「ここが坂本さんが亡くなった自宅だ…」
幸人は山口の協力を得て坂本逸郎が亡くなったとされる自宅マンションへ入った。肝心の妻は行方不明と聞いている。それに部屋の護りが硬すぎる。まず窓は全部新聞紙で目貼りしており、外の郵便受は強力なガムテープでガッチガチに。ドアの鍵は鎖で巻かれて自分でも外から開けられないようになっている。外部との接触を拒絶しているどころではない。
「死亡推定時刻は12月4日の午前8時から10時。連絡が全く取れなかったから俺たちでドアを破壊して強行突破したんだ…」
「(これだけバリア張るなら坂本さんは誰かを襲うことを恐れていたのか…?)坂本さんと同じ症状に酷似した人、そちらで報告挙がってませんか?」
「報告は挙がってないが、多分いる。最近異動してきた安元って刑事が担当しているんだがな…この際だから言うが…その安元って男が症状に悩む人を殺してるって噂がある」
その瞬間一つのことを思い出した。それは真美から送られた写真とメッセージ。情報屋の刈谷が言っていたのは空気感染もあり得るということ。坂本はどのように感染したのだろうか?彼は完全防御された部屋と死体発見現場の写真を携帯に収めると
「坂本さんの血液を電子顕微鏡で確認したらこんなものが見付かったんです」
「これは、雪の結晶か?」
「まだ正体はわかりませんが、この細菌が坂本さんの命を奪ったで間違いないと思います。それに人間獣害事件もこれでしょう」
「それって確か血を求めて人を襲う事件のことだろ?本当何がどうなってんだよ…」
問題は血を吸われた人間が例の細菌に感染するのかどうかだ。
プルプルプル…ピッ
「はい山口だ。どうしたんだ?何…わかった」
「新たな感染者ですか?」
「隣町のイオンモールで集団感染らしい…」
「僕も行きます」
「もう調べ終わったのか?」
「これだけ収めれば十分です」
「わかった。車回すから付いてきてくれ!」
彼は靴を履いて外へ出ようとすると
「坂本さん…」
彼の目からまた涙が出る。何故だ…30歳になって急に涙脆くなっている。僕が泣いてどうする?坂本さんが教えてくれた「護り人」という言葉。護りし者が泣いてなんかいられない!
Rose Orangeのアジトでは秋元純が明美と玲乃に向けて深々と土下座をしていた。何かしでかしてしまったのだろうか?
「何度言われてもダメなものはダメよ…」
「奥野さんは私の身体を捧げてと言いましたよね…?それなのにダメなんて話が違うじゃないですか…」
「純ちゃん…」
どうやらRose Orangeに入りたいと懇願しているようだ。Rose Orangeは殺人を犯した女性ばかりが集まる復讐者の集団。中には例外もいるものの純はクズ親にアダルトビデオの出演を強要されたただの被害者。とても入るような人材ではない。
「いい純?私に身体を捧げたのはRose Orangeに入れるためじゃないわ…」
「けど確かに純ちゃんに帰る場所がありません。せめて寮と仕事くらい用意した方が…?」
唯一してやれることは全うな仕事を紹介して気に入った所で働く手助けをすること。純に帰る場所がないというのは物理的にもう帰れないという意味だ。秋元夫婦は明美が手を下すまでもなく、児童ポルノ禁止法と売春防止法違反、その他諸々の罪が重なって警察に逮捕された。数年は帰れないだろう。
「仕事と寮は用意してあげる。けどRose Orangeの入隊は許さないわ」
「そうね…純ちゃん若いんだから色々と仕事してみなよ?大変かもしれないけど」
「それでも私は…熊谷さんと奥野さんと一緒にやりたいんです!」
「じゃあ純…あなたは人を殺せるの?」
明美は冷えた視線を純に向ける。素人なら萎縮して失禁してしまうほど冷たい目だが
ブルブルブル…
この程度で震えてしまうのならまだ覚悟は生半可だ。
「諦めなさい…取り敢えず用意したビジホに今日は帰ってまた明日、何の仕事したいかだけ考えながら来な?」
結局純がRose Orangeに入ることは認められなかった。それでも仕事を紹介することが唯一できる優しさ。玲乃は頭を下げ続ける純に寄り添うと
バタンッ…!
