SKホールデイングスは不動産開発事業を主軸にさまざまな事業展開をするグローバルな企業で、秘書時代由里は会社のイベントの仕切りを任されることが多かった。

イベントと言っても50周年の記念のパーテイーとか、不動産の開発業の会社だったので一つのプロジェクトが完成した時のお披露目のイベントや開発した地域にどんな店舗を呼ぶべきかなど、本来は企画部の仕事であるような事を仕切ることもあった。

上司の相馬はここニューヨーク本社の取締役専務で企画開発部も統括していたので、そのサポートや仕切りを任されるのだ。

そんな関係でほかの役員のご家族とも親しくさせていただいてホームパーテイや結婚式まで相談に乗ったりすることもある。

また行きつけの店舗が立ち退きになり店舗移動の相談に乗った事もある。

お店のコンセプトや内装までプランニングした。

客層を少しハイクラスに設定してメニューや価格設定までかかわった。

その店は今も以前より繁盛している。

秘書業務に加えてそんな仕事も楽しく、ほとんど休みなくニューヨークに来てからの4年間を突っ走ってきた。

上司であった相馬は温厚で優しかったが、仕事には厳しく新卒で入社していきなりの秘書業務であったが、彼は容赦なく由里に、指示した以上の仕事をすること、そして成果を上げることを要求した。

泣きたいほど辛い事もあったが由里は絶対泣かなかった。

歯を食いしばり相馬に食らいついていった。

そんなガッツを認めてもらえてニューヨークに栄転になったときも声をかけてもらったのだ。

日本に何の未練もなかった由里は迷うことなく相馬についてきた。

ニューヨークが本社の会社なので日本支社にも外国籍の社員が多く働いていたのでスタッフ同士英語で話すことも普通だった。

由里は大学時代に英語、フランス語、中国語の3ヶ国語を習得していた。

特に中国語が話せることが強みになった。

受けたほとんどの会社で内定をもらったが、外資系のグローバルな企業であるSKホールデイングスに入社を決めた。

ニューヨークに本社があるというのも魅力だったのだ。