「おぎゃあ! おぎゃあ!」
「あぁ、お嬢様! 無事にお生まれになりましたよ!」
あの小さかったお嬢様が、とうとう母親になられた。
それにしても、なんて可愛らしい赤ん坊。
薄い金髪に、瞳の色は……はっ!
「はぁ……どっち? あの――人――が――言って――いた――の。男――の子――なら――サラステル――と――」
「お嬢様。お子は――お嬢様? お嬢様!」
「あぁ……顔を――顔を――見せ――」
ここまで衰弱されているとは。
お嬢様はもう腕を上げることもできないご様子。
横たわったお嬢様によく見えるように赤ん坊を近づける。
「あぁ……! やっぱり! あの人――と――同じ――瞳――はぁ――時間が――ないわ。はぁ――アレを――使わな――きゃ――ベ――ティ」
「はい。お嬢様」
お嬢様がリドリー伯爵に嫁がれてからも、肌身離さず大切にされていた物。
メイフィールド子爵家に代々伝わる古代魔法で作られた物。
極秘出産をするために、リドリー伯爵には療養と偽って、この鄙びた田舎の家に隠れ住んで、もうすぐ三ヶ月になる。
嘘が本当になってしまって病に倒れたお嬢様の病状は、この一、二週間で劇的に悪化してしまった。
お嬢様は、「嘘をついた罰だわ」とおっしゃっていたけれど、私に言わせれば何もかもリドリー伯爵のせいだ。
メイフィールド子爵家の窮状を知って、お嬢様に強引に結婚を迫った酷い男。
結婚して半年で生まれたとなれば、結婚前の不貞が明らかになりお嬢様の名誉に傷がつく。
お嬢様はご実家のことを心配されて、医者にかかるのも最低限になさった。
そのせいでお命を危うくされるとは。
お嬢様は決して不貞などなさっていない。将来を誓い合ったお相手との間にできたお子だ。
そのお相手が不在の間に、横恋慕をしたリドリー伯爵が、メイフィールド子爵家の借金を勝手に返済して結婚を迫ったせいでこんな目に遭われている。
「きっと――このために――お祖母様が――はぁはぁ――持たせて――くださったんだわ。あぁ――可愛い――私の――赤ちゃん――ほうら――大丈夫よ――あなたが――本物の――家族と――出会えるまで――この魔法が――あなたを――守って――くれるわ」
お嬢様が気丈にも体を起こそうと腕を伸ばされたので、慌てて赤ん坊をベッドに寝かせて、お嬢様の体を支えた。
そしてクリームの小瓶のようなソレを、蓋を取ってお嬢様にお渡しする。
赤ん坊をお嬢様のお腹のあたりに近づけると、お嬢様は瓶の中から軟膏を掬い取るような仕草で何かを指に載せられた。
お嬢様の指の上にはキラキラと輝く透明な何かが乗っていた。
半信半疑だったけれど、魔法は本当にあったのだ。
「ほうら――古代の――魔法使い――様が――願いを――叶えて――くださる――どうか――どう――か――この子の――瞳の――色を――げほっ。げほっ」
「お嬢様!」
「うぅぅ。どうか――どうか――」
お嬢様は震える指で赤ん坊の両方の瞼をなぞられた。
輝いていたものは赤ん坊に吸収されるように見えなくなった。
「お嬢様!」
お嬢様の腕がぽすんとベッドに落ちた。
「ベティ――お願い――この子を――伯爵に――みつから――ない――逃げて――この――お金で――お願い――この子を――これを――この子――に」
「お嬢様!」
お嬢様はネックレスに手を伸ばそうとなさって、最後まで言い終えることなく静かにこの世を去られた。
◇◇◇ ◇◇◇
「おい! サリー! 捨て子のくせに生意気だぞ! さっさと薪を持って来いよ!」
「そうよ! あと、水汲みももう一回行って来なさいよ!」
あー。また始まったよ。
ほんと、この兄妹は怠け者だな。
一応義理とはいえ私も同じ兄弟として育てられたんだけどな。
しかも私、まだ八歳だよ?
こんな小さな体で運べる水なんて、たかがしれているのに。
まあ、私をこの家に引き取ること自体、母親は最初から嫌がっていたらしいからね。
裕福とはいえない平民の家じゃ、食い扶持が一人増えることはインパクト大だもんね。
ベティばあちゃんのいないところじゃ、母親も私を露骨に避けて、「余計なお荷物」だの「ストレスの元凶」なんて言っていたから、それを側で聞いていた兄妹が毒付くのも無理はないか。
ばあちゃんが寝込んでからは食事を用意してくれないことも増えた。
はぁ。
これ――普通の子どもなら、肉体的にも精神的にも病んじゃうよ?
私は転生者だから何とか持ち堪えているけどね!
自我が芽生えた――という言い方が正しいかどうか分かんないけど、まだ周囲がぼんやりとしか見えない赤ん坊に転生していた時には、驚いてギャン泣きしたもんね。
八歳まで過ごして分かったことは、私たちはカルメロ王国の国民で、王都郊外に住んでいる平民だということ。
義理の父親は出稼ぎに出ていて、私たち一家は畑で野菜を作りながら、ほぼ自給自足の生活をしている。
そして私は、ベティばあちゃんがどこかから拾ってきた捨て子なのだ。
捨て子とはいえ、おくるみの中にまとまったお金が入っていたらしいので、金持ちの家の旦那が愛人に産ませた子どもなんじゃないかと母親は言っていた。
「あんな端金じゃ養育費になりゃしない」
母親はそんなことを言っていたけど、ばあちゃんはいつも、
「心配いらないよ。事情があってあんたを育てられなかったお母さんが、大人になるまで何不自由なく暮らせるだけのお金を持たせてくれているからね」
って言っていた。
断然、ばあちゃんの方を信じる!
服とか靴とか、そういう買い物をする時は、必ずばあちゃんが最初に私の物を買ってくれた。それからついでという感じで兄と姉の物を買っていた。
あーそうか。
そういう(捨て子のくせに)末っ子だからと可愛がられたことも私を嫌う理由かもね。
せっかく異世界に転生したのに、食べて成長するだけの人生かぁ――と自暴自棄になりかけた時もあったけれど、優しいばあちゃんのお陰で、グレたりせずに真っ当な人間に育つことができた。
それに転生チートというやつなのか、教わってもいないのに文字の読み書きができた。
どうやら言語関係はグー○ル先生並みにいけるらしい。
そんな感じで平凡な人生を生きていこうとしていたのに、何やらきな臭い動きをキャッチしたんだよね。
原因は横になったままのばあちゃんだ。
この一家は長いこと、ばあちゃんの稼ぎに依存していた。
だから娘(私の義母)も孫(義理の兄妹)もばあちゃんには逆らえずにいた。
そんなばあちゃんだけど、ここ数日で体調がみるみる悪化し、明日をも知れぬ状態になってしまった。
血のつながった娘なのに、母親たちは既にばあちゃん亡き後のことを、こそこそ相談している。
「母さんの性格なら、まだお金は残っているはずよ」
「おばあちゃんの部屋に隠してあるのかな?」
「ねえ、もう探しても邪魔されないんじゃない?」
病人が寝ているのに、バタバタ家探ししようなんて、よくそんなことを考えられるよね!
ばあちゃんがいなくなるかもって考えただけで、私は泣きたくなるのに。
でもなぁ。
実際問題、私はばあちゃんと一蓮托生だからなぁ。
ばあちゃんがいなくなれば、おそらく私はこの家を追い出されると思う。
養う義理なんかないもんね。
ばあちゃんが気まぐれで拾ってきた子どもだから。
八歳でどうやって生計を立てていけばいいんだろう?
前世の知識なんてこの世界じゃ何の役にも立たないし。
はぁ。お先真っ暗じゃん……。
もし本当にお金がまだ残っているとしても、私が持っていたって、この家の人間か、どこかの悪党に取られると思う。
俺TUEEE的なチートはもらっていないので。
ばあちゃん!
せめて私が独り立ちするまでは生きていて!
