2028年9月1日。今新たな生命が誕生しようとしていた。東京新宿区葉琉州大学附属病院の分娩室で
「ウゥゥ~…!!」
「ゆっくり吐いて…はい吸って!」
「ウゥ…!!」
張り裂けそうな痛みと戦いながら生命を生み出そうとしている女性は水瀬佑香(30)。彼女の希望で夫は立ち会わないようだ。陣痛が始まってから既に13時間は経っている。もう死んじゃいそう…!それくらいの痛みだ。やがて
「オギャァ…!オギャァ!」
大きな産声を上げて生まれたのは2754gと少し小さい赤ちゃん。生まれるまで性別は聞いていない。
「おめでとうございます!元気な女の子です!」
「ふぅ…」
2028年9月1日15時41分。元気な女の子が誕生。母親の水瀬佑香は初産ですぐにでも抱き締めたくて仕方ないが、産後の体力低下と疲労から一旦ゆっくりと眠った。
数時間後。
「佑香さん!」
「ちょっと大声で入ってこないでよ…」
「すいません…」
「ほらっあなたの赤ちゃん…女の子よ」
彼女の病室に入ってきたのは夫で赤ん坊の父親のようだ。彼の名前は水瀬幸人(30)。実はこの2人は高校時代の同級生であり、当時交際していたという。1年前彼が行きつけのレストランで再会したことを機に再び付き合い始め結婚。結婚してすぐに妊娠した。
「自分の赤ちゃんってこんなに可愛いんですね…」
「あなたに似てる…将来はきっと美女よ」
彼は初めて自分の赤ちゃんを抱っこする。強く抱き締めたい気持ちを抑えながら優しく。彼は体格がただですら大きいため力を込めてしまったら危ない…そんなとき
「ねぇ…あなたが名前付けてくれない?」
「僕ですか?」
「あなたの方が私より良い名前付けれそうだから」
まさか名付けを任されるとは…名前は赤ちゃんに与える最初のプレゼント。責任重大のプレッシャーに嬉しさと不安で彼の心も押し潰されそうだ。自分の幸人という名前は彼の母親が「どんな逆境でも幸せな人になってほしい。永遠に幸ある人になってほしい」という由来。どうしようどうしよう…!パッと名前が出てこない!外の空気を吸えば浮かぶのではないかと一旦外へ出ると…
「(今日は綺麗だな…)」
外へ出てみると今日は満月がとても綺麗な夜だった。満月…夜…月…
「あっ…」
月!!これはきっと何かの縁だ。月という字は絶対に入れよう!すぐ妻に名前の案を伝えようと病室に戻るが…
「スヤスヤ…」
「あぁ…」
やっぱり疲れているのか妻は眠っていた。また明日になったら報告しよう。彼はそう思いながら感謝と愛を込めておでこにキスをした。
それから3ヶ月後の12月。雪こそ降っていないが東京はかなり冷え込んでいて気温は5℃。
「いやぁ寒いわねぇ〜」
「本当ですよね…足が冷たいです」
「バブゥ…」
「結月さんも寒いみたいです」
自分の娘にさん付けしているのか?それにしても彼の口調は非常に丁寧で自分の妻はおろか娘にまで敬語を使っている。お硬い仕事でもしているのか?それと紹介が遅れたが、2人の間に生まれた女の子の名前は結月(ユヅキ)と名付けられた。由来は生まれた日の夜が満月で綺麗であったこと、そして高校時代に交際していた者同士を結んだこと。「愛を結ぶ月のように美しい女性」、それが結月と名付けられた由来だ。そう考えれば夫婦親子揃ってイニシャルがM・Y。自分の名前が好きな彼にとってそれに勝る名前を付けなきゃならないプライドがあったのだろう。妻がベビーカーを押しながら歩いていると、クリスマスの日にイルミネーションのライトアップが予定されている葉琉州記念公園に辿り着く。
「去年はあなた仕事で一緒に行けなかったから今年は絶対よ?」
「勿論ですよ。約束は守ります」
「結月にも見せてあげたい…」
去年のイルミネーションは夫婦で見ることができなかった。どうやら仕事で都合を合わせられなかったようだ。彼は一体何の仕事をしている?だがそんなとき…
「フン…隙だらけだ。このまま撃ち殺す…」
突然彼を狙う怪しいスナイパーが。ライフルのスコープで完全に彼の脳天を撃ち抜こうとしている。
「(この気配…誰かが僕を狙撃しようとしている…)」
何と彼は殺意を読み取っていた。彼はタイミングを狙って
「今年のクリスマスはイルミネーション見た後、ディナーの後クリスマスケーキも…ねぇ聞いて…」
バサッ
「ちょっちょっと!?」
彼は妻が被るニット帽を下ろして目隠しをすると
スーン…
「何…!?」
グサッ…
何と彼は30m先のスナイパー目掛けて隠し持っていた投げナイフを命中させた。
「ちょっと何すんのよ…?」
「すいません…何か埃が飛んでたみたいで」
「あぁそう…」
彼の服装を見るに暗器など仕込んでいるように見えなかった。しかしほぼノールックで投げナイフを30m先のスナイパーに命中させる業は軍人でも容易ではない。何故彼が命を狙われている?だがこれ以上そこに留まるのは危ないかもしれない。
「寒くなってきましたし帰りましょっか?」
「そうね…そろそろ夕飯の用意もしなきゃだし」
「今日の当番は僕ですね。温かいもの作りますよ」
「うん!」
同刻。
ブーン…キュッ…バフッ
「お疲れ様です社長…」
「お疲れ様」
株式会社グランドマーミン。それは葉琉州町に本社に置く美容・生活関連サービスの会社。都内をはじめ関東地方を中心に美容室、エステサロンやスポーツジムなどを展開している企業だ。今車から降りたのは代表取締役の川崎弘達(40)。2年前の事件で右目を失っているため眼帯をしている。
「先月の売上分です」
「よし…中々好調だな。ご苦労さん」
彼が社長室に入ると
「お疲れ様です!」
「お疲れ様」
社長室で彼を待っていたのは秘書課の神戸真美(24)。2人は2年前まで同じ銀行に務めていた上司と部下の関係であり、実は異母兄妹なのだ。
「例の件どうなってる?」
「はい。店長は加藤さんが適任だと思います」