「玲乃さん大変です!」
「愛菜ちゃん?」
「解析の結果が出ました!」
意外にも早く解析の結果が出た。優秀な科学者の愛菜がいるとやっぱり違う。資料をテーブルに並べると2人の表情が一気に強張る。
「1890年頃、時代でいうと日清戦争ですね…ウイルスの型と症状がこれと完全に一致しました」
「VIS:ZX980?」
「通称ブラックジャム。人為的に作られた細菌兵器でした」
「ブラック…ジャム…?」
正式名称と通称はまるで掠っていないがブラックジャムの名は黒いジャムのような血液が由来しているのだろう。すると歴史の資料に当時記録されている内容によると、感染者は生きている人間の血を求めて肩や腹を食い破った。そして
「食い破られた人も、他の人を襲った…?」
「厄介です…このままじゃ未曾有のバイオハザードが起きてしまいます…それに感染者は何もしなければ2日3日で死に至るみたいなんです…!」
たちが悪いことに感染者か否かを見抜く方法は見た目だけじゃほぼ判別できない。酔っ払っているようにフラついているか獣のような息を鳴らしているかで見抜くしかない。情報屋の刈谷から「幸ちゃん(水瀬幸人)は既に動いている」と聞いている。感染して2日か3日で死ぬなら噛まれたら死を意味する。治療法が見付かっていない限り…
「明美さん!?」
「有効な治療法がないなら入れられるだけタコ部屋に一旦保護するしかない!」
「私も行く…悪いけど愛菜ちゃんは純ちゃんを送ってあげて」
「わかりました!」
明美と玲乃は上着を羽織ると一目散に外へ出た。誰でも感染する可能性がある。一刻も早く止めなければ!2人が出ると純は1枚の写真を眺めていた。
「どうしたの?あぁ~この人確か…高橋知沙さんだったかな?私は会ったことないけど、凄く尊敬できる人だったみたいよ?」
1枚の写真は高橋知沙の顔写真。何故か純の拳はまるで今にでも殴り掛かりそうなほど握っている。
「自分の息子殺したクソ親が尊敬できる人なんですか…!」
「ちょっとどうしたの?」
知沙という名前を聞いてからやはり聞き覚えがある名前だと思っていた。それに何度か会ったこともある。
「この高橋知沙は私の親以上のクズ親ですよ…!」
「落ち着いて…!確かに息子さん殺したことは知ってるけど、あの人は多くの人を救った方だよ!」
「それはどうですかね…結局自分のしたことを隠そうとしただけじゃないですか?目の前にいたら私が殺したいのに…!」
「純ちゃんッ…!?」
まるで人が変わったような怒りの表情で上着を羽織る。愛菜もすぐあとを追うが一体どうしたというのだ?理由は唯一つ、秋元純にとって高橋知沙は宿敵でしかない存在だからだ。そして彼女の脳内に声が響く。
「翔星は私だけのものよ…」
ブーン…バンッ!
「あっちか!?」
ドッドッドッ…!
幸人と山口は車で30分かけて隣町のイオンモールに辿り着くと、店舗の入り口までダッシュ。すると目の前に広がっているのは
「頭痛い…」
「大丈夫か…?酷い熱だ…!」
「ママ…?どこが痛いの?」
「大丈夫よ…うぅ…!うぅ…」
カップルや親子がパートナー、自分の子供や親の体調不良を気遣っている。様子を見るに高熱と頭痛を訴えているがこれも例の細菌兵器か?複数人の救急医が対応に追われている。
「山口さん…例え彼らが襲い掛かっても銃は使わないでください」
「勿論だ…手錠だけは用意してある」
彼は注意深く目を光らせながら噛みつかないか観察する。
「ちょっとは楽になった?」
「大丈夫だ…」
カップルの大学生が点滴を打たれている彼氏に寄り添う。彼氏の名前は大澤友樹で彼女は間宮美知。点滴であの血液が薄まるのだろうか?一縷の望みをかけてみたが
「友樹?ちょっとどうしたの!?友樹…」
「ウゥ…ウゥ…!血を寄越せぇ…!」
「キャッ…!?やめて友樹!」
バサッ…!
彼は咄嗟に美知の身体を後ろにずらす。目に映るのは普通の人間なのにまるで薬漬けにされて正気を失った獣のようだ。
「どうするんだ…!?」
周りの様子を見れば他の感染者もいつ襲い掛かるかわからない状況だ。正気が少しでもある以上殺害できない…それに
「パパ…血…飲みたい…」
「パパも…ハハハ…」
感染していた父親が何と6歳ほどの娘に噛みつき、歯に分泌されている唾液に細菌が含まれているのか、娘にまで感染してしまっている。さらに共食いのように血を吸い合っている状況だ。視線を友樹へ戻すと
「ならお兄さんの血ください…!」
「(ちょっと眠ってもらうか…)申し訳ないです!」
ドゴンッ…!
「う…」
彼のキック一発で友樹の意識は飛んだ。彼含めた感染者はRedEYEで保護しなければ。暴れ回らないように一旦手錠をかけて他の感染者たちに向かい
ドン…ドン…!
なるべく傷つけないようチョップで意識を奪う。かなりの数の手錠を使ったが感染した人間は推定20人。老若男女様々で中には3歳の子供に70歳を越えた高齢者もいる。そのうちの一人、40代の女性が特に危険な状況だ。
「母さん…母さん…」
「ああ…ぁ…」
「大丈夫ですか…!?」
「母さんが…!」
集団感染が起きる前から既に感染していたのだろう。おそらく誰の血も吸わず耐え抜いたのだろうが、血液が固まり続けて女性は虫の息だ。身体が痙攣を起こしてとても立てる様子ではない。必死に母へ縋り付いているのは高校生の息子。この慟哭を無視することなどできない。
「すいません!誰かメスを貸してくれませんか?」
「はい!いいですが…何に使われるんですか?」
「大したことないですよ…」
彼は救急医からメスを借りるとジャケットを脱ぎ、自分の右腕をスパッとメスで切った。
「水瀬君!?」
山口の口はあんぐり開いている。
「噛みつかれて注入されなければ感染しないでしょう」
「おい待て!移ったらどうするんだよ!?」
「そのときはそのときでしょう…さあ…」
チュウ…チュウ
何と彼は命が消えかけている女性に腕の切り傷から自分の血を飲ませる。相当渇いていたのか物凄い勢いで吸い付いている。段々と彼の顔色も白くなっていくが、女性は意識を取り戻すようにお尻をついた状態で起き上がる。
「これ以上は危険だ!」
それでも提供をやめようとしない。既に20%近くは失っている。だがその前に
「母さん…!」
ドンッ…!