なんだか無性にばあちゃんと話がしたくなって、部屋を覗いてみた。
寝ているかと思ったら、ばあちゃんはベッドの上で縫い物をしていた。
「ばあちゃん、縫い物なんかしちゃ駄目だよ!」
「今日は何だか体が軽く感じるんだ。私はもう長くないからね。こんなことしかしてやれない。お前の母親との約束を果たせないと思うと情けなくて、あの世で合わせる顔がないよ」
私の……お母さん。
「ねえ、ばあちゃん。本当に私のお母さんを知っているの? 母さんや兄ちゃんは、私は道端に捨てられていたって言ってるよ?」
「もう、あの子達は本当に仕方がないねえ。そんなこと信じちゃ駄目。いいかい、サリー。お前は愛されて生まれてきたんだよ。お前の母親は息を引き取る最後までお前の幸せを願っていた……」
ばあちゃんは私の本当の母親のことを話す時、嬉しそうな、それでいて悲しそうな目をする。
どんな人だったのかなぁ……。
「ふう。こんなものかな。見てごらん。綺麗だろ? お前の母親が残してくれたペンダントだよ」
ばあちゃんはそう言って、大きな宝石のペンダントを手のひらに乗せて見せてくれた。
紫色の宝石? なんて言うんだっけ? ええと、ガーネットかな?
それにしても今までどこに隠していたんだろう。
よく母親に見つからなかったなぁ。
「この紐付きの小袋に入れておくから、お腹に巻いて誰にも見せるんじゃないよ。とっても大事な物だからね。母親の形見なんだからね」
「うん」
「ほら。上着をまくってごらん。お腹に巻いてあげるから」
なんか昔のスリ対策みたいではずかしい。
でもこの世界じゃこれくらいしないとヤバいってことは分かる。
「ありがとう、ばあちゃん!」
「うん。うん。大事にするんだよ。いつかお前の――うっ」
「ばあちゃん?」
ばあちゃんが急に胸を押さえて苦しみだした。
どうしたらいいの? こういう時はどうするんだっけ?
救急車も呼べないこの世界で、どうすればいいの?!
「お、お母さん! お母さん!!」
結局、母親を呼ぶしかできず、その母親もどうすることもできず、あっという間にばあちゃんは旅立ってしまった。
近所の大人たちの手によって、ばあちゃんは埋葬された。
共同墓地と言うのも憚られるような、ただ遺体を埋めるだけの場所。
墓石はなく、所々に名前の書かられた木片が立っているくらい。
もちろん母親は木片なんて用意していない。字も書けないしね。
私は慌てて野花を摘んできてお供えした。そんな私を母親が白けた顔で見ている。
今日のところはこれくらいしかできないけれど、明日は綺麗な石を見つけて、おばあちゃんの墓標にしなくっちゃ!
「お前にとっては、そこら辺の花を供える程度の気持ちしかないのかい?」
「え?」
母親の言葉に耳を疑った。
自分の親が亡くなったというのに涙一つ見せない人間が何を言ってんの?
「ついて来な」
「……」
「お前は母さんに拾われなかったら死んでいたんだよ? もっと綺麗な花を供えてやるべきだろ?」
「綺麗な花?」
母親はそれきり何も言わずに歩き出した。
どこへ行くんだろう?
兄妹たちは先に家に帰ったので、私と母親だけがとぼとぼ歩いている。
集落を離れて歩き続け、気がつけば森の中へと入り込んでいた。
あれ? この森って、入っちゃいけないんじゃなかった?
ばあちゃんからは絶対に近づくなって言われていたんだけど?
「母さん?」
「ここで待っているから、綺麗な花をさがしてきな。人が立ち入らないから、あの向こうには珍しい花が咲いているのさ」
え?
そうは見えなかったけど、この人にも故人を悼む気持ちがあったってこと?
「分かった」
まだそれほど深く分け入った訳じゃないから、最悪、置き去りにされても一人で戻れる。
母親の言うことは信じられないけれど、せっかくここまで来たんだから少し探してみよう。
あまり奥に進まないように気をつけていたというのに。
……不覚。
探してもどこにも花が咲いていなかったので、元来た道を戻ったつもりが完全に迷っている。
もう! 前世の方向音痴のまんまなの?
異世界に転生したならイーグルアイとか、チート能力が欲しかったよ。
迷ったと気づいた時は、既に散々歩き回った後……。
こういう時、前世なら助けを待って動かない方がいいんだろうけど、ここじゃ助けは来ない。
やっぱり母親は私が迷うと思って連れてきたのかな。
日が暮れたら動物が出てくるよね。
本当にどうしたらいいんだろう。
サバイバル関連の知識は皆無だよ。
せめて一晩凌げるような大木のうろとか、洞窟を探すべきかな……。
取り止めのないことを考えながら歩いていると、磁石にでも吸い寄せられるように体が運ばれていく。
え? どうなってんの?
ぐいぐい引っ張られるような力がどんどん強くなって、無理やり早歩きさせられている!
「うわっ」
ブワンと一陣の風が吹いたので目を覆うと、体を吸い寄せていた力がピタッとなくなり自由になった。
目を開けると、地面が輝きを放っていた。
「え? この模様って――魔法陣? この世界って魔法があるの? どうしてこんな所に? あ! だから、この森のことをみんな、『古代の森』って呼んでいたんだ! 昔は魔法があったんだね! ん? あれ?」
急に全身が眩い光に包まれた。
「な、なんで? あ!」
魔法陣が大きすぎて、自分の足がその外周の模様を踏んでいることに気が付かなかった。
「これって――どうなるの?」
グワンと圧力のようなものを感じて、意識が薄れていく。
何だかじんわり温かくていい気持ち……。
◇◇◇ ◇◇◇
目を覚ますと見知らぬ部屋にいた。
また転生し直したとか言わないよね?
「ん?」
体を起こして確認すると、着ていた服は脱がされ、部屋着のようなワンピースを着せられている。
お腹にはちゃんと小袋が巻きつけてあった!
よかった。取られなくて。
――ということは、再転生した訳じゃなさそう。
そして金目のものを奪うような人に助けてもらった訳でもなさそう。
部屋は十畳以上は余裕である広さで、デザインや調度品は、イギリスのマナーハウスみたいだ。
転生してから一番上等な部屋にいる!
これって、どういう状況?
ベッドから下りようと思って床を見たら、ふかふかの絨毯の上に豪華な刺繍がされたスリッパが置かれていた。
履いていいってことだよね?
スパイのように窓際に立って、カーテンを少しだけずらして外を覗くと、美しい庭園が広がっていた。
お金持ちの大邸宅確定。
それにしても、人の気配がないんだけど。
もしかして廊下に見張りとかが立ってんのかな?
いつかは対面しなきゃいけないんだから、いるなら聞いてみるか。
そう思ってそうっとドアを開けたら、誰もいなかった。
「よそ者に警戒心なさ過ぎじゃない?」
廊下もふかふかの絨毯が敷かれている。
そのせいで足音が響かない。
「おーい!」と大声を出したくなる。
叫んだら、あたふたと誰かやって来るかな?
廊下の真ん中に階段があった。
ここって何階?
とりあえず下に降りてみよう。
「うわっ」
「きゃっ」
びっくりした!
踊り場にさしかかった時に、下から上がってくるメイドさんと鉢合わせをして、お互いに声を出して驚いてしまった。
「あっ。失礼しました。それよりもどうされました? 何かお探しですか? 必要なものがございましたらおっしゃってください」
メイドさんの方が先に立ち直って私のことを気遣ってれた。
すごい。プロだなぁ。
いや、それよりも、ここはどこ?
「あのう。私、どうしてここにいるんですか? というか、ここってどこなんですか?」
「あっ。そうですね。まずはお部屋に戻りましょう」
「はい」
勝手に出歩いてすみません。
もう一度階段を登って廊下に出ると、もうどの部屋から出て来たのかわからない。
メイドさんが案内してくれなかったら戻れなかったよ。
部屋に入るとソファーに座らされた。
さっきはよく見なかったけど、ベッドだけじゃなく、ソファーとかテーブルとかまで一式揃っていた。
「それでは私は旦那様にお客様がお目覚めだと伝えてきますので、少々お待ちください」
「はい」
……『旦那様』。
お金持ちのお爺さんかな?
よからぬ性癖の持ち主だったらどうしよう。
いやいや。
お腹のペンダントを取らなかったんだから、大丈夫なはず……はず……だよね?
すぐに呼んでくれると思ったけど、なかなか現れない。
お忙しい方? 仕事中? それとも時間を空けるのがマナーとか?
偉い人と対面する時のお作法を知らないけれど、お行儀よく座っていればいいのかな?
どれくらい時間が経っただろう?
体感で三十分以上は経ったと思う。
普通の子どもなら私みたいに同じ姿勢を保ち続けられないと思うよ。
もういっそ崩しちゃう?
よし、崩すぞ、と決心したところで、トントントンとノック音が聞こえて慌てふためいてしまった。
ドアを開けられていたら、みっともない姿を見られていたと思う。
「旦那様がお会いになるそうです」
さっきのメイドさんの声だ。
ドア越しの伝言で助かった。
「入りますね」
「はい」
優しい笑顔のメイドさんが部屋に入ってきた。
「では、お支度をお願いします」
お支度?