「そうか。これで新店舗スタートだな」
1年間で3店舗から4店舗新店をオープン。先月は千葉県にリラクゼーションサロンを開業したようだ。ついさっきまでその千葉県の店舗まで視察に行ったみたいだが、平日にも関わらず予約がいっぱい。
「ホームページの更新は前の文面通りで問題ないだろう」
「わかりました!」
カタカタカタカタ…
本当妹が秘書として働いてくれて本当に良かった。2人は前職の銀行で再会するまでずっと兄妹離ればなれだった彼にとって幸せだけじゃ言い表せない。
「社長、最近社に不穏な影があると報告があります」
「そうか…穏やかに思わない人間もいるか」
「よろしければ私行ってきますよ」
「手荒なことはダメだぞ?」
彼女は立った襟を静かに正すと
「大丈夫ですよ」
見るからに華奢で細身の女性だが一体どこへ行くのだろうか?実は彼女は普通に生活する24歳の女性とは一味違う。彼女が向かった先は会社から車で10分ほどの距離にある店舗、CLUB SKY。タイ古式マッサージを専門に行うリラクゼーション。ついさっき迷惑客が暴れていて困っているとSOSが入り、トラブルバスターに彼女が出向いたというわけだ。
「神戸さん!」
「待たせたわね。お客様、一体どうされましたか?」
「どうしたもこうしたもねぇよ!ここのマッサージ受けたら身体痛くて仕方ねぇんだよ!」
「どのように痛いかとか、詳しくお聞かせいただけませんか?」
「あぁ~!?とにかく痛ぇんだよ!」
クレーマーは40代半ばの男性。話を聞けばマッサージを受けたらとにかく身体が痛いと訴えているが明らかに元気だ。だがそのとき
「違うんです!この人盗撮してたんです!」
「あらら、これはちょっと違う話になってしまいますね?携帯の中身見せてもらえますか?」
「盗撮なんしてねえ!」
彼女の表情は一か八かで言っているようには見えない。男が盗撮していたことは既に把握している。勿論施術している部屋に防犯カメラは設置されていないが、盗撮を指摘した際に騒ぎ立てる瞬間が店内のカメラに記録されている。
「このまま穏便に済ませましょう?あなただって愛する人がいるでしょう?」
「急に何の話だよ?」
「だから携帯の中身、見せてください」
「そんなもん誰が見せるかよ!」
男は持っているバッグを横薙ぎにブン回した。だが
ガシッ
「よいしょ」
彼女は男を背負い投げしてうつ伏せの体勢になるように施術台に乗せる。すると
「よかったら私のマッサージを堪能してもらいましょっか?」
「何…?」
「ちょっと痛いです…よ!」
グリグリグリ…!
「イテテテテ…!イテェよ!」
彼女がお見舞いしたのは両手の親指に全体重をかけた痛すぎるマッサージ。むしろこの強度ならコリ改善に良いだろう。彼女は颯爽と男のスマホを取ると
「盗撮はいけません。撮ったものは全部削除です!」
「すいません…でした…」
「こんなことはやめて、早く家族のもとに帰りなさい」
男は痛すぎるマッサージを受けるとそそくさと逃げていった。警察には通報しないようだ。
「本当にありがとうございます!」
「いえいえ、皆さんとも怪我なくて良かったわ」
「でも警察に言わないなんて…」
「もう迷惑行為の心配はないわ。ちょっと痛い目見てもらったから」
「でも神戸さん強いですねぇ?」
「そんなことないわ」
男性を投げ飛ばすパワーとマッサージテクニック。実際神戸真美は普通の女性ではなく、2年前まで"執行人"として活動していた。社会復帰するに至って所属していた組織を脱退したが、今でもたまに組織に入り浸って戦闘訓練を積んでいる。そのためある意味彼女は会社の秘書兼ボディーガード的存在だ。
翌日。幸人は家族に仕事と称してある場所へ向かっていた。向かった先は駅ビルの傍にある中華料理屋。
「いらっしゃいませ。1名様でしょうか?」
「合流の方がいるはずです」
「あちらのお客様でしょうか?」
店員が向ける方向を確認するとカタギには見えない男。どうやら合っているようだ。
「はい」
「どうぞ。いらっしゃいませ!」
窓に近い端っこの席に対面の形で座る。問題の相手はハットを目深に被っている。異様な雰囲気に思わず店員も緊張を隠せない。
「ごゆっくりどうぞ…」
男は何も話す気配がない。
「僕を呼び出したということは、あなたの奢りってことでいいのでしょうか?」
彼の方から第一声。すると
「フン…流石噂通りだ。肝が据わってる…」
その言葉を言い放つと男はハットを脱いだ。勿論と言っては何だが初対面だ。
「私は赤田唐司。お会いできて光栄だよ、水瀬幸人さん…」
「光栄とはどういった意味で?」
「取り敢えず好きなもの頼みぃや?腹減っちゃ話す気もないだろ?」
わざわざ呼び出されたのだ。お言葉に甘えるのも礼儀の一つ。彼は海老チャーハンとハイボールを注文した。数分待って料理が到着して食べ進めていると
ガツガツ…ゴクゴク…
「君はRedEYEの執行人として非常に優秀な存在だと聞いている。暗殺者と言った方がいいか?」
ゴクン…ゴクゴク…
「フゥ…それがあなたとどういう関係でしょう?」
RedEYEの単語が聞こえた別のお客からも視線が集まる。それに関わったらマズいと思ったのか食べるペースが一気に早くなる。本来自分の正体を勘ぐられると目を合わせたくないのが普通の心理だが、彼は持ち前のポーカーフェイスで無表情を貫く。
「他の方がゆっくり食べられないじゃないですか?僕たちの話が終わらなければ…」
「フン…流石話が早い。なら助かるよ」
男はそう言うと2枚の写真をテーブルに出した。1枚は彼と妻の佑香と一緒に歩いている写真。隠し撮りしたのか?そして2枚目は
「君も知っている存在だろう?」
「さぁ~?一体どこの誰でしょう?」
「まさかシラを切るつもりか?」
突然男の表情が少し険しくなる。一体誰の写真を見せているのだろうか?