止めたのは女性の息子だった。
「ふぅ…ふぅ…颯…?」
「母さん…!」
バタンッ…!
「水瀬君…!だから無理するなって!」
流石超人の彼でも血液を失えば身体が言うことを聞かなくなる。それでも一旦、延命することができたことに安堵した。
「ひとまず僕が保護します…」
「ありがとうございます…!」
延命できたがそれでも3日は持たないだろう。彼が敢えて血を提供したのは感染者が延命できるかどうかを確かめるため。生きるための最低限の血しか残っていない。すると一人の女子高生が気を遣って鉄分豊富の飲むヨーグルトを買って彼のもとに駆け寄り
「ねぇ大丈夫?飲むヨーグルト買ってきたから飲みな?」
「あっ…そんなわざわざ…ありがとうございます」
彼の手は震えていてパックにストローを差し込めない。
プスッ
「もう不器用!はいどうぞ」
ゴクゴク…!
相当喉が渇いて血液が不足しているためか一瞬で飲み終えた。
「ふぅ…助かりました…ありがとうございます…」
「気にしないでよ!目の前にいるイケメンを私が助けないわけないじゃん!」
「お怪我ありませんか?」
「私は大丈夫よ!」
よく見たら自分が通っていた高校、葉琉州エルム高校の制服。後輩の女子生徒に助けられたと考えると何だか感慨深い。数分すると
「生き返りました…よいしょ…」
「大丈夫か…?」
「まだゆっくりした方が?」
「僕は…大丈夫です…!」
ようやく立ち上がったが顔はまるで豆腐のように白くなっている。まだ息を切らしながらその場を後にしようとしたとき
バーン!バーン!
「…!?」
「ちょっと何!?」
「まさかっ…!?」
聞こえた銃声は5発以上。まさか射殺しているのか?
「やめて!この人はまだ…」
バーン!
「キャー!?あなた…!」
段々と銃声が近付いてくるうちに銃を撃っていた本人が姿を現す。
「安元…!」
「安元…?まさかあの…」
安元雅也だ。だが幸人の顔を見てすぐに銃を下ろす。
「ほう…誰かと思ったら悪魔の水瀬幸人じゃないか?随分なマヌケ面だ」
「安元…!」
「フッ…それが最近のご挨拶ですか?」
「水瀬君ッ…」
彼は山口の腕を借りながら立つ。当然だが顔色は真っ白いままだ。
「山口さんも山口さんですね?こんな悪魔と絡んじゃうなんて…」
「水瀬君は悪魔じゃない。何も見境なく射殺してるお前の方が悪魔だろ?」
「勘違いしないでほしい。コイツらを野放しにしたら街中吸血鬼だらけになる」
「ほう…この情報はまだ知れ渡ってないはずなのにもうご存知なんですね?」
「言葉の綾だ」
カチャッ…!
「やめろッ!」
「感染者は一人残らず根絶した方がいい…」
「母さん…!?」
ツンッ…
「あぁ?痛てぇ!?何だこりゃ!」
彼が2本指で安元の手首へ突くと一瞬で激痛が走った。
「僕の前で暴挙は許さない…」
「クッ…!?」
生気がない顔色でも突き刺さるような冷たい視線は健在。
「消えろ…消えないなら拷問開始だ…」
「チッ…!まあいい…覚えておけ?悪魔の命は長くないことをな…」
鋭い視線に耐えられなくなった安元を退散させたが感染者7人射殺されてしまった。
「それより…人々を変えたのって一体何なんだ?」
「VIS:ZX980」
「ヴィス…何だって?」
「ブラックジャムです」
「ブラックジャム…?黒いジャムってことか…ってえっ!?」
事前にブラックジャムのことはRose Orangeから情報を得ている。症状や感染経路などある程度の情報なら入っているが、全ての実態がわかったわけではない。
「でも…何かお腹空いてきました…」
「水瀬君〜!」
その言葉を聞いて山口は心配よりも安心が勝った。空腹も相まって彼は地べたに寝そべっているとRedEYEが到着し、車数台で搬送して一旦は感染者を保護へ。搬送される予定だった病院へは「患者がいつ襲い掛かるかわからないから民間の団体で保護する」と説明して事なきを得ている。
「ラーメン好きですか?」
「ラーメン?好きっていうか大好きだな」
「フッ…良かった、実は僕のお気に入りのお店があるんです。一緒にいかがですか?」
「何だって!?(水瀬君がまさか俺を誘うとは…!)」
「嫌ですか?」
「いやいや行こうぜ!俺もラーメン食いてぇ!」
数分後。幸人と山口が辿り着いたお店は葉琉州町に置く中華料理屋、銘々食堂。彼のお気に入りの店で早い頻度だと週に1回は通っている。
ガラガラ…
「いらっしゃいませ!水瀬先輩!いつもありがとうございます、こちらどうぞ!」
「どうも…(美人な店主さんだなぁ)」
2人を出迎えたのは銘々食堂の美人店主、紫芽生菜(28)。実は幸人と佑香の高校時代の後輩であり、一時期は彼に好意を寄せていたことがある。
「僕はいつもので。山口さんは何にしますか?」
「俺は…炙り塩チャーシューメンと卵かけご飯ください」
「かしこまりました!」
ぐつぐつ…ちゃっちゃっ…
美人店主さんが作る愛情いっぱいのラーメン。彼がいつも頼むメニューは炙りチャーシューメン(醤油)と
ジュー…カンカン…
焦がし醤油と麻油が効いた炒飯。これが大のお気に入り。
「お待たせしました!炙りチャーシューメン大盛りと炒飯、こちらが炙り塩チャーシューメンと卵かけご飯です!ごゆっくりどうぞ」
「やっぱりこれですね…いただきます!」
「いただきます!」
ズルズルズル…スー…
「うまっ!?(チャーシューがとろけて塩のスープうめぇ~!水瀬君こんな良い店知ってたのか!?)」
「あぁ~美味しい…」
ズルズル…
水瀬君って意外と良く食べるんだな、美味しそうに食べるんだなぁと眺める。普段一切笑わない彼の姿を見て何故か山口もハッピーになる。それにしてもラーメンと卵かけご飯が美味すぎる…!