……あ。今着ているのって部屋着だもんね。
メイドさんが持ってきてくれた服は、私には少しだけ大きかったけれど、まあ、大は小を兼ねるから問題なし。
子ども用の服なので、生地とデザインが豪華なだけで、脱ぎ着しやすいシンプルなものだった。
「それでは一階の応接室まで参りましょう」
「はい」
ちまちまと歩く私の歩幅に合わせて、メイドさんもゆっくりと歩いてくれる。
案内してくれた応接室のドアは、普通の部屋のドアと違って、二枚が両開きになっている。
ひぇっ。
「それでは声をかけますよ?」
メイドさんが小声で囁いた。
「はい」
私も内緒話をするように小さく返事をした。
「旦那様。お客様をお連れいたしました」
中から男性の声で、「入りなさい」と指示があった。
メイドさんはドアを開けてくれただけで中には入らないらしい。
彼女に促されて一人だけ部屋に入る。
うわぁ。
豪華絢爛。お金持ちの部屋だ。
インテリアに詳しくない私にも「豪華」であることが一目瞭然。
「コホン。そちらにおかけください」
ドアの近くに立っていた初老の男性にそう言われてソファーの方を見ると、若い男性が座っていて微笑を浮かべていた。
この人が旦那様?
私が立ち尽くしていたので、初老の男性が、もう一度咳払いをした。
はいはい。今、行きます。
ソファーに座って、向かいの若い男性を改めて見ると、結構なイケメンだった。
この世界が異世界だってことは分かっていたけれど、銀髪の人は初めて見た。
それに瞳の色が私のペンダントと同じ紫色だ。
お人形さんみたいな人間が実在している。すごいな、異世界。
「怖がらせちゃったかな? 心配しなくていいよ。君は客人としてこの屋敷にいるんだからね。あ――ええと――私の言葉は分かるかな?」
あ、そういうことか。
メイドさんと会った時に違和感を感じたんだけど、それが何かやっと分かった。
言葉が違ったんだ。
何の問題もなく会話ができたから驚きもしなかったけれど、これまで使っていた言語とは違うと、どこかで気がついていたんだ。
じゃ、ここは言語自体が違う場所ってこと?
「はい。分かります」
「そうか。よかった」
男性は心底ほっとした様子で、「お客様にお茶を」と、ドアの側に立っていた初老の男性に命じた。
執事っていうやつかな?
「かしこまりました」
そう言ってドアを開けると、すでにメイドさんが二人スタンバッていた。
仕事のできる人たちだ!
フルーティーな香りの紅茶が高価なティーカップに注がれて私の前にサーブされた。
クッキーも四種類並べてくれた。
「食べながらでいいから質問に答えてくれるかな?」
「はい」
「長い間眠っていたから喉が渇いただろう。まずは紅茶を召し上がれ」
「はい」
落とさないようにおそるおそるティーカップを持ち上げて一口飲むと、芳醇な香りが鼻に抜けていく。
美味しい!
本当だ。私、喉が渇いている。
ゴクゴク飲まなかったのは私が大人だからだ。本当の子どもだったら一気飲みしているね!
そしてクッキーも美味しかった。一口食べると空腹であることを実感させられた。
さすがに空腹には勝てなかった。
バリボリと食べ進めてしまった。
「ははは。そうだね。お腹も空いているよね」
美丈夫な旦那様が何やら目配せをしている。
「ふふふ。気にせず全部食べていいよ」
お! 太っ腹だね。
じゃあ遠慮なく。
紅茶もお代わりしてクッキーを完食した頃に、ベーグルサンドのようなパンが運ばれてきた!
手に取ってみると、丸パンにハムとレタスを挟んだものだった。
こんなの、生まれ変わって以来、初めて食べるよー!
上流階級の人の前なので、お行儀よく食べようと思うのに、子どもの空腹というのは、それを上回る意地汚さを持っているらしい。
ハグハグモグモグと頬張ってしまった。
そんな私を旦那様は何も言わずにニコニコと眺めている。
ひとしきり食べて満足すると、頃合いを見計らっていた旦那様から最初の質問がとんできた。
「満足してもらえたかな? それじゃあまずは名前を聞こうか」
ごくん。
「はい。私はサリーといいます」
「サリー。そうか、サリーか……いい名前だな」
「……? ありがとうございます」
サリーなんてありふれた名前なのに、何を感慨深そうにしているんだろ。
「どこから来たんだい?」
どこ? うーん。あの村に住所なんてなかったからなぁ。
「どう説明していいか分からないのですが、カルメロ王国の田舎の村に住んでいました」
「カルメロ王国だって?!」
「はい」
え? なんかまずかった? 戦争しているとかじゃないよね?
「懐かしいな。私も兄も留学していたんだよ? それにしても、そんな遠いところからどうやって来たんだい? いや、そもそも一人で来た訳じゃないよね? 誰と一緒だったのかな? どうして別れちゃったんだい?」
えーと。えぇぇ。一人ぼっちだったんだけど。
「私もどうしてこんなところにいるのか分からないのです。森の中で大きな魔法陣を見つけて、気がついた時にはその魔法陣をうっかり踏んでいて。それで気がついたらこの家の一室に寝かされていました」
何を言ってんだ? って思われるかもしれないけれど、真実だからね。
「魔法陣!? おぉぉ。それはすごい。カルメロ王国にも残っていたのか……。じゃあ、君は家族と離れてこんな遠いところまで転移させられたのか。うーむ。どうしたものかなぁ」
まさか家族の元に返さなくちゃとか、考えている?
戻す方法ってあるの?
あったとしても受け取りを拒否されると思うけどな。
あの人たちにとっては私は家族じゃないし。
「あの。そのことなんですが。そもそも私は孤児で、拾ってくれた祖母が亡くなったため、森に捨てられたのです(多分)。なので、今頃あの人たちは、私がいなくなって喜んでいると思います。万が一、あの人たちのところへ帰ることができたとしても、家族として受け入れられるとは思いません」
私はただ事実を述べただけなのに、旦那様は驚愕した。
「まさか! よくもそんなひどいことを! 君はまだこんなに小さいのに。ええと、ところで自分の年齢は分かるのかい?」
「はい。八歳です」
「八歳か。アルフレッドの二つ下だな」
アルフレッド? 旦那様の息子かな?
私が与えられる情報はこれくらいしかないので、そろそろそっちの情報をくれませんか?
「あの。ここはカルメロ王国じゃないようですけど、どこなんですか?」
「そうだったね。ここはプロトン王国だ。私はアンソニー。アンソニー・ヴァリエール公爵だ」
うわっ。公爵か。どうりでお金持ちだと思ったよ。
前世と今世とあわせて初貴族だ。
外国の名前は勉強する機会がなかったから知らないな。
「失礼だが、サリー。君は平民かい? 君がうちの庭に突然現れた時、使用人たちはそれはそれは驚いたらしいけれど、君の身なりにも驚愕したらしいのでね」
何? 何? あの魔法陣を踏んで、公爵邸の庭に転移したの?!
おっとっと。質問されているんだから答えないと。
まあ私の着ているものを見れば一目瞭然だったと思う。
この家の使用人の制服の方が、私の着ていた服の何倍も綺麗だしね。
「はい。その通りです」
「ふーむ。であるならば、この国で生まれ育った可能性が高いね。習ってもいないのにプロトン王国の言葉が喋れるのだからね」
「……!」
「何らかの理由で――おそらく物心つく前にカルメロ王国に渡ったのだろうね。その際に家族と離れ離れになったのだろうか……」
確かにそう考えることもできるね。
転生者特典なんですけどね。
「あのう。それで、私はこの先どうなるのでしょう?」
「ははは。そうだね。どうしようか……」
……え?
「心配はしなくていい。悪いようにはしないから、しばらくの間はゆっくり過ごすといい」
「はい」
食っちゃ寝していいってこと?
◇◇◇ ◇◇◇
あの日以来、公爵には会っていないけど、本当に働かされることはなかった。
お客様待遇で、何から何までメイドさんがやってくれる。
お姫様にでもなったみたいな生活をさせてもらっている。
そうなると申し訳なくて、何か自分にできることはないかと探してしまう。
公爵家はしっかり管理されていたので、人手が不足していることもなく、全ての仕事がちゃんと割り振られていて、私の出る幕などなかったけれど。
だからといって厨房に入り浸るのは違うかもしれない。
「サリー。また来たのかい? ここはお客様の来るところじゃないって何度も言ってるだろ?」
「えー。だって他に行くとこころがないんだもん。見ているだけだからいいでしょ? つまみ食いもしていないんだから」
「……ったく。何が面白いんだか」
料理長はそう言いながらも私を追い出すことはない。
ここが一番落ち着くんだよなぁ。
全員平民でかしこまっていないし、活気があって美味しそうな匂いがするし。
何より調理工程は見ていて飽きない。
前世では自炊はしていたけど、料理はあんまり得意じゃなかったから、料理人たちの仕事ぶりには感心させられっぱなし。
ブレンダーどころかスライサーすらないこの世界。包丁一本でやってるんだもんねー。すごいよ。
「おいっ! 来週は客人が来るかもしれねーらしいから、チーズとハムは二割増しで注文しとけよー!」
「はいっ!」
おっ! パントリーに行くんだ!
