昼下がりの市場は、焼き立てパンや果物の甘い香りでにぎわっていた。
春香は布袋を抱え、隣のヤコブと並んで歩く。

「このリンゴ、すごく赤いですね」
「ええ、焼き菓子にしたら映えるでしょうね」

そんな会話をしていた、その時だった。

「きゃあっ!」
通りの向こうでマダムが悲鳴を上げ、男がカバンを奪って走り出す。

「待て!」
ヤコブが即座に声を上げる。
「春香はここで待機を!」
短く指示すると、一直線に犯人を追った。

狭い路地を抜け、ヤコブが腕を掴んで取り押さえる。
だが、男はナイフを振り回した。
刃先がかすめ、ヤコブの頬に赤い線が走る。

「ヤコブさん!」
追いついた春香が青ざめて駆け寄る。
「大丈夫ですか!?」

「……かすり傷です」
冷静に答えながらも、頬から血がにじんでいた。

その時。

軍服姿のヨハネ指導官が現場に駆けつける。
「ヤコブ! すまない!」 
ヨハネは男の上にまたがり、縄で拘束する。

  
 空からは、朱色の大きな鳥影がすぅっと降りてきた。
「おいおい、ヤコブ! 顔に怪我してるじゃねぇか」
不死鳥が羽を広げ、ふわりとヤコブの前に舞い降りる。

「……しゃ、喋った!?」
春香が目を見開いた。

「なんだ?お前……ん?どっかで会ったことあったか?」
「……俺は三百年生きてるからな。話せて当然だ」
冗談めいた声とともに羽が光り、ヤコブの頬の傷がすぅっと塞がっていく。

「ありがとう、マリア」
「その女みたいな名前で呼ぶなって言ってるだろ!」

やり取りに春香は呆然とする。

その頬を、春香はためらいながら指でそっとなぞる。
「もう……血も止まってますね。よかった」
 
ヤコブは咄嗟に視線を伏せ、春香の手を優しく握り下ろした。
「心配をかけましたね」
 
不死鳥が口を開く。
「なんだ? この女、お前のつがいか?」
 
一瞬、空気が止まる。
 
「黙れ」
ヨハネの低い声が飛ぶ。 
「ヤコブすまなかった……後はこちらで引き継ごう」
不死鳥は「ちぇっ」と翼をすぼめた。
  
「さっさと歩け」
ヨハネは男を連れて行く。

市場のざわめきが戻る中、春香の胸の鼓動だけがやけに速く響いていた。

 
───
 

 帰り道。

「すみません……面倒事に巻き込んでしまって」 
「いえ……ヤコブさんの傷が治ってよかったです」
 
「霊獣って人の言葉話せるんですね……びっくりしました」  
「霊獣にもいろんな個体がいて、伝書バトのように人語を話さない個体もいます……何百年も生きた者は、言葉を覚え、使える魔法も増える事があります」
「……すごい」
春香の小声に、ヤコブは少しだけ笑みを浮かべた。

「この国の人は皆、霊獣使いになれるんですか?」 
「霊獣使いは誰もがなれるわけではありません。血筋の影響も大きい。私の一族は鳥との契約が多いのです。姉はカラスと、父はコウノトリと契約し……物流を支えて商人として成功しました」

ヤコブがふと、昔を振り返るように語り始める。
 
「……私は最初伝書バトのナナと契約しましたが、
今のように手紙を運ぶのが上手ではなく、よく紛失して、仲間からは“使えない霊獣使い”なんて言われました」

春香は驚いた顔でヤコブを見る。
「ヤコブさんが……? 信じられません」

「だから必死に練習しました。視界共有も、剣術も……。なんとか今の立場になりました」
ヤコブは淡々と話すが、その背中には確かな努力の重みがある。

春香はしばらく黙って聞いていたが、やがて柔らかく笑う。
「……でも、その頑張りがあるから、今のヤコブさんがいるんですね」

ヤコブは少し照れくさそうに視線を下に向ける。

 
 春香は、何気ない調子で続けた。
「そういえば……ヤコブさんに子どもができたら、どんな鳥と契約するんでしょうね」

「……え?」
ヤコブの足が止まる。

春香は気づかずに、楽しげに言葉を紡ぐ。
「女の子だったら……雀とかツバメとか可愛いですよね。
 男の子だったら、大鷹……鷲とか?……かっこいいです」

くるりと振り返った春香は、ヤコブが顔を赤くしているのに気づき、首をかしげる。
「……あれ? どうかしました?」

「……な、なんでもない……」
耳まで赤く染めたヤコブの姿に、春香は思わず小さく笑った。

二人の距離は、夕暮れの道の中で少しずつ縮まっていく。



───
 
 霊獣管理協会本部。
  
不死鳥が口を開く。
「なぁ……ヨハネ……ヤコブと一緒にいた女、霊獣使いじゃないよな?」
「そうだ。一般の方だ」
 
「……だよなぁ。昔あの女、見たことある気がするんだよなぁ……俺の相棒が好きだった霊獣使いに似てる」 
「いつの話だ」
 
「140年前の終戦の時……」 
「そんな訳ないだろう」 
「お前ら霊獣と同じにするな……人間は80年近くしか生きられない」
「そうだよなぁ……似てるだけだよなぁ」

 
不死鳥はふわりと窓の横に着地する。
 
「まぁ……戦死したからな……ミルカは」

  
夕陽を眩しそうに不死鳥は眺める。

 


続く