「ぷはぁ…」
「おっ…完食完飲、ありがとうございました!」
「俺もスープ飲んじゃったぁ…いや美味しかったなぁ!」
思わずスープを飲み干してしまうほどの深い味わい。透き通ったような醤油、塩のスープは芽生菜の祖父から続く伝統の味で、彼女は3代目の店主としてその味を守り続けている。
「ここは僕の奢りです」
「いいのか!?マジ美味かったからリピしちまうよ!ご馳走様です!」
「ご馳走様です!」
「ありがとうございました!また来てください!」
ガラガラ…
「腹いっぱい…!久々に美味いラーメン食ったなぁ〜」
「気に入ってくれましたか?」
「一番好きなラーメンになったよ!」
ラーメン大盛りと炒飯を食べて顔色もすっかり戻ったが今日は安静にした方がいいだろう。ひとまずRedEYEから無事保護したと連絡が来ているが感染が早くて既に危険な状態の者もいる。今日は夕飯の当番をすっぽかしてラーメンを食べてしまったから帰ったら妻に謝っておこう…そして明日ブラックジャムを広めたとされる柳澤規夫の身柄を確保し、黒幕に繋がる情報を聞き出す。そんなことを考えて歩いていると
「……(この感じ、誰かが僕を見ているな…)」
「どうしたんだ?」
「いえ…何でもありません…」
遠くから何者かが彼らを見ている。
「どうやら気付いているようだな…流石元公安の水瀬幸人ってところか…」
彼が視線の先にある方向へ目を向ける。これから面白くなるかもしれないな…
同刻。葉琉州町の隣町、永琉州にある民宿。民宿を経営する女性、唐木麻早奈(46)はこの日も宿泊するお客さんに料理を振る舞っていた。
「今日は鍋ですよ!」
「お〜これは温まるなぁ!」
フーフー…
麻早奈の他に本来なら娘の麻織(20)も手伝っているはずだが1年以上顔を出していない。それより何をしているかわからない。自然な考え方なら遠方で働いているか学校に通っていると思われるが、実際は全然違う。お客さんが寝静まった23時くらいになると、麻早奈は民宿の地下室に必ず入る。何故なら…
「あらどうしたの…もしかしてお口に合わなかったかしら?」
地下室に鎖と首輪で繋がれているのは何と娘の麻織!実の娘を暗くて寒い地下室にほぼ裸で監禁している。床は吐瀉物に塗れて糞尿も垂れ流し…
「さぁ食べなさい。あなたのために作ったんだから食べてよ…?」
「もう…入らない…よ…」
出された料理はとても成人男性でも食べ切れるような量じゃない肉や揚げ物。おそらく無理矢理食べさせられて吐くを繰り返していたのだろう。必死で飲み込まないように抵抗しても
ドスッ…!
「ウゥ…!?」
「ねぇ食べてよ…ねぇ!」
「ンンン〜…!!」
殴られる恐怖に逆らえず結局食べてしまう。何故実の娘に非人道的な所業をするのか?理由の一つにあの人物と同じ感情があるかもしれないが、何故大人になった娘を監禁する選択に至ったのだろうか?監禁された当初は声を張り上げて助けを呼んでいたためお客さんが寝る寝室に鳴り響き、「夜になるとすすり泣く声が聞こえる」と噂され、心霊民宿のような話も出ている。最近は声を出す余力もなく叫ぶことがないため噂こそ去っているが、心霊以前に立派な生きている声が出ていたということだ。
「ママ…もうやめてよ…」
「何言ってるの?ママと一緒にいる方が幸せでしょ?」
流れ出る血を舐め取る母親の顔はもう人間には見えなくなっていた。
「いけない…ママを睨んじゃダメよ」
ジュー…!
