「血」
反射的に私は呟いた。
静かな部屋にハア、ハアと男の吐息が響く。首に当たる刃物の感触が消えた。男の右手がだらりとおりる。
男と目が合った。長めの黒髪の奥に、くっきりとした二重の目。
男は肩で大きく息をしながら私を睨みつけている。ただ、鬼気迫るのは視線ばかりで、男は全然攻撃性を持っていない。逃げられる、のでは? そう思ったものの、凍り付いた足を動かせるだけの勇気を私は持ち合わせていなかった。
なんなの、これ。
後ずさりすらできない私に、男が「逃げないの?」と問う。
そりゃあ逃げたいですとも! 逃げられるならね!
だけど真っ暗な部屋で刃物を見せられた揚げ句、目の前が血の海になっていたら、身体の動かし方なんて忘れるに決まっている。目だって離せない。そんな私の目の前で、男はへなへなとその場にしゃがみこんだ。
「まあ、いいや。通報するなら、好きにして」
男はかすれた声でそう言って、持っていた果物ナイフを床に転がした。カランとむなしい音が響く。
「え?」
落ちたナイフと共に私の緊張感も床にとける。男のシャープな顔に、黒髪がさらさらとなびいた。ドラマのワンシーンみたいだ。なんて、間抜けな感想が湧く。
気だるげな男は私に攻撃するどころか、捕まる気満々で脱力している。
「なんで」
と、聞くだけ野暮だった。男のシャツやパンツは血でぐっしょり濡れている。きっと、逃げることさえキツいのだ。私は自分の指先が温かくなっていくのを感じた。男の小綺麗な顔に汗が伝う。
ハア、ハアと大きくなる男の呼吸。それを聞く私の焦りに火がついた。
「ちょっと待ってて」
私は背負っていたリュックをおろし、中からタオルを出した。目の前で命の灯が消えるかもしれない。そう思ったら血の気が引く。死を前にしたら、私は被害者面なんてしていられない。
反射的に私は呟いた。
静かな部屋にハア、ハアと男の吐息が響く。首に当たる刃物の感触が消えた。男の右手がだらりとおりる。
男と目が合った。長めの黒髪の奥に、くっきりとした二重の目。
男は肩で大きく息をしながら私を睨みつけている。ただ、鬼気迫るのは視線ばかりで、男は全然攻撃性を持っていない。逃げられる、のでは? そう思ったものの、凍り付いた足を動かせるだけの勇気を私は持ち合わせていなかった。
なんなの、これ。
後ずさりすらできない私に、男が「逃げないの?」と問う。
そりゃあ逃げたいですとも! 逃げられるならね!
だけど真っ暗な部屋で刃物を見せられた揚げ句、目の前が血の海になっていたら、身体の動かし方なんて忘れるに決まっている。目だって離せない。そんな私の目の前で、男はへなへなとその場にしゃがみこんだ。
「まあ、いいや。通報するなら、好きにして」
男はかすれた声でそう言って、持っていた果物ナイフを床に転がした。カランとむなしい音が響く。
「え?」
落ちたナイフと共に私の緊張感も床にとける。男のシャープな顔に、黒髪がさらさらとなびいた。ドラマのワンシーンみたいだ。なんて、間抜けな感想が湧く。
気だるげな男は私に攻撃するどころか、捕まる気満々で脱力している。
「なんで」
と、聞くだけ野暮だった。男のシャツやパンツは血でぐっしょり濡れている。きっと、逃げることさえキツいのだ。私は自分の指先が温かくなっていくのを感じた。男の小綺麗な顔に汗が伝う。
ハア、ハアと大きくなる男の呼吸。それを聞く私の焦りに火がついた。
「ちょっと待ってて」
私は背負っていたリュックをおろし、中からタオルを出した。目の前で命の灯が消えるかもしれない。そう思ったら血の気が引く。死を前にしたら、私は被害者面なんてしていられない。