私も注文係について行く。
「へぇ。こんなにたくさんあるんだ」
これだけの食料があったら、家族五人で何日食べられるかな?
そういえば公爵邸に来てからは、毎日お腹いっぱい食べさせてもらっている。ほんと幸せだなぁ。
「あっ、こらっ、サリー! こんなところまでついて来ちゃ駄目じゃないか!」
「えへへ。見ているだけだよ」
「お前はいつもそれだな」
「今日の発注は難しいんだから、邪魔するなよ」
へ? 難しいってどういうこと?
見ているだけと言った手前、声をかけずに見守っていたけれど、何をしているんだろう?
注文係は、ハムの在庫を横目に、ブツブツ言いながら木札のようなものを並べては印をつけている。
お歳暮のカタログで見るようなブロック体のハムがあるけれど、木札を使って何をしているの?
「ねえ。いつもはどれくらい注文するの?」
「ん? この枠の中がいっぱいになる数の二倍になるように注文するんだ」
「へぇ」
面白い。確かに、商品ごとに枠で仕切られている。
ハムは、枠の中に綺麗に並べると、四個ずつ五列の合計二十個になるみたい。
今は五個しか残っていないから、普通なら三十五個注文すればいいはずだけど、「いつもの二割増し」になるようにってことは、二十個の二倍の二割増しで四十八個必要っていうこと。
つまり四十三個注文すればいい。
「じゃあ、二割増しになるようにするんだったら、四十三個の注文だね」
「は? お前――何を言ってるんだ? 邪魔するなって言っただろ。間違えないように数えるのは大変なんだぞ」
え? この程度の暗算なら小学生でもできるよ。
そろばんをやっている子なら七歳の小一でもパパッと正解を出せるよ?
注文係は、本当にうんうん唸りながら数えているらしく、さすがに声をかけられなかった。
いつまでかかるんだろう? と見守っていたら、突然、ガバッと顔を上げて私を見た。
「お、おまっ、ちょっ、サリー! さっき何個って言った?」
「だから四十三個だよ」
「俺が計算してもそうなる。四十三個だ。ど、ど、ど、どう――」
どうやったって言いたいの?
「それくらいの計算なら頭の中でできるよ」
「嘘つけ!」
え? この国の平民の教育レベルってどうなってんの?
公爵家で働いているくらいだから、それなりに教育を受けていたんじゃないの?
私を含め義理の兄妹は読み書きすら習っていなかったけどね。
「ちょっと来い!」
「は?」
「いいから!」
注文係はなぜか料理長の前に私を突き出して、「こいつが一瞬で注文数を言い当てた」とさっきのやり取りを報告した。
悪いことをした訳じゃないよね?
私、叱られるの?
計算が御法度な世界なの?
「サリー。こいつの言っていることは本当か?」
「うん。簡単な計算なら頭の中で正解が分かるんだ」
他に言いようがないから、何だか数字の天才っぽいことを言っちゃった。
「ちょっと来い」
今度は料理長にパントリーへ連れ戻された。
何なのよー。
「このチーズの二割増しの発注量は幾つだ?」
「ええと、ハムと同じでこの枠の二倍の二割増しですか?」
「そうだ」
十二センチサイズのホールケーキみたいなチーズの枠は、二個ずつ四列だった。
ならば、必要数は、2×4×2×1.2で、19.2個だ。
在庫が三個なので、注文数は十六個ってところかな。
少数分はどうしているんだろう?
「正確には十六個と五分の一になりますが、ホール状態での仕入れなら十六個ですかね?」
「……! ちょ、ちょっと待て!」
料理長も木札のようなものを並べて計算を始めた。
どうやら少数に対応した細い木札もあるらしい。
「驚いた……。サリーの言う通りだ。どうなっているんだ!?」
いや、どうもこうも、暗算したんですけど?
「サリー。お前は、『どうかしましたか?』って顔をしているが、これは凄いことなんだんぞ! 公爵様に報告するからな!」
「は? はぁ」
料理長はすぐに報告をしたらしく、私は午後のお茶の時間に公爵と会うことになった。
◇◇◇ ◇◇◇
「サリー。君が幼い頃に数年いたかもしれないだけで、プロトン王国の言葉を流暢に操れると分かった時点で、もう少し慎重に確認するべきだった。君が八歳で、というよりも平民ということで、高等教育を受けていないと決めつけた偏見のせいだな」
公爵が私の目を真っ直ぐに見て、お詫びとも取れるようなことを喋っている。
「まれに、ある分野で天才的な力を発揮する者がいる。素晴らしい素質を生まれ持った者たちだ。サリー。どうやら君もその一人らしい。どうだろう。私の息子と一緒に教育を受けてみないか?」
「一緒に教育を受ける?」
でも、公爵の隣に座っている、その息子らしい少年は、ずーっと私を睨みつけていますけど?
「おっと。紹介がまだだったね。これは私の息子のアルフレッドだ。君の二つ上、十歳だよ」
公爵がアルフレッドの背中をポンと叩くと、少年はムッとしながらも、「アルフレッドだ」と名乗った。
名前で呼んでいいと言われなかったので、当たり障りのない呼び方をさせてもらおう。
「私はサリーと申します。お初にお目にかかります。公子様」
あれ? 親子が二人揃って驚いた顔をしている。
「お前……きちんと挨拶できるのだな。誰に習った? 先生についたことがないのだろう?」
少年よ、どうしてそう突っかかるのかな?
「私の祖母はその昔、高貴な方の侍女をしておりましたので、少しだけ祖母に習いました」
「おや? そうだったのかい?」
「ふん」
父親の方は物腰が柔らかいのに、十歳の息子はチビのくせに尊大だなぁ。
「ははは。アルフレッドは数字を毛嫌いしていてね。まずは一緒に勉強してくれるだけでいいのだが。どうだろう?」
どうもこうもないよ。ご飯を食べさせてもらっているんだもん。
それくらいお安い御用だよ。
まあ十歳だもんね。遊び相手じゃなくて勉強相手になるよね。
でも、よかった!
これで私もタダ飯ぐらいじゃなくなった!
◆◆◆ ◆◆◆
我が公爵邸には簡単に出入りできないよう、要所要所に私兵を配置している。
それなのに、ある日突然、庭に少女が現れたと聞いて、どれほど驚いたことか。
だが、気を失っている少女は薄汚れており、とても我が家に仇をなすようには見えなかった。
サリー。
薄い金髪に茶色の瞳の利発な子ども……。
話を聞けば、今では失われてしまった古代魔法によって転移させられたらしい。
転移魔法陣か。見てみたいものだ。
カルメロ王国に残っているとはな。
サリーは偶然見つけたらしいが、王宮はその存在に気づいていないのだろうか。
管理をしていないということは、気づいていないのだろうな。
それにしても、転移先が我が家というのは少しくすぐったい感じがする。
はるか昔、この土地に魔法使いが住んでいたのかもしれない。
文献によれば、転移魔法陣の転移先は、魔法使いの住む塔だったり、人の足では登れないような聳え立つ山の頂上だったりと、多岐にわたっていたそうだから、サリーが踏んだ魔法陣の本来の転移先は推測しようがない。
中には普通にそれぞれの家に帰るものもあったそうだが……。
不思議な縁を感じるが、サリー自身も得難い能力を持っていた。
アルフレッドにもいい刺激になるだろう。
……はぁ。
それにしても、探し人ではなく、出自が不明の孤児が現れるとは……。
兄上の子を身籠ったという女性はいまだに見つからないというのに。
そういえば、兄上は生まれてくる子の名前を考えておられた。
サラステル。
生まれていたら、そして我がヴァリエール公爵家の瞳を継承しているならば、紫色の瞳をしているはず。
外国にいたとしても、すぐに噂が広まるはずなのだが……。やはり母子共に亡くなっているのだろうか。
もしも兄上が結婚され、無事にお子が生まれていたなら、サラステルの愛称はサリーだったかもしれない……。
本当にあの子とは不思議な縁を感じる。
「あぁ、お嬢様! 無事にお生まれになりましたよ!」
あの小さかったお嬢様が、とうとう母親になられた。
それにしても、なんて可愛らしい赤ん坊。
薄い金髪に、瞳の色は……はっ!