「ぎゃああぁ…!熱い…!熱…ぃ…!」
身体の数箇所に殴られた痕と焼鏝を当てられた火傷の痕。外傷だけでなく内臓の損傷も既に限界だ。
バタン…
「やりすぎちゃったわね…じゃっ、また明日ね?」
「…うぅ…ママ…何でこんなことに…誰か助けて…」
優しかった母親が死んでもおかしくないほどの暴力をするなんてありえない以前にとても信じられない。20年生きてきてこんな母親の姿は見たこともない。誰か助けてほしい…ママのことも助けてほしい…ひたすらそれだけを考えながら暗くて寒い地下室で今日も目を閉じる。
幸人は山口の協力を得て坂本逸郎が亡くなったとされる自宅マンションへ入った。肝心の妻は行方不明と聞いている。それに部屋の護りが硬すぎる。まず窓は全部新聞紙で目貼りしており、外の郵便受は強力なガムテープでガッチガチに。ドアの鍵は鎖で巻かれて自分でも外から開けられないようになっている。外部との接触を拒絶しているどころではない。
「死亡推定時刻は12月4日の午前8時から10時。連絡が全く取れなかったから俺たちでドアを破壊して強行突破したんだ…」
「(これだけバリア張るなら坂本さんは誰かを襲うことを恐れていたのか…?)坂本さんと同じ症状に酷似した人、そちらで報告挙がってませんか?」
「報告は挙がってないが、多分いる。最近異動してきた安元って刑事が担当しているんだがな…この際だから言うが…その安元って男が症状に悩む人を殺してるって噂がある」
その瞬間一つのことを思い出した。それは真美から送られた写真とメッセージ。情報屋の刈谷が言っていたのは空気感染もあり得るということ。坂本はどのように感染したのだろうか?彼は完全防御された部屋と死体発見現場の写真を携帯に収めると
「坂本さんの血液を電子顕微鏡で確認したらこんなものが見付かったんです」
「これは、雪の結晶か?」
「まだ正体はわかりませんが、この細菌が坂本さんの命を奪ったで間違いないと思います。それに人間獣害事件もこれでしょう」
「それって確か血を求めて人を襲う事件のことだろ?本当何がどうなってんだよ…」
問題は血を吸われた人間が例の細菌に感染するのかどうかだ。
プルプルプル…ピッ
「はい山口だ。どうしたんだ?何…わかった」
「新たな感染者ですか?」
「隣町のイオンモールで集団感染らしい…」
「僕も行きます」
「もう調べ終わったのか?」
「これだけ収めれば十分です」
「わかった。車回すから付いてきてくれ!」
彼は靴を履いて外へ出ようとすると
「坂本さん…」
彼の目からまた涙が出る。何故だ…30歳になって急に涙脆くなっている。僕が泣いてどうする?坂本さんが教えてくれた「護り人」という言葉。護りし者が泣いてなんかいられない!
Rose Orangeのアジトでは秋元純が明美と玲乃に向けて深々と土下座をしていた。何かしでかしてしまったのだろうか?
「何度言われてもダメなものはダメよ…」
「奥野さんは私の身体を捧げてと言いましたよね…?それなのにダメなんて話が違うじゃないですか…」
「純ちゃん…」
どうやらRose Orangeに入りたいと懇願しているようだ。Rose Orangeは殺人を犯した女性ばかりが集まる復讐者の集団。中には例外もいるものの純はクズ親にアダルトビデオの出演を強要されたただの被害者。とても入るような人材ではない。
「いい純?私に身体を捧げたのはRose Orangeに入れるためじゃないわ…」
「けど確かに純ちゃんに帰る場所がありません。せめて寮と仕事くらい用意した方が…?」
唯一してやれることは全うな仕事を紹介して気に入った所で働く手助けをすること。純に帰る場所がないというのは物理的にもう帰れないという意味だ。秋元夫婦は明美が手を下すまでもなく、児童ポルノ禁止法と売春防止法違反、その他諸々の罪が重なって警察に逮捕された。数年は帰れないだろう。
「仕事と寮は用意してあげる。けどRose Orangeの入隊は許さないわ」
「そうね…純ちゃん若いんだから色々と仕事してみなよ?大変かもしれないけど」
「それでも私は…熊谷さんと奥野さんと一緒にやりたいんです!」
「じゃあ純…あなたは人を殺せるの?」
明美は冷えた視線を純に向ける。素人なら萎縮して失禁してしまうほど冷たい目だが
ブルブルブル…
この程度で震えてしまうのならまだ覚悟は生半可だ。
「諦めなさい…取り敢えず用意したビジホに今日は帰ってまた明日、何の仕事したいかだけ考えながら来な?」
結局純がRose Orangeに入ることは認められなかった。それでも仕事を紹介することが唯一できる優しさ。玲乃は頭を下げ続ける純に寄り添うと
バタンッ…!
