グランマはいろいろな種類のジャムが売ってるお店が気に入って、重いだろうに近所の人達のお土産にとたくさん買っていた。

ブラウニーの専門店やイタリアンの食材なども手に入る。

何時間も4人であちこち回ってお腹いっぱいと言いながらスイーツも食べてほんとにはちきれそうになりながら、ペントハウスに戻ってきた。

夜は軽い物しか入らないだろうとグランパの好物の温かい素麺と野菜の煮物にした。

そういえばグランマは近所の主婦に乞われて日本食の料理教室を週一で開くことにしたそうだ。

だから日本食の調味料をたくさん送ってもらうのに、カサブランカ東京の和食レストランのシェフに出入りの業者を紹介してもらって、グランマの欲しい調味料や乾物などをダブリンまで必要な時に送ってもらえるようにリアムが話を付けてくれた。

それなら市価よりも安く入るので由里も東京に行くときには予め手配をしてもらって、持って帰ることができるようになった。

次の日は、相馬夫妻に息子の健吾、裕司とシスターマザー母娘、ケンとミッシェル、グランパにグランマ、リアムと由里も入れて総勢12名で、真理子のご主人のイタリアンのお店に集まって貸し切りで、庶民的な食事会をした。

グランマもシスターマザーも相馬の奥様も女性陣には和風パスタやピザが大好評で、皆レシピをジョンに教えてもらっていた。

そして、みんなは式の後3日後にまたプライベートジェットに乗って東京に戻っていった。

リアムと由里は食事会の後グランパ達とロングアイランドの自宅に移動して、4人でゆっくりと過ごした。

そしてグランパ達と一緒にダブリンにハネムーンに行った。

ダブリンで3日過ごした後ロンドンに2泊してユーロスターでパリに移動した。

カサブランカホテルニューヨークの次の候補地はパリらしい。

そこで買取を検討しているホテルの視察も兼ねているのだ。

由里は結婚後RKOの企画部門に非常勤で籍を置き、うさぎ屋のパリ進出の相談に乗ったり、2年後にオープン予定のカサブランカ・NYの内装や様々な企画に携わるようになった。


2年後カサブランカ・NYがオープンするころには、二人の長男クランがちょうど1歳になっていた。

クランはグランパがつけたゲール語で木という意味だそうで、木のようにまっすぐと育ち枝を伸ばして大きな木に育ってくれるようにという意味を込めたそうだ。

「木ってさすが大工のグランパだよね」

と言って二人で納得したものだ。

でもいい名前を付けてもらったと思っている。

クランはパパそっくりできっと大きくなったら女泣かせになるに違いないと、ケンやミッシェルに言われている。

由里はクランに女性を泣かせないように誠実に付き合うように、教えなければと肝に銘じている。

リアムはホントに育児にも積極的でこんなに家庭的な夫になるとは、だれも思っていなかった。

クランが生まれたのをきっかけに、由里とリアムはロングアイランドに生活の諸点を移した。

クランをのびのびとした自然の多いところで育てたかったからだ。

グランパとグランマはクランにもう夢中で生まれたときには1カ月ロングアイランドの自宅に滞在して、新米ママの由里を助けてくれた。

帰るときには二人とも涙を流していた。

グランパが泣くのを初めて見たと、リアムはびっくりしていた。

それだけクランとの別れが寂しかったのだろう。

でも、こっちに来て住むとは言わなかった。

死ぬときはアイルランドでと決めているようだ。