「仮に知っているとして、僕に何の用でしょう?」
「無論暗殺だ。報酬は5億…」
「5億…随分お安いじゃないですか?」
ガツガツガツ…ゴク…
彼はチャーハンを一気に頬張って飲み込んだ。
「君子供生まれたんだろ…?いつか君の正体が明るみになると世間は後ろ指を差す」
彼は一切焦らずむしろリラックスするように、腹いっぱいになった表情を浮かべ
「僕にもの頼むなら、もっと誠意見せてもらわなきゃ困りますね!」
彼はジョッキに口を付けるとハイボールの中に入っていた氷を口に含み
「フッ…!」
まるで弾丸のような速度で氷が吐き出される!
「甘いな…」
だが男は皿で氷をガード。騒ぎにつられて他の客、要するに男の仲間が一斉に銃を放つ!
バンバーン!
彼は弾丸の隙間を縫うように回避。そのまま奴に接近すると
「警察来ちゃうじゃないですかぁ?」
「早ッ!?」
彼は腹パン一発で一人を撃破。その流れでもう一人の男に頭突きを喰らわせて撃破。頭突きで男の鼻の骨は粉々だろうが死にはしない。
「ド突き合いならせめて場所変えましょうよ?」
「流石の強さだ。いいだろう…おい兄ちゃんこれ会計な!」
「こんなに!?」
「持っとけ!」
男は多すぎる金額を置いて店を出ると、2人は5分ほど歩いて人通りが少ない駅の裏に着く。
「私からの命令を断るとわかっているよな?」
男はハットを投げ捨てると拳を構える。身長は190cmあるだろう。それに体格を見るに100kg超えのヘビー級だ。裏社会に生きる人間なら並の戦闘力ではないことが見ればすぐわかる。全身に力を込めて筋肉が隆起し
「君の頭蓋骨パッカーンだ!」
奴は体格に似合わぬ速度でダッシュを切り彼の顔面に拳を振るう。
「面白い…フゥ…!」
ドガーン!
まるで地響きを起こすようなパンチを右腕のみでガードする。今日の相手は楽しませてくれるのか?
謎の依頼者 赤田唐司
「フン…良い拳だ。だが僕を倒すには至らない…」
「面白いぜ…!ハァッ!」
「フゥ…!」
ドスッ!ドスッ!ドゴン!
男は彼に連撃を仕掛けているが完璧に一つ一つをガード。彼、水瀬幸人はかつて公安に所属していた元刑事。それに世界を統べる暗殺者組織RedEYEの執行人、暗殺者なのだ。彼の場合直接RedEYEに所属しているわけではなく、請負の形で任務をこなす。わかりやすく言えばフリーランスの暗殺者だ。彼ほど暗殺に精通した人間はいない。今対峙している赤田もそうだが彼の存在は誰からも欲しがられる。
「クソッ!鉄でも殴ってるみたいだ!」
やっとのことで攻撃を当てれてもまるで鋼鉄でも殴っているかのように手応えがない。素手は無理だろうと諦めて銃を放つが
「残念…読めます…」
「何!?」
彼はそのまま銃を奪い取ると
バーン!
「ウォォ!」
放たれた弾丸は2発。それは奴の両方の脛にヒットした。奴が跪くと彼は右脚を高らかに上げ
「…何!?」
「フゥ…!」
ドゴォーン!
「がはぁ…」
何と頭部を捉えたネリチャギはそのままアスファルトに突き刺さるとパッカーンと地割れが発生!実はこれでもかなり手加減している。もし本気で喰らったら頭部破壊どころではない。
「殺しを頼みたいならもっと相手を選ぶべきでしたね?」
「カカ…」
喋ることすらできなくなったが直に目を覚ますだろう。だがもうすぐ外は暗くなり始める。
「4時か…」
携帯を開いたら愛する妻から「何時に帰ってくる?わかったら教えてね」とメッセージが。今から帰ると返信するとその場を後にした。今は厄介事に巻き込まれるのはゴメンだ。
17時半頃。
バタン…
「ただいまです…」
「おかえりなさい!」
「おかえり!」
妻に続いておかえりと声を掛けたのは彼の実母、水瀬千草(46)。彼女は16歳の若さで息子の幸人を出産し、彼が3歳から2年前までの25年間離ればなれになっていたが、和解して今は息子夫婦と同居している。1年前約20年間続けたキャバ嬢としての仕事から退き、今は訪問介護の仕事をしている。
「じゃあパスタ茹でるわね!」
「おっ、今日はパスタですか?楽しみですねぇ」
妻が作る本日のディナーは寒い冬にピッタリのきのこのクリームパスタ。彼が着替えていると
「にゃあ〜!」
「ただいまです…レオ、ミア」
彼のもとに駆け寄ってきたのはマンチカンのオスとメス。レオとミアだ。3歳でちょうどいいもふもふ感がとてつもなく可愛い。
「幸人!先乾杯しよ?」
「はい!」
チン…!ゴクゴク…
夕飯が来るまでニュースでも見ようかとテレビを点ける。ちょうど天気予報が終わってこの時間は各地で起きた交通事故など喜ばしくないニュースが報道される時間。この日はどんなニュースがあるのだろうか?