「玲乃さん大変です!」
「愛菜ちゃん?」
「解析の結果が出ました!」
意外にも早く解析の結果が出た。優秀な科学者の愛菜がいるとやっぱり違う。資料をテーブルに並べると2人の表情が一気に強張る。
「1890年頃、時代でいうと日清戦争ですね…ウイルスの型と症状がこれと完全に一致しました」
「VIS:ZX980?」
「通称ブラックジャム。人為的に作られた細菌兵器でした」
「ブラック…ジャム…?」
正式名称と通称はまるで掠っていないがブラックジャムの名は黒いジャムのような血液が由来しているのだろう。すると歴史の資料に当時記録されている内容によると、感染者は生きている人間の血を求めて肩や腹を食い破った。そして
「食い破られた人も、他の人を襲った…?」
「厄介です…このままじゃ未曾有のバイオハザードが起きてしまいます…それに感染者は何もしなければ2日3日で死に至るみたいなんです…!」
たちが悪いことに感染者か否かを見抜く方法は見た目だけじゃほぼ判別できない。酔っ払っているようにフラついているか獣のような息を鳴らしているかで見抜くしかない。情報屋の刈谷から「幸ちゃん(水瀬幸人)は既に動いている」と聞いている。感染して2日か3日で死ぬなら噛まれたら死を意味する。治療法が見付かっていない限り…
「明美さん!?」
「有効な治療法がないなら入れられるだけタコ部屋に一旦保護するしかない!」
「私も行く…悪いけど愛菜ちゃんは純ちゃんを送ってあげて」
「わかりました!」
明美と玲乃は上着を羽織ると一目散に外へ出た。誰でも感染する可能性がある。一刻も早く止めなければ!2人が出ると純は1枚の写真を眺めていた。
「どうしたの?あぁ~この人確か…高橋知沙さんだったかな?私は会ったことないけど、凄く尊敬できる人だったみたいよ?」
1枚の写真は高橋知沙の顔写真。何故か純の拳はまるで今にでも殴り掛かりそうなほど握っている。
「自分の息子殺したクソ親が尊敬できる人なんですか…!」
「ちょっとどうしたの?」
知沙という名前を聞いてからやはり聞き覚えがある名前だと思っていた。それに何度か会ったこともある。
「この高橋知沙は私の親以上のクズ親ですよ…!」
「落ち着いて…!確かに息子さん殺したことは知ってるけど、あの人は多くの人を救った方だよ!」
「それはどうですかね…結局自分のしたことを隠そうとしただけじゃないですか?目の前にいたら私が殺したいのに…!」
「純ちゃんッ…!?」
まるで人が変わったような怒りの表情で上着を羽織る。愛菜もすぐあとを追うが一体どうしたというのだ?理由は唯一つ、秋元純にとって高橋知沙は宿敵でしかない存在だからだ。そして彼女の脳内に声が響く。
「翔星は私だけのものよ…」
ブーン…バンッ!
「あっちか!?」
ドッドッドッ…!
幸人と山口は車で30分かけて隣町のイオンモールに辿り着くと、店舗の入り口までダッシュ。すると目の前に広がっているのは
「頭痛い…」
「大丈夫か…?酷い熱だ…!」
「ママ…?どこが痛いの?」
「大丈夫よ…うぅ…!うぅ…」
カップルや親子がパートナー、自分の子供や親の体調不良を気遣っている。様子を見るに高熱と頭痛を訴えているがこれも例の細菌兵器か?複数人の救急医が対応に追われている。
「山口さん…例え彼らが襲い掛かっても銃は使わないでください」
「勿論だ…手錠だけは用意してある」
彼は注意深く目を光らせながら噛みつかないか観察する。
「ちょっとは楽になった?」
「大丈夫だ…」
カップルの大学生が点滴を打たれている彼氏に寄り添う。彼氏の名前は大澤友樹で彼女は間宮美知。点滴であの血液が薄まるのだろうか?一縷の望みをかけてみたが
「友樹?ちょっとどうしたの!?友樹…」
「ウゥ…ウゥ…!血を寄越せぇ…!」
「キャッ…!?やめて友樹!」
バサッ…!
彼は咄嗟に美知の身体を後ろにずらす。目に映るのは普通の人間なのにまるで薬漬けにされて正気を失った獣のようだ。
「どうするんだ…!?」
周りの様子を見れば他の感染者もいつ襲い掛かるかわからない状況だ。正気が少しでもある以上殺害できない…それに
「パパ…血…飲みたい…」
「パパも…ハハハ…」
感染していた父親が何と6歳ほどの娘に噛みつき、歯に分泌されている唾液に細菌が含まれているのか、娘にまで感染してしまっている。さらに共食いのように血を吸い合っている状況だ。視線を友樹へ戻すと
「ならお兄さんの血ください…!」
「(ちょっと眠ってもらうか…)申し訳ないです!」
ドゴンッ…!
「う…」
彼のキック一発で友樹の意識は飛んだ。彼含めた感染者はRedEYEで保護しなければ。暴れ回らないように一旦手錠をかけて他の感染者たちに向かい
ドン…ドン…!
なるべく傷つけないようチョップで意識を奪う。かなりの数の手錠を使ったが感染した人間は推定20人。老若男女様々で中には3歳の子供に70歳を越えた高齢者もいる。そのうちの一人、40代の女性が特に危険な状況だ。
「母さん…母さん…」
「ああ…ぁ…」
「大丈夫ですか…!?」
「母さんが…!」
集団感染が起きる前から既に感染していたのだろう。おそらく誰の血も吸わず耐え抜いたのだろうが、血液が固まり続けて女性は虫の息だ。身体が痙攣を起こしてとても立てる様子ではない。必死に母へ縋り付いているのは高校生の息子。この慟哭を無視することなどできない。
「すいません!誰かメスを貸してくれませんか?」
「はい!いいですが…何に使われるんですか?」
「大したことないですよ…」
彼は救急医からメスを借りるとジャケットを脱ぎ、自分の右腕をスパッとメスで切った。
「水瀬君!?」
山口の口はあんぐり開いている。
「噛みつかれて注入されなければ感染しないでしょう」
「おい待て!移ったらどうするんだよ!?」
「そのときはそのときでしょう…さあ…」
チュウ…チュウ
何と彼は命が消えかけている女性に腕の切り傷から自分の血を飲ませる。相当渇いていたのか物凄い勢いで吸い付いている。段々と彼の顔色も白くなっていくが、女性は意識を取り戻すようにお尻をついた状態で起き上がる。
「これ以上は危険だ!」
それでも提供をやめようとしない。既に20%近くは失っている。だがその前に
「母さん…!」
ドンッ…!
