翡翠の一輪花【完】



***


襖が開いた瞬間、宴会場のざわめきが一瞬だけ止まった。


視線が集まるのは分かっているのに、そのほとんどが遠く感じる。

………ただひとり、視界の奥にだけ意識が引っ張られた。



――葵。


その姿が視界に入った瞬間、息が止まった。


(……いる)


………分かっていたはずなのに、現実として認識するまでに少しだけ間があった。


ピタッと足が止まって、
胸の奥が、嫌なほど強く跳ねる。







───徐々に上げた視線が、ふと交差する。

目が合った瞬間、葵は一瞬だけ動きを止めたあと、ほんの少しだけ表情を緩めた。


「翡翠────」


ぽつりと、つぶやかれた私の名前。
その声は、低く、どこか甘さを孕んでいた。


「……やっと、会えた」


続けられたその一言で、胸の奥が不意に熱くなる。


………責められると思っていたのに、違った。

………声の温度が、想像とまったく違う。



「ほんとに戻ってきたんだな」


私の存在を”確認”するんじゃなくて、”噛みしめる”みたいな言い方。

どこかほっとしたような、信じたくても信じきれなかったものがようやく形になったみたいな………そんな声。



「……うん」

………やっと出た声は、自分でも驚くほど小さかった。



「………5年だぞ」


少しだけ沈黙があって、それから葵は困ったように息を吐いた。


────五年。
その数字が急に重くのしかかる。


「長ぇよ……ほんと」


責めているわけじゃない。


ただ、ずっと言えなかったことをようやく口にしたみたいな声。

………そのあと、少しだけ間を置いてから言葉は続いた。



「────心配、した。」


その言葉に、胸の奥がきゅっと締まる。

(それって……)


「……ごめん」

気づけば、そう言っていた。

───そして、次の瞬間。



「謝んな」



ボソッと、葵がつぶやいた。

でも、今度はきつくない、
むしろ、少し笑っているみたいな声だった。


「………反省してんなら、一生俺のそばから離れるなよ」



その言葉が、やけに真っ直ぐで。
……これ以上ないくらい、胸が高鳴った。



「……葵」


ゆっくりとその名前を呼ぶと、ようやく葵はしっかりとこちらを見た。

その目は、さっきよりずっと柔らかい。



「なんだ?」


短い返事なのに、距離はない。

むしろ、やっと手が届いたみたいな近さ。



「ごめん、ね………」

「……なんだよ。さっきから謝ってばっかでお前らしくねぇ」


不思議そうな顔をする葵に、苦笑を返す。





……でもね、葵。

私が姿を消したのは、半分葵のせいなんだよ。


────葵が、私の心をかき乱すから。