「昨夜未明、葉琉州記念公園の近くで奇妙な変死体が発見されました。警察の調べによりますと、死亡していたのは無職、住所不定の榊󠄀原正芳さん45歳。なお榊󠄀原さんの遺体の傍に大口径のライフル銃があったことから、暴力団による抗争事件として調べを進めています」
「幸人…」
「はい…」
昨日発生した殺人事件が早くも報道されている。おそらく幸人を見張っている者、あるいは一定の範囲に敵対組織の監視網が敷かれているだろう。早く報道されただけでそんなことが言い切れるのかと思われるかもしれないが、榊󠄀原という男が彼を狙撃しようとしていたのは公園から30mほど離れた雑居ビル。今ではそのビルに誰も出入りしないためこんなに早く発見されるのは偶然してはできすぎている。
「はいお待たせぇ!どうしたの2人共?」
「いえ…何でもないです」
「葉琉州記念公園で昨日!?やだぁ…昨日私たちもいたじゃんね?怖いなぁ」
「物騒ですね…僕たちも気を付けましょ…」
「そうね…さあさあ食べよ!」
「いただきます!」
濃厚なきのこクリームソースがパスタとよく絡んで美味い。熱々のクリームが寒い冬の冷えを温めてくれる。幸せな気分で食べなければ食事は楽しめないが、幸人と千草は心の隅に不安を抱える。そんなこんなを考えながら彼は2人より先に食べ終わると食器をシンクの中に入れ、そして
「さあ結月さんもミルクのお時間ですよ」
妻の佑香は母乳が出ない体質のため結月に与えるミルクは粉ミルク。
「ばぁばぁ…」
チュゥチュゥ…
「良い飲みっぷりでございます…」
結月はミルクを勢い良く飲み干す。ちょうど2人もパスタを食べ終えて妻と母が洗い物をしている頃
「う…うぇ〜ん…!」
「ごめん、もしかしたらオムツかも!」
「すぐ替えますね」
イケメンで家事育児にも積極的。そして自分と娘のこともずっと大事にしてくれる理想の夫。
「では結月さん…」
ちー…
「おっと…」
よくオムツを替えたことある方なら誰しも経験したことがあるだろう、赤ちゃんのおしっこ攻撃を彼は器用に脱がせたオムツでガード。そのまま慣れた手つきで新しいオムツを履かせると
「オムツ替え終了です…そろそろ眠くなりましたか?」
「むにゃむにゃ…」
「おねんねしましょっか?」
ミルクでお腹いっぱい、オムツ替えてスッキリした結月をベットに優しく置いて寝かしつける。結月は夜泣きをほとんどしないみたいだ。それに
「にゃあ〜」
パパとママ、おばあちゃんが寝静まっても愛猫のレオとミアが結月を見守ってくれる。
「じゃあおやすみ」
「おやすみなさい」
彼らが住む家は幸人名義のマンション。幸人と佑香が同じ部屋で眠り、千草は別室で眠る。
ジュボ…ジュボ…
「ウゥ…ゥ…イクッ」
「んん…!」
やはり夫婦はまだ30歳。性欲もやはり溜まっている。口の中に出された大量の精液をティッシュに垂らし
「またいっぱい出たね…?」
「気持ち良かったです…佑香さん」
精一杯口で奉仕した佑香はそのままベットに寝転ぶと
「ねぇ…」
「?」
「何で…仕事のこと教えてくれないの?」
「警備員ですよ…前も」
「嘘よ…」
バサッ!
