
「前向きに、検討させていただきます……」
「は? え? いや、ちょっと!」

 紗英は言うだけ言って、教室まで走った。
 置いてけぼりにされた瞬平は、顔を真っ赤にして、その場で頭を掻いた。

 ◇◆◇◆◇

「あれは……」

 保健室の窓から外を見ていた秀一が、校医の先生の淹れてくれたコーヒーを飲もうとカップに口を近づけた瞬間、その手が止まった。
 
「どうなさいました? 桧山先生」

 自分の分のコーヒーを持った、若い美人の校医が秀一の隣に立った。
 秀一は無言で窓の外を指差した。
 指の先に、自転車を押して帰っている男子生徒と、その隣で仲睦まじく一緒に歩く女子生徒の姿が見える。

「わたしの不詳の弟・瞬平と、貴女の妹さんが仲良く二人で歩いているんですよ」
「紗英が? ようやくその気になったのかしら」

 美人女医、美沙が慌てて目を凝らす。
 その指には、秀一に渡された婚約指輪がまぶしく光る。

「アオハルだなぁ……」
「アオハルですねぇ……」

 婚約したばかりで自分たちも幸せを謳歌しているはずの桧山秀一と高村美沙は、揃ってコーヒーを口にしながら、晴れてカップルとなった弟妹たちの幸せを微笑みつつ見守った。


END