「はぁ……どっち? あの――人――が――言って――いた――の。男――の子――なら――サラステル――と――」
「お嬢様。お子は――お嬢様? お嬢様!」
「あぁ……顔を――顔を――見せ――」
ここまで衰弱されているとは。
お嬢様はもう腕を上げることもできないご様子。
横たわったお嬢様によく見えるように赤ん坊を近づける。
「あぁ……! やっぱり! あの人――と――同じ――瞳――はぁ――時間が――ないわ。はぁ――アレを――使わな――きゃ――ベ――ティ」
「はい。お嬢様」
お嬢様がリドリー伯爵に嫁がれてからも、肌身離さず大切にされていた物。
メイフィールド子爵家に代々伝わる古代魔法で作られた物。
極秘出産をするために、リドリー伯爵には療養と偽って、この鄙びた田舎の家に隠れ住んで、もうすぐ三ヶ月になる。
嘘が本当になってしまって病に倒れたお嬢様の病状は、この一、二週間で劇的に悪化してしまった。
お嬢様は、「嘘をついた罰だわ」とおっしゃっていたけれど、私に言わせれば何もかもリドリー伯爵のせいだ。
メイフィールド子爵家の窮状を知って、お嬢様に強引に結婚を迫った酷い男。
結婚して半年で生まれたとなれば、結婚前の不貞が明らかになりお嬢様の名誉に傷がつく。
お嬢様はご実家のことを心配されて、医者にかかるのも最低限になさった。
そのせいでお命を危うくされるとは。
お嬢様は決して不貞などなさっていない。将来を誓い合ったお相手との間にできたお子だ。
そのお相手が不在の間に、横恋慕をしたリドリー伯爵が、メイフィールド子爵家の借金を勝手に返済して結婚を迫ったせいでこんな目に遭われている。
「きっと――このために――お祖母様が――はぁはぁ――持たせて――くださったんだわ。あぁ――可愛い――私の――赤ちゃん――ほうら――大丈夫よ――あなたが――本物の――家族と――出会えるまで――この魔法が――あなたを――守って――くれるわ」
お嬢様が気丈にも体を起こそうと腕を伸ばされたので、慌てて赤ん坊をベッドに寝かせて、お嬢様の体を支えた。
そしてクリームの小瓶のようなソレを、蓋を取ってお嬢様にお渡しする。
赤ん坊をお嬢様のお腹のあたりに近づけると、お嬢様は瓶の中から軟膏を掬い取るような仕草で何かを指に載せられた。
お嬢様の指の上にはキラキラと輝く透明な何かが乗っていた。
半信半疑だったけれど、魔法は本当にあったのだ。
「ほうら――古代の――魔法使い――様が――願いを――叶えて――くださる――どうか――どう――か――この子の――瞳の――色を――げほっ。げほっ」
「お嬢様!」
「うぅぅ。どうか――どうか――」
お嬢様は震える指で赤ん坊の両方の瞼をなぞられた。
輝いていたものは赤ん坊に吸収されるように見えなくなった。
「お嬢様!」
お嬢様の腕がぽすんとベッドに落ちた。
「ベティ――お願い――この子を――伯爵に――みつから――ない――逃げて――この――お金で――お願い――この子を――これを――この子――に」
「お嬢様!」
お嬢様はネックレスに手を伸ばそうとなさって、最後まで言い終えることなく静かにこの世を去られた。
◇◇◇ ◇◇◇
「おい! サリー! 捨て子のくせに生意気だぞ! さっさと薪を持って来いよ!」
「そうよ! あと、水汲みももう一回行って来なさいよ!」
あー。また始まったよ。
ほんと、この兄妹は怠け者だな。
一応義理とはいえ私も同じ兄弟として育てられたんだけどな。
しかも私、まだ八歳だよ?
こんな小さな体で運べる水なんて、たかがしれているのに。
まあ、私をこの家に引き取ること自体、母親は最初から嫌がっていたらしいからね。
裕福とはいえない平民の家じゃ、食い扶持が一人増えることはインパクト大だもんね。
ベティばあちゃんのいないところじゃ、母親も私を露骨に避けて、「余計なお荷物」だの「ストレスの元凶」なんて言っていたから、それを側で聞いていた兄妹が毒付くのも無理はないか。
ばあちゃんが寝込んでからは食事を用意してくれないことも増えた。
はぁ。
これ――普通の子どもなら、肉体的にも精神的にも病んじゃうよ?
私は転生者だから何とか持ち堪えているけどね!
自我が芽生えた――という言い方が正しいかどうか分かんないけど、まだ周囲がぼんやりとしか見えない赤ん坊に転生していた時には、驚いてギャン泣きしたもんね。
八歳まで過ごして分かったことは、私たちはカルメロ王国の国民で、王都郊外に住んでいる平民だということ。
義理の父親は出稼ぎに出ていて、私たち一家は畑で野菜を作りながら、ほぼ自給自足の生活をしている。
そして私は、ベティばあちゃんがどこかから拾ってきた捨て子なのだ。
捨て子とはいえ、おくるみの中にまとまったお金が入っていたらしいので、金持ちの家の旦那が愛人に産ませた子どもなんじゃないかと母親は言っていた。
「あんな端金じゃ養育費になりゃしない」
母親はそんなことを言っていたけど、ばあちゃんはいつも、
「心配いらないよ。事情があってあんたを育てられなかったお母さんが、大人になるまで何不自由なく暮らせるだけのお金を持たせてくれているからね」
って言っていた。
断然、ばあちゃんの方を信じる!
服とか靴とか、そういう買い物をする時は、必ずばあちゃんが最初に私の物を買ってくれた。それからついでという感じで兄と姉の物を買っていた。
あーそうか。
そういう(捨て子のくせに)末っ子だからと可愛がられたことも私を嫌う理由かもね。
せっかく異世界に転生したのに、食べて成長するだけの人生かぁ――と自暴自棄になりかけた時もあったけれど、優しいばあちゃんのお陰で、グレたりせずに真っ当な人間に育つことができた。
それに転生チートというやつなのか、教わってもいないのに文字の読み書きができた。
どうやら言語関係はグー○ル先生並みにいけるらしい。
そんな感じで平凡な人生を生きていこうとしていたのに、何やらきな臭い動きをキャッチしたんだよね。
原因は横になったままのばあちゃんだ。
この一家は長いこと、ばあちゃんの稼ぎに依存していた。
だから娘(私の義母)も孫(義理の兄妹)もばあちゃんには逆らえずにいた。
そんなばあちゃんだけど、ここ数日で体調がみるみる悪化し、明日をも知れぬ状態になってしまった。
血のつながった娘なのに、母親たちは既にばあちゃん亡き後のことを、こそこそ相談している。
「母さんの性格なら、まだお金は残っているはずよ」
「おばあちゃんの部屋に隠してあるのかな?」
「ねえ、もう探しても邪魔されないんじゃない?」
病人が寝ているのに、バタバタ家探ししようなんて、よくそんなことを考えられるよね!
ばあちゃんがいなくなるかもって考えただけで、私は泣きたくなるのに。
でもなぁ。
実際問題、私はばあちゃんと一蓮托生だからなぁ。
ばあちゃんがいなくなれば、おそらく私はこの家を追い出されると思う。
養う義理なんかないもんね。
ばあちゃんが気まぐれで拾ってきた子どもだから。
八歳でどうやって生計を立てていけばいいんだろう?
前世の知識なんてこの世界じゃ何の役にも立たないし。
はぁ。お先真っ暗じゃん……。
もし本当にお金がまだ残っているとしても、私が持っていたって、この家の人間か、どこかの悪党に取られると思う。
俺TUEEE的なチートはもらっていないので。
ばあちゃん!
せめて私が独り立ちするまでは生きていて!