寝転んだはずの妻は彼に跨って乗る。
「高校のとき、ちょっとおかしいって思ったの…それに前職が警察官ってことしか聞いてない」
「……」
妻は夫が公安に務めていた事実は知らない。実際問題、公安に所属している、していたという話は例え家族であっても公言してはならない。妻が言う高校生のときの出来事とは、下校中変なヤンキーに絡まれた際、彼は苦戦することなく撃退してしまったという。
「何で教えてくれないの?私の愛する夫は謎だらけでしたで話済ませられると思ってんの?」
それでも彼は黙り込んでいる。教えたくないのではなく、言えないのだ。そもそも2人が今夫婦でいることも少し経緯があり、結婚する際彼は事実最初は断っていたのだ。もし結婚して子供が生まれたら正真正銘佑香は執行人の妻になり、結月は執行人の娘になる。光の当たる場所で生きられなくなるかもしれない、自分が原因で愛する人を巻き込みたくなかった。
「人を守る仕事…とだけ言っておきます」
「そんなんで私が満足すると思わないでね…?バカ…!」
チュッ…
それでも高校生の頃に死ぬほど愛した佑香を手放したくなかった。彼女と手にした今という幸せ。この先どんな敵が来ようが守ればいいだけ。それが僕、水瀬幸人の正義だ…
「ウゥゥ~…!!」
「ゆっくり吐いて…はい吸って!」
「ウゥ…!!」
張り裂けそうな痛みと戦いながら生命を生み出そうとしている女性は水瀬佑香(30)。彼女の希望で夫は立ち会わないようだ。陣痛が始まってから既に13時間は経っている。もう死んじゃいそう…!それくらいの痛みだ。やがて
「オギャァ…!オギャァ!」
大きな産声を上げて生まれたのは2754gと少し小さい赤ちゃん。生まれるまで性別は聞いていない。
「おめでとうございます!元気な女の子です!」
「ふぅ…」
2028年9月1日15時41分。元気な女の子が誕生。母親の水瀬佑香は初産ですぐにでも抱き締めたくて仕方ないが、産後の体力低下と疲労から一旦ゆっくりと眠った。
数時間後。
「佑香さん!」
「ちょっと大声で入ってこないでよ…」
「すいません…」
「ほらっあなたの赤ちゃん…女の子よ」
彼女の病室に入ってきたのは夫で赤ん坊の父親のようだ。彼の名前は水瀬幸人(30)。実はこの2人は高校時代の同級生であり、当時交際していたという。1年前彼が行きつけのレストランで再会したことを機に再び付き合い始め結婚。結婚してすぐに妊娠した。
「自分の赤ちゃんってこんなに可愛いんですね…」
「あなたに似てる…将来はきっと美女よ」
彼は初めて自分の赤ちゃんを抱っこする。強く抱き締めたい気持ちを抑えながら優しく。彼は体格がただですら大きいため力を込めてしまったら危ない…そんなとき
「ねぇ…あなたが名前付けてくれない?」
「僕ですか?」
「あなたの方が私より良い名前付けれそうだから」
まさか名付けを任されるとは…名前は赤ちゃんに与える最初のプレゼント。責任重大のプレッシャーに嬉しさと不安で彼の心も押し潰されそうだ。自分の幸人という名前は彼の母親が「どんな逆境でも幸せな人になってほしい。永遠に幸ある人になってほしい」という由来。どうしようどうしよう…!パッと名前が出てこない!外の空気を吸えば浮かぶのではないかと一旦外へ出ると…
「(今日は綺麗だな…)」
外へ出てみると今日は満月がとても綺麗な夜だった。満月…夜…月…
「あっ…」
月!!これはきっと何かの縁だ。月という字は絶対に入れよう!すぐ妻に名前の案を伝えようと病室に戻るが…
「スヤスヤ…」
「あぁ…」
やっぱり疲れているのか妻は眠っていた。また明日になったら報告しよう。彼はそう思いながら感謝と愛を込めておでこにキスをした。
それから3ヶ月後の12月。雪こそ降っていないが東京はかなり冷え込んでいて気温は5℃。
「いやぁ寒いわねぇ〜」
「本当ですよね…足が冷たいです」
「バブゥ…」
「結月さんも寒いみたいです」
自分の娘にさん付けしているのか?それにしても彼の口調は非常に丁寧で自分の妻はおろか娘にまで敬語を使っている。お硬い仕事でもしているのか?それと紹介が遅れたが、2人の間に生まれた女の子の名前は結月(ユヅキ)と名付けられた。由来は生まれた日の夜が満月で綺麗であったこと、そして高校時代に交際していた者同士を結んだこと。「愛を結ぶ月のように美しい女性」、それが結月と名付けられた由来だ。そう考えれば夫婦親子揃ってイニシャルがM・Y。自分の名前が好きな彼にとってそれに勝る名前を付けなきゃならないプライドがあったのだろう。妻がベビーカーを押しながら歩いていると、クリスマスの日にイルミネーションのライトアップが予定されている葉琉州記念公園に辿り着く。
「去年はあなた仕事で一緒に行けなかったから今年は絶対よ?」
「勿論ですよ。約束は守ります」
「結月にも見せてあげたい…」
去年のイルミネーションは夫婦で見ることができなかった。どうやら仕事で都合を合わせられなかったようだ。彼は一体何の仕事をしている?だがそんなとき…
「フン…隙だらけだ。このまま撃ち殺す…」
突然彼を狙う怪しいスナイパーが。ライフルのスコープで完全に彼の脳天を撃ち抜こうとしている。
「(この気配…誰かが僕を狙撃しようとしている…)」
何と彼は殺意を読み取っていた。彼はタイミングを狙って
「今年のクリスマスはイルミネーション見た後、ディナーの後クリスマスケーキも…ねぇ聞いて…」
バサッ
「ちょっちょっと!?」
彼は妻が被るニット帽を下ろして目隠しをすると
スーン…
「何…!?」
グサッ…
何と彼は30m先のスナイパー目掛けて隠し持っていた投げナイフを命中させた。
「ちょっと何すんのよ…?」
「すいません…何か埃が飛んでたみたいで」
「あぁそう…」
彼の服装を見るに暗器など仕込んでいるように見えなかった。しかしほぼノールックで投げナイフを30m先のスナイパーに命中させる業は軍人でも容易ではない。何故彼が命を狙われている?だがこれ以上そこに留まるのは危ないかもしれない。
「寒くなってきましたし帰りましょっか?」
「そうね…そろそろ夕飯の用意もしなきゃだし」
「今日の当番は僕ですね。温かいもの作りますよ」
「うん!」
同刻。
ブーン…キュッ…バフッ
「お疲れ様です社長…」
「お疲れ様」
