「でもそれは言い訳で、ただ嫌なんだ。俺のことを何も知らない人から『好き』だと言われるのが」
その頑なにも聞こえる声に、美咲は思わず鷺沼の顔を見つめていた。
その視線を受け止めて、鷺沼は少しだけ肩を竦めた。
「俺、昔付き合ってた人に『貴方は顔しか良いところがない』て言われたことがある」
「そんな……」
「まあこんな性格だからもっともではあるんだが……。でもそれ以来、話したこともないのに告白されるのが、どうも苦手で」
向けられる視線に気づいていないのか、どこか遠くを見ながら呟く鷺沼に、美咲は胸が痛むのを感じた。
『顔しか良いところがない』なんて、もし自分が言われたとしたらどう思うだろう。辛くて苦しくて、何も信じられなくなるかもしれない。
ぎゅっと掴まれたように心臓が縮んだ気がした。
と同時に、鷺沼はそう言った恋人のことがそれだけ好きだったんだな、と思う。
好きだから、大事な相手に言われたから、そこまで心に澱のように残っているのだろう。
美咲も、元彼に告げられた別れの理由を受け入れられるようになるまで、だいぶ時間がかかった。それは自分に非があると理解できるまでの時間だった。
だが鷺沼はどうだろう。真摯に恋人と付き合っていたのにそんなことを言われたら、やっぱり立ち直れないだろう。
美咲が考え込んでいると、その沈黙を戸惑いだと感じたのか、鷺沼は慌ててるようなそぶりを見せた。
「悪い。いきなりこんな話を聞かされても困るよな」
「いえ、わかります。私も、昔付き合っていた人に言われた言葉は消えずに、ずっと残っているので」
「そう、なのか」
「はい。痛いところ突かれたなって感じで。そのせいもあるのかもしれませんが、ずっと残ってます。呪いみたいに」
少しだけおどけてそういうと、鷺沼はふっと表情を緩めた。
「だからだろうか。藤宮さんにはなんか話しやすい気がする」
「そう、ですか……?」
今度は驚きで言葉が見つからなかった。昨日と今日。たった少し相対しただけで、そんな印象を持ってもらえるとは、予想外だった。
「よく言われるんじゃないか?話しやすいって」
「全然……初めて言われたかもしれないです」
「そうか。でもだからって、こんな言い訳、するものじゃないな。申し訳ない、忘れてくれ」
「いえ……その、そう言っていただけるのは嬉しいですし、もし何か話したいことがあったら、ぜひ聞かせていただければ」
咄嗟にそう口走ると、鷺沼が目を見開いて美咲を見た。
「す、すみません。出しゃばったみたいで。その、人の話を聞くの好きなんです。だから、そんなに大した意味はなくて。ただ吐き出すだけですっきりすることがあれば、使っていただければ……」
「ありがとう。そう言ってもらえるだけで助かる」
そう言ってくいっとコーヒーを煽った鷺沼は、「また何か澱が溜まったら、聞いてもらいにいくよ。とりあえず今日は、お互い残業頑張ろうか」
「そ、そうですね。ありがとうございました」
まだ開けていないミルクティーを掲げて、美咲は休憩室を出た。
手にかけた長い傘を見ながら、今日折り畳みで来たのはやっぱり正解だったかも、と思いながら。