なんだか無性にばあちゃんと話がしたくなって、部屋を覗いてみた。
寝ているかと思ったら、ばあちゃんはベッドの上で縫い物をしていた。
「ばあちゃん、縫い物なんかしちゃ駄目だよ!」
「今日は何だか体が軽く感じるんだ。私はもう長くないからね。こんなことしかしてやれない。お前の母親との約束を果たせないと思うと情けなくて、あの世で合わせる顔がないよ」
私の……お母さん。
「ねえ、ばあちゃん。本当に私のお母さんを知っているの? 母さんや兄ちゃんは、私は道端に捨てられていたって言ってるよ?」
「もう、あの子達は本当に仕方がないねえ。そんなこと信じちゃ駄目。いいかい、サリー。お前は愛されて生まれてきたんだよ。お前の母親は息を引き取る最後までお前の幸せを願っていた……」
ばあちゃんは私の本当の母親のことを話す時、嬉しそうな、それでいて悲しそうな目をする。
どんな人だったのかなぁ……。
「ふう。こんなものかな。見てごらん。綺麗だろ? お前の母親が残してくれたペンダントだよ」
ばあちゃんはそう言って、大きな宝石のペンダントを手のひらに乗せて見せてくれた。
紫色の宝石? なんて言うんだっけ? ええと、ガーネットかな?
それにしても今までどこに隠していたんだろう。
よく母親に見つからなかったなぁ。
「この紐付きの小袋に入れておくから、お腹に巻いて誰にも見せるんじゃないよ。とっても大事な物だからね。母親の形見なんだからね」
「うん」
「ほら。上着をまくってごらん。お腹に巻いてあげるから」
なんか昔のスリ対策みたいではずかしい。
でもこの世界じゃこれくらいしないとヤバいってことは分かる。
「ありがとう、ばあちゃん!」
「うん。うん。大事にするんだよ。いつかお前の――うっ」
「ばあちゃん?」
ばあちゃんが急に胸を押さえて苦しみだした。
どうしたらいいの? こういう時はどうするんだっけ?
救急車も呼べないこの世界で、どうすればいいの?!
「お、お母さん! お母さん!!」
結局、母親を呼ぶしかできず、その母親もどうすることもできず、あっという間にばあちゃんは旅立ってしまった。
近所の大人たちの手によって、ばあちゃんは埋葬された。
共同墓地と言うのも憚られるような、ただ遺体を埋めるだけの場所。
墓石はなく、所々に名前の書かられた木片が立っているくらい。
もちろん母親は木片なんて用意していない。字も書けないしね。
私は慌てて野花を摘んできてお供えした。そんな私を母親が白けた顔で見ている。
今日のところはこれくらいしかできないけれど、明日は綺麗な石を見つけて、おばあちゃんの墓標にしなくっちゃ!
「お前にとっては、そこら辺の花を供える程度の気持ちしかないのかい?」
「え?」
母親の言葉に耳を疑った。
自分の親が亡くなったというのに涙一つ見せない人間が何を言ってんの?
「ついて来な」
「……」
「お前は母さんに拾われなかったら死んでいたんだよ? もっと綺麗な花を供えてやるべきだろ?」
「綺麗な花?」
母親はそれきり何も言わずに歩き出した。
どこへ行くんだろう?
兄妹たちは先に家に帰ったので、私と母親だけがとぼとぼ歩いている。
集落を離れて歩き続け、気がつけば森の中へと入り込んでいた。
あれ? この森って、入っちゃいけないんじゃなかった?
ばあちゃんからは絶対に近づくなって言われていたんだけど?
「母さん?」
「ここで待っているから、綺麗な花をさがしてきな。人が立ち入らないから、あの向こうには珍しい花が咲いているのさ」
え?
そうは見えなかったけど、この人にも故人を悼む気持ちがあったってこと?
「分かった」
まだそれほど深く分け入った訳じゃないから、最悪、置き去りにされても一人で戻れる。
母親の言うことは信じられないけれど、せっかくここまで来たんだから少し探してみよう。
あまり奥に進まないように気をつけていたというのに。
……不覚。
探してもどこにも花が咲いていなかったので、元来た道を戻ったつもりが完全に迷っている。
もう! 前世の方向音痴のまんまなの?
異世界に転生したならイーグルアイとか、チート能力が欲しかったよ。
迷ったと気づいた時は、既に散々歩き回った後……。
こういう時、前世なら助けを待って動かない方がいいんだろうけど、ここじゃ助けは来ない。
やっぱり母親は私が迷うと思って連れてきたのかな。
日が暮れたら動物が出てくるよね。
本当にどうしたらいいんだろう。
サバイバル関連の知識は皆無だよ。
せめて一晩凌げるような大木のうろとか、洞窟を探すべきかな……。
取り止めのないことを考えながら歩いていると、磁石にでも吸い寄せられるように体が運ばれていく。
え? どうなってんの?
ぐいぐい引っ張られるような力がどんどん強くなって、無理やり早歩きさせられている!
「うわっ」
ブワンと一陣の風が吹いたので目を覆うと、体を吸い寄せていた力がピタッとなくなり自由になった。
目を開けると、地面が輝きを放っていた。
「え? この模様って――魔法陣? この世界って魔法があるの? どうしてこんな所に? あ! だから、この森のことをみんな、『古代の森』って呼んでいたんだ! 昔は魔法があったんだね! ん? あれ?」
急に全身が眩い光に包まれた。
「な、なんで? あ!」
魔法陣が大きすぎて、自分の足がその外周の模様を踏んでいることに気が付かなかった。
「これって――どうなるの?」
グワンと圧力のようなものを感じて、意識が薄れていく。
何だかじんわり温かくていい気持ち……。
◇◇◇ ◇◇◇
目を覚ますと見知らぬ部屋にいた。
また転生し直したとか言わないよね?
「ん?」
体を起こして確認すると、着ていた服は脱がされ、部屋着のようなワンピースを着せられている。
お腹にはちゃんと小袋が巻きつけてあった!
よかった。取られなくて。
――ということは、再転生した訳じゃなさそう。
そして金目のものを奪うような人に助けてもらった訳でもなさそう。
部屋は十畳以上は余裕である広さで、デザインや調度品は、イギリスのマナーハウスみたいだ。
転生してから一番上等な部屋にいる!
これって、どういう状況?
ベッドから下りようと思って床を見たら、ふかふかの絨毯の上に豪華な刺繍がされたスリッパが置かれていた。
履いていいってことだよね?
スパイのように窓際に立って、カーテンを少しだけずらして外を覗くと、美しい庭園が広がっていた。
お金持ちの大邸宅確定。
それにしても、人の気配がないんだけど。
もしかして廊下に見張りとかが立ってんのかな?
いつかは対面しなきゃいけないんだから、いるなら聞いてみるか。
そう思ってそうっとドアを開けたら、誰もいなかった。
「よそ者に警戒心なさ過ぎじゃない?」
廊下もふかふかの絨毯が敷かれている。
そのせいで足音が響かない。
「おーい!」と大声を出したくなる。
叫んだら、あたふたと誰かやって来るかな?
廊下の真ん中に階段があった。
ここって何階?
とりあえず下に降りてみよう。
「うわっ」
「きゃっ」
びっくりした!
踊り場にさしかかった時に、下から上がってくるメイドさんと鉢合わせをして、お互いに声を出して驚いてしまった。
「あっ。失礼しました。それよりもどうされました? 何かお探しですか? 必要なものがございましたらおっしゃってください」
メイドさんの方が先に立ち直って私のことを気遣ってれた。
すごい。プロだなぁ。
いや、それよりも、ここはどこ?
「あのう。私、どうしてここにいるんですか? というか、ここってどこなんですか?」
「あっ。そうですね。まずはお部屋に戻りましょう」
「はい」
勝手に出歩いてすみません。
もう一度階段を登って廊下に出ると、もうどの部屋から出て来たのかわからない。
メイドさんが案内してくれなかったら戻れなかったよ。
部屋に入るとソファーに座らされた。
さっきはよく見なかったけど、ベッドだけじゃなく、ソファーとかテーブルとかまで一式揃っていた。
「それでは私は旦那様にお客様がお目覚めだと伝えてきますので、少々お待ちください」
「はい」
……『旦那様』。
お金持ちのお爺さんかな?
よからぬ性癖の持ち主だったらどうしよう。
いやいや。
お腹のペンダントを取らなかったんだから、大丈夫なはず……はず……だよね?
すぐに呼んでくれると思ったけど、なかなか現れない。
お忙しい方? 仕事中? それとも時間を空けるのがマナーとか?
偉い人と対面する時のお作法を知らないけれど、お行儀よく座っていればいいのかな?
どれくらい時間が経っただろう?
体感で三十分以上は経ったと思う。
普通の子どもなら私みたいに同じ姿勢を保ち続けられないと思うよ。
もういっそ崩しちゃう?
よし、崩すぞ、と決心したところで、トントントンとノック音が聞こえて慌てふためいてしまった。
ドアを開けられていたら、みっともない姿を見られていたと思う。
「旦那様がお会いになるそうです」
さっきのメイドさんの声だ。
ドア越しの伝言で助かった。
「入りますね」
「はい」
優しい笑顔のメイドさんが部屋に入ってきた。
「では、お支度をお願いします」
お支度?