株式会社グランドマーミン。それは葉琉州町に本社に置く美容・生活関連サービスの会社。都内をはじめ関東地方を中心に美容室、エステサロンやスポーツジムなどを展開している企業だ。今車から降りたのは代表取締役の川崎弘達(40)。2年前の事件で右目を失っているため眼帯をしている。
「先月の売上分です」
「よし…中々好調だな。ご苦労さん」
彼が社長室に入ると
「お疲れ様です!」
「お疲れ様」
社長室で彼を待っていたのは秘書課の神戸真美(24)。2人は2年前まで同じ銀行に務めていた上司と部下の関係であり、実は異母兄妹なのだ。
「例の件どうなってる?」
「はい。店長は加藤さんが適任だと思います」
「そうか。これで新店舗スタートだな」
1年間で3店舗から4店舗新店をオープン。先月は千葉県にリラクゼーションサロンを開業したようだ。ついさっきまでその千葉県の店舗まで視察に行ったみたいだが、平日にも関わらず予約がいっぱい。
「ホームページの更新は前の文面通りで問題ないだろう」
「わかりました!」
カタカタカタカタ…
本当妹が秘書として働いてくれて本当に良かった。2人は前職の銀行で再会するまでずっと兄妹離ればなれだった彼にとって幸せだけじゃ言い表せない。
「社長、最近社に不穏な影があると報告があります」
「そうか…穏やかに思わない人間もいるか」
「よろしければ私行ってきますよ」
「手荒なことはダメだぞ?」
彼女は立った襟を静かに正すと
「大丈夫ですよ」
見るからに華奢で細身の女性だが一体どこへ行くのだろうか?実は彼女は普通に生活する24歳の女性とは一味違う。彼女が向かった先は会社から車で10分ほどの距離にある店舗、CLUB SKY。タイ古式マッサージを専門に行うリラクゼーション。ついさっき迷惑客が暴れていて困っているとSOSが入り、トラブルバスターに彼女が出向いたというわけだ。
「神戸さん!」
「待たせたわね。お客様、一体どうされましたか?」
「どうしたもこうしたもねぇよ!ここのマッサージ受けたら身体痛くて仕方ねぇんだよ!」
「どのように痛いかとか、詳しくお聞かせいただけませんか?」
「あぁ~!?とにかく痛ぇんだよ!」
クレーマーは40代半ばの男性。話を聞けばマッサージを受けたらとにかく身体が痛いと訴えているが明らかに元気だ。だがそのとき
「違うんです!この人盗撮してたんです!」
「あらら、これはちょっと違う話になってしまいますね?携帯の中身見せてもらえますか?」
「盗撮なんしてねえ!」
彼女の表情は一か八かで言っているようには見えない。男が盗撮していたことは既に把握している。勿論施術している部屋に防犯カメラは設置されていないが、盗撮を指摘した際に騒ぎ立てる瞬間が店内のカメラに記録されている。
「このまま穏便に済ませましょう?あなただって愛する人がいるでしょう?」
「急に何の話だよ?」
「だから携帯の中身、見せてください」
「そんなもん誰が見せるかよ!」
男は持っているバッグを横薙ぎにブン回した。だが
ガシッ
「よいしょ」
彼女は男を背負い投げしてうつ伏せの体勢になるように施術台に乗せる。すると
「よかったら私のマッサージを堪能してもらいましょっか?」
「何…?」
「ちょっと痛いです…よ!」
グリグリグリ…!
「イテテテテ…!イテェよ!」
彼女がお見舞いしたのは両手の親指に全体重をかけた痛すぎるマッサージ。むしろこの強度ならコリ改善に良いだろう。彼女は颯爽と男のスマホを取ると
「盗撮はいけません。撮ったものは全部削除です!」
「すいません…でした…」
「こんなことはやめて、早く家族のもとに帰りなさい」
男は痛すぎるマッサージを受けるとそそくさと逃げていった。警察には通報しないようだ。
「本当にありがとうございます!」
「いえいえ、皆さんとも怪我なくて良かったわ」
「でも警察に言わないなんて…」
「もう迷惑行為の心配はないわ。ちょっと痛い目見てもらったから」
「でも神戸さん強いですねぇ?」
「そんなことないわ」
男性を投げ飛ばすパワーとマッサージテクニック。実際神戸真美は普通の女性ではなく、2年前まで"執行人"として活動していた。社会復帰するに至って所属していた組織を脱退したが、今でもたまに組織に入り浸って戦闘訓練を積んでいる。そのためある意味彼女は会社の秘書兼ボディーガード的存在だ。
翌日。幸人は家族に仕事と称してある場所へ向かっていた。向かった先は駅ビルの傍にある中華料理屋。
「いらっしゃいませ。1名様でしょうか?」
「合流の方がいるはずです」
「あちらのお客様でしょうか?」
店員が向ける方向を確認するとカタギには見えない男。どうやら合っているようだ。
「はい」
「どうぞ。いらっしゃいませ!」
窓に近い端っこの席に対面の形で座る。問題の相手はハットを目深に被っている。異様な雰囲気に思わず店員も緊張を隠せない。
「ごゆっくりどうぞ…」
男は何も話す気配がない。
「僕を呼び出したということは、あなたの奢りってことでいいのでしょうか?」
彼の方から第一声。すると
「フン…流石噂通りだ。肝が据わってる…」
その言葉を言い放つと男はハットを脱いだ。勿論と言っては何だが初対面だ。
「私は赤田唐司。お会いできて光栄だよ、水瀬幸人さん…」
「光栄とはどういった意味で?」
「取り敢えず好きなもの頼みぃや?腹減っちゃ話す気もないだろ?」
わざわざ呼び出されたのだ。お言葉に甘えるのも礼儀の一つ。彼は海老チャーハンとハイボールを注文した。数分待って料理が到着して食べ進めていると
ガツガツ…ゴクゴク…
「君はRedEYEの執行人として非常に優秀な存在だと聞いている。暗殺者と言った方がいいか?」
ゴクン…ゴクゴク…
「フゥ…それがあなたとどういう関係でしょう?」
RedEYEの単語が聞こえた別のお客からも視線が集まる。それに関わったらマズいと思ったのか食べるペースが一気に早くなる。本来自分の正体を勘ぐられると目を合わせたくないのが普通の心理だが、彼は持ち前のポーカーフェイスで無表情を貫く。
「他の方がゆっくり食べられないじゃないですか?僕たちの話が終わらなければ…」
「フン…流石話が早い。なら助かるよ」
男はそう言うと2枚の写真をテーブルに出した。1枚は彼と妻の佑香と一緒に歩いている写真。隠し撮りしたのか?そして2枚目は
「君も知っている存在だろう?」
「さぁ~?一体どこの誰でしょう?」
「まさかシラを切るつもりか?」
突然男の表情が少し険しくなる。一体誰の写真を見せているのだろうか?