止めたのは女性の息子だった。
「ふぅ…ふぅ…颯…?」
「母さん…!」
バタンッ…!
「水瀬君…!だから無理するなって!」
流石超人の彼でも血液を失えば身体が言うことを聞かなくなる。それでも一旦、延命することができたことに安堵した。
「ひとまず僕が保護します…」
「ありがとうございます…!」
延命できたがそれでも3日は持たないだろう。彼が敢えて血を提供したのは感染者が延命できるかどうかを確かめるため。生きるための最低限の血しか残っていない。すると一人の女子高生が気を遣って鉄分豊富の飲むヨーグルトを買って彼のもとに駆け寄り
「ねぇ大丈夫?飲むヨーグルト買ってきたから飲みな?」
「あっ…そんなわざわざ…ありがとうございます」
彼の手は震えていてパックにストローを差し込めない。
プスッ
「もう不器用!はいどうぞ」
ゴクゴク…!
相当喉が渇いて血液が不足しているためか一瞬で飲み終えた。
「ふぅ…助かりました…ありがとうございます…」
「気にしないでよ!目の前にいるイケメンを私が助けないわけないじゃん!」
「お怪我ありませんか?」
「私は大丈夫よ!」
よく見たら自分が通っていた高校、葉琉州エルム高校の制服。後輩の女子生徒に助けられたと考えると何だか感慨深い。数分すると
「生き返りました…よいしょ…」
「大丈夫か…?」
「まだゆっくりした方が?」
「僕は…大丈夫です…!」
ようやく立ち上がったが顔はまるで豆腐のように白くなっている。まだ息を切らしながらその場を後にしようとしたとき
バーン!バーン!
「…!?」
「ちょっと何!?」
「まさかっ…!?」
聞こえた銃声は5発以上。まさか射殺しているのか?
「やめて!この人はまだ…」
バーン!
「キャー!?あなた…!」
段々と銃声が近付いてくるうちに銃を撃っていた本人が姿を現す。
「安元…!」
「安元…?まさかあの…」
安元雅也だ。だが幸人の顔を見てすぐに銃を下ろす。
「ほう…誰かと思ったら悪魔の水瀬幸人じゃないか?随分なマヌケ面だ」
「安元…!」
「フッ…それが最近のご挨拶ですか?」
「水瀬君ッ…」
彼は山口の腕を借りながら立つ。当然だが顔色は真っ白いままだ。
「山口さんも山口さんですね?こんな悪魔と絡んじゃうなんて…」
「水瀬君は悪魔じゃない。何も見境なく射殺してるお前の方が悪魔だろ?」
「勘違いしないでほしい。コイツらを野放しにしたら街中吸血鬼だらけになる」
「ほう…この情報はまだ知れ渡ってないはずなのにもうご存知なんですね?」
「言葉の綾だ」
カチャッ…!
「やめろッ!」
「感染者は一人残らず根絶した方がいい…」
「母さん…!?」
ツンッ…
「あぁ?痛てぇ!?何だこりゃ!」
彼が2本指で安元の手首へ突くと一瞬で激痛が走った。
「僕の前で暴挙は許さない…」
「クッ…!?」
生気がない顔色でも突き刺さるような冷たい視線は健在。
「消えろ…消えないなら拷問開始だ…」
「チッ…!まあいい…覚えておけ?悪魔の命は長くないことをな…」
鋭い視線に耐えられなくなった安元を退散させたが感染者7人射殺されてしまった。
「それより…人々を変えたのって一体何なんだ?」
「VIS:ZX980」
「ヴィス…何だって?」
「ブラックジャムです」
「ブラックジャム…?黒いジャムってことか…ってえっ!?」
事前にブラックジャムのことはRose Orangeから情報を得ている。症状や感染経路などある程度の情報なら入っているが、全ての実態がわかったわけではない。
「でも…何かお腹空いてきました…」
「水瀬君〜!」
その言葉を聞いて山口は心配よりも安心が勝った。空腹も相まって彼は地べたに寝そべっているとRedEYEが到着し、車数台で搬送して一旦は感染者を保護へ。搬送される予定だった病院へは「患者がいつ襲い掛かるかわからないから民間の団体で保護する」と説明して事なきを得ている。
「ラーメン好きですか?」
「ラーメン?好きっていうか大好きだな」
「フッ…良かった、実は僕のお気に入りのお店があるんです。一緒にいかがですか?」
「何だって!?(水瀬君がまさか俺を誘うとは…!)」
「嫌ですか?」
「いやいや行こうぜ!俺もラーメン食いてぇ!」
数分後。幸人と山口が辿り着いたお店は葉琉州町に置く中華料理屋、銘々食堂。彼のお気に入りの店で早い頻度だと週に1回は通っている。
ガラガラ…
「いらっしゃいませ!水瀬先輩!いつもありがとうございます、こちらどうぞ!」
「どうも…(美人な店主さんだなぁ)」
2人を出迎えたのは銘々食堂の美人店主、紫芽生菜(28)。実は幸人と佑香の高校時代の後輩であり、一時期は彼に好意を寄せていたことがある。
「僕はいつもので。山口さんは何にしますか?」
「俺は…炙り塩チャーシューメンと卵かけご飯ください」
「かしこまりました!」
ぐつぐつ…ちゃっちゃっ…
美人店主さんが作る愛情いっぱいのラーメン。彼がいつも頼むメニューは炙りチャーシューメン(醤油)と
ジュー…カンカン…
焦がし醤油と麻油が効いた炒飯。これが大のお気に入り。
「お待たせしました!炙りチャーシューメン大盛りと炒飯、こちらが炙り塩チャーシューメンと卵かけご飯です!ごゆっくりどうぞ」
「やっぱりこれですね…いただきます!」
「いただきます!」
ズルズルズル…スー…
「うまっ!?(チャーシューがとろけて塩のスープうめぇ~!水瀬君こんな良い店知ってたのか!?)」
「あぁ~美味しい…」
ズルズル…
水瀬君って意外と良く食べるんだな、美味しそうに食べるんだなぁと眺める。普段一切笑わない彼の姿を見て何故か山口もハッピーになる。それにしてもラーメンと卵かけご飯が美味すぎる…!