……あ。今着ているのって部屋着だもんね。
メイドさんが持ってきてくれた服は、私には少しだけ大きかったけれど、まあ、大は小を兼ねるから問題なし。
子ども用の服なので、生地とデザインが豪華なだけで、脱ぎ着しやすいシンプルなものだった。
「それでは一階の応接室まで参りましょう」
「はい」
ちまちまと歩く私の歩幅に合わせて、メイドさんもゆっくりと歩いてくれる。
案内してくれた応接室のドアは、普通の部屋のドアと違って、二枚が両開きになっている。
ひぇっ。
「それでは声をかけますよ?」
メイドさんが小声で囁いた。
「はい」
私も内緒話をするように小さく返事をした。
「旦那様。お客様をお連れいたしました」
中から男性の声で、「入りなさい」と指示があった。
メイドさんはドアを開けてくれただけで中には入らないらしい。
彼女に促されて一人だけ部屋に入る。
うわぁ。
豪華絢爛。お金持ちの部屋だ。
インテリアに詳しくない私にも「豪華」であることが一目瞭然。
「コホン。そちらにおかけください」
ドアの近くに立っていた初老の男性にそう言われてソファーの方を見ると、若い男性が座っていて微笑を浮かべていた。
この人が旦那様?
私が立ち尽くしていたので、初老の男性が、もう一度咳払いをした。
はいはい。今、行きます。
ソファーに座って、向かいの若い男性を改めて見ると、結構なイケメンだった。
この世界が異世界だってことは分かっていたけれど、銀髪の人は初めて見た。
それに瞳の色が私のペンダントと同じ紫色だ。
お人形さんみたいな人間が実在している。すごいな、異世界。
「怖がらせちゃったかな? 心配しなくていいよ。君は客人としてこの屋敷にいるんだからね。あ――ええと――私の言葉は分かるかな?」
あ、そういうことか。
メイドさんと会った時に違和感を感じたんだけど、それが何かやっと分かった。
言葉が違ったんだ。
何の問題もなく会話ができたから驚きもしなかったけれど、これまで使っていた言語とは違うと、どこかで気がついていたんだ。
じゃ、ここは言語自体が違う場所ってこと?
「はい。分かります」
「そうか。よかった」
男性は心底ほっとした様子で、「お客様にお茶を」と、ドアの側に立っていた初老の男性に命じた。
執事っていうやつかな?
「かしこまりました」
そう言ってドアを開けると、すでにメイドさんが二人スタンバッていた。
仕事のできる人たちだ!
フルーティーな香りの紅茶が高価なティーカップに注がれて私の前にサーブされた。
クッキーも四種類並べてくれた。
「食べながらでいいから質問に答えてくれるかな?」
「はい」
「長い間眠っていたから喉が渇いただろう。まずは紅茶を召し上がれ」
「はい」
落とさないようにおそるおそるティーカップを持ち上げて一口飲むと、芳醇な香りが鼻に抜けていく。
美味しい!
本当だ。私、喉が渇いている。
ゴクゴク飲まなかったのは私が大人だからだ。本当の子どもだったら一気飲みしているね!
そしてクッキーも美味しかった。一口食べると空腹であることを実感させられた。
さすがに空腹には勝てなかった。
バリボリと食べ進めてしまった。
「ははは。そうだね。お腹も空いているよね」
美丈夫な旦那様が何やら目配せをしている。
「ふふふ。気にせず全部食べていいよ」
お! 太っ腹だね。
じゃあ遠慮なく。
紅茶もお代わりしてクッキーを完食した頃に、ベーグルサンドのようなパンが運ばれてきた!
手に取ってみると、丸パンにハムとレタスを挟んだものだった。
こんなの、生まれ変わって以来、初めて食べるよー!
上流階級の人の前なので、お行儀よく食べようと思うのに、子どもの空腹というのは、それを上回る意地汚さを持っているらしい。
ハグハグモグモグと頬張ってしまった。
そんな私を旦那様は何も言わずにニコニコと眺めている。
ひとしきり食べて満足すると、頃合いを見計らっていた旦那様から最初の質問がとんできた。
「満足してもらえたかな? それじゃあまずは名前を聞こうか」
ごくん。
「はい。私はサリーといいます」
「サリー。そうか、サリーか……いい名前だな」
「……? ありがとうございます」
サリーなんてありふれた名前なのに、何を感慨深そうにしているんだろ。
「どこから来たんだい?」
どこ? うーん。あの村に住所なんてなかったからなぁ。
「どう説明していいか分からないのですが、カルメロ王国の田舎の村に住んでいました」
「カルメロ王国だって?!」
「はい」
え? なんかまずかった? 戦争しているとかじゃないよね?
「懐かしいな。私も兄も留学していたんだよ? それにしても、そんな遠いところからどうやって来たんだい? いや、そもそも一人で来た訳じゃないよね? 誰と一緒だったのかな? どうして別れちゃったんだい?」
えーと。えぇぇ。一人ぼっちだったんだけど。
「私もどうしてこんなところにいるのか分からないのです。森の中で大きな魔法陣を見つけて、気がついた時にはその魔法陣をうっかり踏んでいて。それで気がついたらこの家の一室に寝かされていました」
何を言ってんだ? って思われるかもしれないけれど、真実だからね。
「魔法陣!? おぉぉ。それはすごい。カルメロ王国にも残っていたのか……。じゃあ、君は家族と離れてこんな遠いところまで転移させられたのか。うーむ。どうしたものかなぁ」
まさか家族の元に返さなくちゃとか、考えている?
戻す方法ってあるの?
あったとしても受け取りを拒否されると思うけどな。
あの人たちにとっては私は家族じゃないし。
「あの。そのことなんですが。そもそも私は孤児で、拾ってくれた祖母が亡くなったため、森に捨てられたのです(多分)。なので、今頃あの人たちは、私がいなくなって喜んでいると思います。万が一、あの人たちのところへ帰ることができたとしても、家族として受け入れられるとは思いません」
私はただ事実を述べただけなのに、旦那様は驚愕した。
「まさか! よくもそんなひどいことを! 君はまだこんなに小さいのに。ええと、ところで自分の年齢は分かるのかい?」
「はい。八歳です」
「八歳か。アルフレッドの二つ下だな」
アルフレッド? 旦那様の息子かな?
私が与えられる情報はこれくらいしかないので、そろそろそっちの情報をくれませんか?
「あの。ここはカルメロ王国じゃないようですけど、どこなんですか?」
「そうだったね。ここはプロトン王国だ。私はアンソニー。アンソニー・ヴァリエール公爵だ」
うわっ。公爵か。どうりでお金持ちだと思ったよ。
前世と今世とあわせて初貴族だ。
外国の名前は勉強する機会がなかったから知らないな。
「失礼だが、サリー。君は平民かい? 君がうちの庭に突然現れた時、使用人たちはそれはそれは驚いたらしいけれど、君の身なりにも驚愕したらしいのでね」
何? 何? あの魔法陣を踏んで、公爵邸の庭に転移したの?!
おっとっと。質問されているんだから答えないと。
まあ私の着ているものを見れば一目瞭然だったと思う。
この家の使用人の制服の方が、私の着ていた服の何倍も綺麗だしね。
「はい。その通りです」
「ふーむ。であるならば、この国で生まれ育った可能性が高いね。習ってもいないのにプロトン王国の言葉が喋れるのだからね」
「……!」
「何らかの理由で――おそらく物心つく前にカルメロ王国に渡ったのだろうね。その際に家族と離れ離れになったのだろうか……」
確かにそう考えることもできるね。
転生者特典なんですけどね。
「あのう。それで、私はこの先どうなるのでしょう?」
「ははは。そうだね。どうしようか……」
……え?
「心配はしなくていい。悪いようにはしないから、しばらくの間はゆっくり過ごすといい」
「はい」
食っちゃ寝していいってこと?
◇◇◇ ◇◇◇
あの日以来、公爵には会っていないけど、本当に働かされることはなかった。
お客様待遇で、何から何までメイドさんがやってくれる。
お姫様にでもなったみたいな生活をさせてもらっている。
そうなると申し訳なくて、何か自分にできることはないかと探してしまう。
公爵家はしっかり管理されていたので、人手が不足していることもなく、全ての仕事がちゃんと割り振られていて、私の出る幕などなかったけれど。
だからといって厨房に入り浸るのは違うかもしれない。
「サリー。また来たのかい? ここはお客様の来るところじゃないって何度も言ってるだろ?」
「えー。だって他に行くとこころがないんだもん。見ているだけだからいいでしょ? つまみ食いもしていないんだから」
「……ったく。何が面白いんだか」
料理長はそう言いながらも私を追い出すことはない。
ここが一番落ち着くんだよなぁ。
全員平民でかしこまっていないし、活気があって美味しそうな匂いがするし。
何より調理工程は見ていて飽きない。
前世では自炊はしていたけど、料理はあんまり得意じゃなかったから、料理人たちの仕事ぶりには感心させられっぱなし。
ブレンダーどころかスライサーすらないこの世界。包丁一本でやってるんだもんねー。すごいよ。
「おいっ! 来週は客人が来るかもしれねーらしいから、チーズとハムは二割増しで注文しとけよー!」
「はいっ!」
おっ! パントリーに行くんだ!