「仮に知っているとして、僕に何の用でしょう?」
「無論暗殺だ。報酬は5億…」
「5億…随分お安いじゃないですか?」
ガツガツガツ…ゴク…
彼はチャーハンを一気に頬張って飲み込んだ。
「君子供生まれたんだろ…?いつか君の正体が明るみになると世間は後ろ指を差す」
彼は一切焦らずむしろリラックスするように、腹いっぱいになった表情を浮かべ
「僕にもの頼むなら、もっと誠意見せてもらわなきゃ困りますね!」
彼はジョッキに口を付けるとハイボールの中に入っていた氷を口に含み
「フッ…!」
まるで弾丸のような速度で氷が吐き出される!
「甘いな…」
だが男は皿で氷をガード。騒ぎにつられて他の客、要するに男の仲間が一斉に銃を放つ!
バンバーン!
彼は弾丸の隙間を縫うように回避。そのまま奴に接近すると
「警察来ちゃうじゃないですかぁ?」
「早ッ!?」
彼は腹パン一発で一人を撃破。その流れでもう一人の男に頭突きを喰らわせて撃破。頭突きで男の鼻の骨は粉々だろうが死にはしない。
「ド突き合いならせめて場所変えましょうよ?」
「流石の強さだ。いいだろう…おい兄ちゃんこれ会計な!」
「こんなに!?」
「持っとけ!」
男は多すぎる金額を置いて店を出ると、2人は5分ほど歩いて人通りが少ない駅の裏に着く。
「私からの命令を断るとわかっているよな?」
男はハットを投げ捨てると拳を構える。身長は190cmあるだろう。それに体格を見るに100kg超えのヘビー級だ。裏社会に生きる人間なら並の戦闘力ではないことが見ればすぐわかる。全身に力を込めて筋肉が隆起し
「君の頭蓋骨パッカーンだ!」
奴は体格に似合わぬ速度でダッシュを切り彼の顔面に拳を振るう。
「面白い…フゥ…!」
ドガーン!
まるで地響きを起こすようなパンチを右腕のみでガードする。今日の相手は楽しませてくれるのか?
謎の依頼者 赤田唐司
「フン…良い拳だ。だが僕を倒すには至らない…」
「面白いぜ…!ハァッ!」
「フゥ…!」
ドスッ!ドスッ!ドゴン!
男は彼に連撃を仕掛けているが完璧に一つ一つをガード。彼、水瀬幸人はかつて公安に所属していた元刑事。それに世界を統べる暗殺者組織RedEYEの執行人、暗殺者なのだ。彼の場合直接RedEYEに所属しているわけではなく、請負の形で任務をこなす。わかりやすく言えばフリーランスの暗殺者だ。彼ほど暗殺に精通した人間はいない。今対峙している赤田もそうだが彼の存在は誰からも欲しがられる。
「クソッ!鉄でも殴ってるみたいだ!」
やっとのことで攻撃を当てれてもまるで鋼鉄でも殴っているかのように手応えがない。素手は無理だろうと諦めて銃を放つが
「残念…読めます…」
「何!?」
彼はそのまま銃を奪い取ると
バーン!
「ウォォ!」
放たれた弾丸は2発。それは奴の両方の脛にヒットした。奴が跪くと彼は右脚を高らかに上げ
「…何!?」
「フゥ…!」
ドゴォーン!
「がはぁ…」
何と頭部を捉えたネリチャギはそのままアスファルトに突き刺さるとパッカーンと地割れが発生!実はこれでもかなり手加減している。もし本気で喰らったら頭部破壊どころではない。
「殺しを頼みたいならもっと相手を選ぶべきでしたね?」
「カカ…」
喋ることすらできなくなったが直に目を覚ますだろう。だがもうすぐ外は暗くなり始める。
「4時か…」
携帯を開いたら愛する妻から「何時に帰ってくる?わかったら教えてね」とメッセージが。今から帰ると返信するとその場を後にした。今は厄介事に巻き込まれるのはゴメンだ。
17時半頃。
バタン…
「ただいまです…」
「おかえりなさい!」
「おかえり!」
妻に続いておかえりと声を掛けたのは彼の実母、水瀬千草(46)。彼女は16歳の若さで息子の幸人を出産し、彼が3歳から2年前までの25年間離ればなれになっていたが、和解して今は息子夫婦と同居している。1年前約20年間続けたキャバ嬢としての仕事から退き、今は訪問介護の仕事をしている。
「じゃあパスタ茹でるわね!」
「おっ、今日はパスタですか?楽しみですねぇ」
妻が作る本日のディナーは寒い冬にピッタリのきのこのクリームパスタ。彼が着替えていると
「にゃあ〜!」
「ただいまです…レオ、ミア」
彼のもとに駆け寄ってきたのはマンチカンのオスとメス。レオとミアだ。3歳でちょうどいいもふもふ感がとてつもなく可愛い。
「幸人!先乾杯しよ?」
「はい!」
チン…!ゴクゴク…
夕飯が来るまでニュースでも見ようかとテレビを点ける。ちょうど天気予報が終わってこの時間は各地で起きた交通事故など喜ばしくないニュースが報道される時間。この日はどんなニュースがあるのだろうか?