「ぷはぁ…」
「おっ…完食完飲、ありがとうございました!」
「俺もスープ飲んじゃったぁ…いや美味しかったなぁ!」
思わずスープを飲み干してしまうほどの深い味わい。透き通ったような醤油、塩のスープは芽生菜の祖父から続く伝統の味で、彼女は3代目の店主としてその味を守り続けている。
「ここは僕の奢りです」
「いいのか!?マジ美味かったからリピしちまうよ!ご馳走様です!」
「ご馳走様です!」
「ありがとうございました!また来てください!」
ガラガラ…
「腹いっぱい…!久々に美味いラーメン食ったなぁ〜」
「気に入ってくれましたか?」
「一番好きなラーメンになったよ!」
ラーメン大盛りと炒飯を食べて顔色もすっかり戻ったが今日は安静にした方がいいだろう。ひとまずRedEYEから無事保護したと連絡が来ているが感染が早くて既に危険な状態の者もいる。今日は夕飯の当番をすっぽかしてラーメンを食べてしまったから帰ったら妻に謝っておこう…そして明日ブラックジャムを広めたとされる柳澤規夫の身柄を確保し、黒幕に繋がる情報を聞き出す。そんなことを考えて歩いていると
「……(この感じ、誰かが僕を見ているな…)」
「どうしたんだ?」
「いえ…何でもありません…」
遠くから何者かが彼らを見ている。
「どうやら気付いているようだな…流石元公安の水瀬幸人ってところか…」
彼が視線の先にある方向へ目を向ける。これから面白くなるかもしれないな…
同刻。葉琉州町の隣町、永琉州にある民宿。民宿を経営する女性、唐木麻早奈(46)はこの日も宿泊するお客さんに料理を振る舞っていた。
「今日は鍋ですよ!」
「お〜これは温まるなぁ!」
フーフー…
麻早奈の他に本来なら娘の麻織(20)も手伝っているはずだが1年以上顔を出していない。それより何をしているかわからない。自然な考え方なら遠方で働いているか学校に通っていると思われるが、実際は全然違う。お客さんが寝静まった23時くらいになると、麻早奈は民宿の地下室に必ず入る。何故なら…
「あらどうしたの…もしかしてお口に合わなかったかしら?」
地下室に鎖と首輪で繋がれているのは何と娘の麻織!実の娘を暗くて寒い地下室にほぼ裸で監禁している。床は吐瀉物に塗れて糞尿も垂れ流し…
「さぁ食べなさい。あなたのために作ったんだから食べてよ…?」
「もう…入らない…よ…」
出された料理はとても成人男性でも食べ切れるような量じゃない肉や揚げ物。おそらく無理矢理食べさせられて吐くを繰り返していたのだろう。必死で飲み込まないように抵抗しても
ドスッ…!
「ウゥ…!?」
「ねぇ食べてよ…ねぇ!」
「ンンン〜…!!」
殴られる恐怖に逆らえず結局食べてしまう。何故実の娘に非人道的な所業をするのか?理由の一つにあの人物と同じ感情があるかもしれないが、何故大人になった娘を監禁する選択に至ったのだろうか?監禁された当初は声を張り上げて助けを呼んでいたためお客さんが寝る寝室に鳴り響き、「夜になるとすすり泣く声が聞こえる」と噂され、心霊民宿のような話も出ている。最近は声を出す余力もなく叫ぶことがないため噂こそ去っているが、心霊以前に立派な生きている声が出ていたということだ。
「ママ…もうやめてよ…」
「何言ってるの?ママと一緒にいる方が幸せでしょ?」
流れ出る血を舐め取る母親の顔はもう人間には見えなくなっていた。
「いけない…ママを睨んじゃダメよ」
ジュー…!
「ぎゃああぁ…!熱い…!熱…ぃ…!」
身体の数箇所に殴られた痕と焼鏝を当てられた火傷の痕。外傷だけでなく内臓の損傷も既に限界だ。
バタン…
「やりすぎちゃったわね…じゃっ、また明日ね?」
「…うぅ…ママ…何でこんなことに…誰か助けて…」
優しかった母親が死んでもおかしくないほどの暴力をするなんてありえない以前にとても信じられない。20年生きてきてこんな母親の姿は見たこともない。誰か助けてほしい…ママのことも助けてほしい…ひたすらそれだけを考えながら暗くて寒い地下室で今日も目を閉じる。