私も注文係について行く。
「へぇ。こんなにたくさんあるんだ」
これだけの食料があったら、家族五人で何日食べられるかな?
そういえば公爵邸に来てからは、毎日お腹いっぱい食べさせてもらっている。ほんと幸せだなぁ。
「あっ、こらっ、サリー! こんなところまでついて来ちゃ駄目じゃないか!」
「えへへ。見ているだけだよ」
「お前はいつもそれだな」
「今日の発注は難しいんだから、邪魔するなよ」
へ? 難しいってどういうこと?
見ているだけと言った手前、声をかけずに見守っていたけれど、何をしているんだろう?
注文係は、ハムの在庫を横目に、ブツブツ言いながら木札のようなものを並べては印をつけている。
お歳暮のカタログで見るようなブロック体のハムがあるけれど、木札を使って何をしているの?
「ねえ。いつもはどれくらい注文するの?」
「ん? この枠の中がいっぱいになる数の二倍になるように注文するんだ」
「へぇ」
面白い。確かに、商品ごとに枠で仕切られている。
ハムは、枠の中に綺麗に並べると、四個ずつ五列の合計二十個になるみたい。
今は五個しか残っていないから、普通なら三十五個注文すればいいはずだけど、「いつもの二割増し」になるようにってことは、二十個の二倍の二割増しで四十八個必要っていうこと。
つまり四十三個注文すればいい。
「じゃあ、二割増しになるようにするんだったら、四十三個の注文だね」
「は? お前――何を言ってるんだ? 邪魔するなって言っただろ。間違えないように数えるのは大変なんだぞ」
え? この程度の暗算なら小学生でもできるよ。
そろばんをやっている子なら七歳の小一でもパパッと正解を出せるよ?
注文係は、本当にうんうん唸りながら数えているらしく、さすがに声をかけられなかった。
いつまでかかるんだろう? と見守っていたら、突然、ガバッと顔を上げて私を見た。
「お、おまっ、ちょっ、サリー! さっき何個って言った?」
「だから四十三個だよ」
「俺が計算してもそうなる。四十三個だ。ど、ど、ど、どう――」
どうやったって言いたいの?
「それくらいの計算なら頭の中でできるよ」
「嘘つけ!」
え? この国の平民の教育レベルってどうなってんの?
公爵家で働いているくらいだから、それなりに教育を受けていたんじゃないの?
私を含め義理の兄妹は読み書きすら習っていなかったけどね。
「ちょっと来い!」
「は?」
「いいから!」
注文係はなぜか料理長の前に私を突き出して、「こいつが一瞬で注文数を言い当てた」とさっきのやり取りを報告した。
悪いことをした訳じゃないよね?
私、叱られるの?
計算が御法度な世界なの?
「サリー。こいつの言っていることは本当か?」
「うん。簡単な計算なら頭の中で正解が分かるんだ」
他に言いようがないから、何だか数字の天才っぽいことを言っちゃった。
「ちょっと来い」
今度は料理長にパントリーへ連れ戻された。
何なのよー。
「このチーズの二割増しの発注量は幾つだ?」
「ええと、ハムと同じでこの枠の二倍の二割増しですか?」
「そうだ」
十二センチサイズのホールケーキみたいなチーズの枠は、二個ずつ四列だった。
ならば、必要数は、2×4×2×1.2で、19.2個だ。
在庫が三個なので、注文数は十六個ってところかな。
少数分はどうしているんだろう?
「正確には十六個と五分の一になりますが、ホール状態での仕入れなら十六個ですかね?」
「……! ちょ、ちょっと待て!」
料理長も木札のようなものを並べて計算を始めた。
どうやら少数に対応した細い木札もあるらしい。
「驚いた……。サリーの言う通りだ。どうなっているんだ!?」
いや、どうもこうも、暗算したんですけど?
「サリー。お前は、『どうかしましたか?』って顔をしているが、これは凄いことなんだんぞ! 公爵様に報告するからな!」
「は? はぁ」
料理長はすぐに報告をしたらしく、私は午後のお茶の時間に公爵と会うことになった。
◇◇◇ ◇◇◇
「サリー。君が幼い頃に数年いたかもしれないだけで、プロトン王国の言葉を流暢に操れると分かった時点で、もう少し慎重に確認するべきだった。君が八歳で、というよりも平民ということで、高等教育を受けていないと決めつけた偏見のせいだな」
公爵が私の目を真っ直ぐに見て、お詫びとも取れるようなことを喋っている。
「まれに、ある分野で天才的な力を発揮する者がいる。素晴らしい素質を生まれ持った者たちだ。サリー。どうやら君もその一人らしい。どうだろう。私の息子と一緒に教育を受けてみないか?」
「一緒に教育を受ける?」
でも、公爵の隣に座っている、その息子らしい少年は、ずーっと私を睨みつけていますけど?
「おっと。紹介がまだだったね。これは私の息子のアルフレッドだ。君の二つ上、十歳だよ」
公爵がアルフレッドの背中をポンと叩くと、少年はムッとしながらも、「アルフレッドだ」と名乗った。
名前で呼んでいいと言われなかったので、当たり障りのない呼び方をさせてもらおう。
「私はサリーと申します。お初にお目にかかります。公子様」
あれ? 親子が二人揃って驚いた顔をしている。
「お前……きちんと挨拶できるのだな。誰に習った? 先生についたことがないのだろう?」
少年よ、どうしてそう突っかかるのかな?
「私の祖母はその昔、高貴な方の侍女をしておりましたので、少しだけ祖母に習いました」
「おや? そうだったのかい?」
「ふん」
父親の方は物腰が柔らかいのに、十歳の息子はチビのくせに尊大だなぁ。
「ははは。アルフレッドは数字を毛嫌いしていてね。まずは一緒に勉強してくれるだけでいいのだが。どうだろう?」
どうもこうもないよ。ご飯を食べさせてもらっているんだもん。
それくらいお安い御用だよ。
まあ十歳だもんね。遊び相手じゃなくて勉強相手になるよね。
でも、よかった!
これで私もタダ飯ぐらいじゃなくなった!
◆◆◆ ◆◆◆
我が公爵邸には簡単に出入りできないよう、要所要所に私兵を配置している。
それなのに、ある日突然、庭に少女が現れたと聞いて、どれほど驚いたことか。
だが、気を失っている少女は薄汚れており、とても我が家に仇をなすようには見えなかった。
サリー。
薄い金髪に茶色の瞳の利発な子ども……。
話を聞けば、今では失われてしまった古代魔法によって転移させられたらしい。
転移魔法陣か。見てみたいものだ。
カルメロ王国に残っているとはな。
サリーは偶然見つけたらしいが、王宮はその存在に気づいていないのだろうか。
管理をしていないということは、気づいていないのだろうな。
それにしても、転移先が我が家というのは少しくすぐったい感じがする。
はるか昔、この土地に魔法使いが住んでいたのかもしれない。
文献によれば、転移魔法陣の転移先は、魔法使いの住む塔だったり、人の足では登れないような聳え立つ山の頂上だったりと、多岐にわたっていたそうだから、サリーが踏んだ魔法陣の本来の転移先は推測しようがない。
中には普通にそれぞれの家に帰るものもあったそうだが……。
不思議な縁を感じるが、サリー自身も得難い能力を持っていた。
アルフレッドにもいい刺激になるだろう。
……はぁ。
それにしても、探し人ではなく、出自が不明の孤児が現れるとは……。
兄上の子を身籠ったという女性はいまだに見つからないというのに。
そういえば、兄上は生まれてくる子の名前を考えておられた。
サラステル。
生まれていたら、そして我がヴァリエール公爵家の瞳を継承しているならば、紫色の瞳をしているはず。
外国にいたとしても、すぐに噂が広まるはずなのだが……。やはり母子共に亡くなっているのだろうか。
もしも兄上が結婚され、無事にお子が生まれていたなら、サラステルの愛称はサリーだったかもしれない……。
本当にあの子とは不思議な縁を感じる。
