美咲もまた、なるべく率先して対応するようにしていた。怖いお局社員の対応は、本当は嫌だけれど、これもまた小さな幸せ探しの一つだと言い聞かせて。

 実際のところ対応自体はさほど苦ではなかった。必要事項を聞いて、依頼内容をシステムで選択し、電子書類にサインを貰えば良いだけなのだから。
 ただ、自分の行なっていた作業の手を止めなければならないことの方が嫌だった。
 どうしても集中力が途切れてしまう。電子化というならいっそ対面方式ではなくしてくれればいいのに、なかなかそこまでは改革が進まないらしい。

 不満は飲み込みつつ資料に目を落としたときだった。

 不意に扉の開く音がして、美咲は弾かれたように顔を上げた。
 この時間に誰かと一緒になったことはない。誰だろうと訝しんでいると、予想外の人物が現れて息を呑んだ。

 現れたのは、企画部の課長、鷺沼央二だった。
 同じフロア、エレベーターホールを挟んで反対側に企画部のオフィスはあった。社でもエース級の人材が投入される花形部門で、彼はそこで最年少課長として名を馳せていた。

 通称は、氷の王子。
 切長な瞳、すっと整った鼻筋。百八十センチをこえる長身で、全身にはバランスの良い筋肉がついているのが、スーツ越しでも目についた。
 学生時代は陸上部で、社会人になってからもランニングを欠かさないとか。

 確か今年で三十歳。独身。これだけのスペックが並んで、女性陣が騒がないわけがない。
 皆一度は彼にときめくものの、「ああ王子は鑑賞用だからね」と口を揃えるのは、彼がその二つ名の通り、冷淡ともいえる塩対応だからだ。
 食事に誘っても告白をしても連絡先を聞いても返ってくる答えはひとつ。
「それは業務とどういう関係が?」
 
 戦いを挑んだ女性社員は誰一人残らず泣いて帰ってくるそうだ。
 まあどれも仕事に関係ないのだから、鷺沼の対応が間違っているともいえないのだが。

 しかし氷の王子と呼ばれる所以は、仕事に対するストイックさからも来ていた。仕事に一切妥協をせず、問題点はためらわずに指摘する。そのため、彼の課に所属する部下たちは、社内で一番強いメンタルの集団だとすら言われていた。

 自分だったら絶対続かなかっただろうと美咲は思う。頑張るためにいったいどれだけの幸せのかけらを見つけなければならないだろう、と思うとぞっとする。