「昨夜未明、葉琉州記念公園の近くで奇妙な変死体が発見されました。警察の調べによりますと、死亡していたのは無職、住所不定の榊󠄀原正芳さん45歳。なお榊󠄀原さんの遺体の傍に大口径のライフル銃があったことから、暴力団による抗争事件として調べを進めています」
「幸人…」
「はい…」
昨日発生した殺人事件が早くも報道されている。おそらく幸人を見張っている者、あるいは一定の範囲に敵対組織の監視網が敷かれているだろう。早く報道されただけでそんなことが言い切れるのかと思われるかもしれないが、榊󠄀原という男が彼を狙撃しようとしていたのは公園から30mほど離れた雑居ビル。今ではそのビルに誰も出入りしないためこんなに早く発見されるのは偶然してはできすぎている。
「はいお待たせぇ!どうしたの2人共?」
「いえ…何でもないです」
「葉琉州記念公園で昨日!?やだぁ…昨日私たちもいたじゃんね?怖いなぁ」
「物騒ですね…僕たちも気を付けましょ…」
「そうね…さあさあ食べよ!」
「いただきます!」
濃厚なきのこクリームソースがパスタとよく絡んで美味い。熱々のクリームが寒い冬の冷えを温めてくれる。幸せな気分で食べなければ食事は楽しめないが、幸人と千草は心の隅に不安を抱える。そんなこんなを考えながら彼は2人より先に食べ終わると食器をシンクの中に入れ、そして
「さあ結月さんもミルクのお時間ですよ」
妻の佑香は母乳が出ない体質のため結月に与えるミルクは粉ミルク。
「ばぁばぁ…」
チュゥチュゥ…
「良い飲みっぷりでございます…」
結月はミルクを勢い良く飲み干す。ちょうど2人もパスタを食べ終えて妻と母が洗い物をしている頃
「う…うぇ〜ん…!」
「ごめん、もしかしたらオムツかも!」
「すぐ替えますね」
イケメンで家事育児にも積極的。そして自分と娘のこともずっと大事にしてくれる理想の夫。
「では結月さん…」
ちー…
「おっと…」
よくオムツを替えたことある方なら誰しも経験したことがあるだろう、赤ちゃんのおしっこ攻撃を彼は器用に脱がせたオムツでガード。そのまま慣れた手つきで新しいオムツを履かせると
「オムツ替え終了です…そろそろ眠くなりましたか?」
「むにゃむにゃ…」
「おねんねしましょっか?」
ミルクでお腹いっぱい、オムツ替えてスッキリした結月をベットに優しく置いて寝かしつける。結月は夜泣きをほとんどしないみたいだ。それに
「にゃあ〜」
パパとママ、おばあちゃんが寝静まっても愛猫のレオとミアが結月を見守ってくれる。
「じゃあおやすみ」
「おやすみなさい」
彼らが住む家は幸人名義のマンション。幸人と佑香が同じ部屋で眠り、千草は別室で眠る。
ジュボ…ジュボ…
「ウゥ…ゥ…イクッ」
「んん…!」
やはり夫婦はまだ30歳。性欲もやはり溜まっている。口の中に出された大量の精液をティッシュに垂らし
「またいっぱい出たね…?」
「気持ち良かったです…佑香さん」
精一杯口で奉仕した佑香はそのままベットに寝転ぶと
「ねぇ…」
「?」
「何で…仕事のこと教えてくれないの?」
「警備員ですよ…前も」
「嘘よ…」
バサッ!
寝転んだはずの妻は彼に跨って乗る。
「高校のとき、ちょっとおかしいって思ったの…それに前職が警察官ってことしか聞いてない」
「……」
妻は夫が公安に務めていた事実は知らない。実際問題、公安に所属している、していたという話は例え家族であっても公言してはならない。妻が言う高校生のときの出来事とは、下校中変なヤンキーに絡まれた際、彼は苦戦することなく撃退してしまったという。
「何で教えてくれないの?私の愛する夫は謎だらけでしたで話済ませられると思ってんの?」
それでも彼は黙り込んでいる。教えたくないのではなく、言えないのだ。そもそも2人が今夫婦でいることも少し経緯があり、結婚する際彼は事実最初は断っていたのだ。もし結婚して子供が生まれたら正真正銘佑香は執行人の妻になり、結月は執行人の娘になる。光の当たる場所で生きられなくなるかもしれない、自分が原因で愛する人を巻き込みたくなかった。
「人を守る仕事…とだけ言っておきます」
「そんなんで私が満足すると思わないでね…?バカ…!」
チュッ…
それでも高校生の頃に死ぬほど愛した佑香を手放したくなかった。彼女と手にした今という幸せ。この先どんな敵が来ようが守ればいいだけ。それが僕、水瀬幸人の正義だ…

