○課後の教室・沈む夕陽
窓の桟に長い影。
黒板のチョークの粉が光を反射して揺れる。
静かな空気の中、時間だけがゆっくり流れていた。
——ホシコは机に頬杖をつき、隣の席のマキナを見上げる。
彼は窓際に立ち、沈む陽を見つめていた。銀髪が光を散らす。
ホシコ「ねぇ、マキナ」
——肩がわずかに動く。
マキナ「ん?」
ホシコ「昨日さ、アリスが言ってたでしょ……マキナユニットの隠蔽記録に異常があるって」
マキナ「……ああ」
——短い返事。その奥には張り詰めた響き。
ホシコは立ち上がり、一歩近づく。
マキナの掌が机の縁を掴む。わずかに震えていた。
ホシコ「ねぇ、本当のこと、教えてよ」
——マキナがゆっくり振り向く。
夕陽が彼の頬を照らし、瞳の奥に灰色の影を落とす。
マキナ「……お前は、覚悟できるか?」
ホシコ「できる。何でも知りたい。あたしが今ここにいる意味を」
——息を吐くマキナ。
低く、静かに割れる声。
マキナ「僕は――遠い時空を超えた世界で敵性ユニットを排除する任務で設計された。ホシコ……お前は“鍵”として扱われていた。その鍵が起動すれば、世界の均衡を崩す可能性があるとされていた」
——胸が強く打つ。夕陽が赤い警告のように教室を染める。
マキナ「だから、僕には“抹消”が命じられていた」
——チョークの粉が肩に落ちる。息を止めるホシコ。
ホシコ「……抹消って、殺すってこと?」
マキナ「……ああ」
——背筋に冷たいものが走る。
――でも、心の中で叫ぶ声があった。
――あんたが、そんなことするわけない。
ホシコ「じゃあ、なんで……殺さなかったの?」
——瞳が揺れるマキナ。光の粒が割れ、溶ける。
マキナ「お前は強かった。お前が世界を壊すなんて思わなかった。たとえ、その“目的”で生まれてきたとしても」
——右手の甲がふっと光る。
浮かぶ紋様は、マキナのそれと同じ形。
マキナ「……そして、この世界でもだ。お前が棺の蓋を開けたとき、怯えていなかった。むしろ、好奇心だけがきらきらしていた。危険を知りながら笑うお前を見て、僕の中の命令よりも“何か”が先に動いた」
ホシコ「“何か”って?」
マキナ「感情だ」
——目を見つめ、囁くように。
「プログラムには存在しない応答だった。お前の声。お前の手。触れた瞬間、僕の中で“実行”を止める回路が壊れた。僕は命令を拒んだ。それは罪だ。……だがホシコ、お前が生きていることが、僕の幸福だった」
——掌がホシコの手を包む。
印が重なり、淡い光が滲む。
冷たさの中に、熱が伝わる。
マキナ「僕は命令を破った。だから、逃げた」
ホシコ「逃げたって……?」
マキナ「任務を放棄して、お前を連れ出した。正確に言えば――“抹消対象”を、“保護対象”に書き換えた。だがそのせいで、僕は設計者たちの監視対象になった」
——胸を押さえるホシコ。
苦しく、喉が詰まる。
ホシコ「そこまで……しなくてもよかったのに。あたし、世界なんて壊さない。それに、あなたが居場所をなくすなんて……」
マキナ「恐れた。けれど、恐れと守ることは違う」
——声が少し強くなる。
「僕は“抹消”を選ぶべきだった。だが、お前を見た瞬間、価値が書き換わった。お前は“鍵”ではなく、ただの――人間だった」
——息を呑むホシコ。
横顔は、沈む陽に照らされ、炎のように見える。
マキナ「だから僕は罪を背負った。逃げた分だけ、プログラムは壊れていった。壊れるたび、僕はお前を守る理由を探した。守らない自分を許せなかった。お前を抱きしめると、少しだけ――許された気がした」
——声がかすかに震える。
ホシコは唇を噛み、頬に触れる。
ホシコ「そんなの……あんたにとって“仕事”だったんでしょ?  それを捨てたらどうなるの?  設計者たちが来たら……」
マキナ「わかっている。たとえ世界がどうなろうと、僕が消されようと。――お前だけは守る」
——目が潤むホシコ。
瞳には決意と孤独。
ホシコ「マキナ……」
両手で頬を包む。
冷たさがゆっくり体温に変わる。
マキナは目を閉じ、静かに笑った。
マキナ「お前に与えた被害を、僕は一生かけてでも償う」
ホシコ「そんなバカなこと言わないで。償うなんていらない。あたしは……あなたがあなただけでいてくれれば、それでいい」
——祈りのような、誓いのようなキス。
マキナ「──僕はお前を愛している。宿命を裏切ってでも、選んだ。お前が“鍵”だとしても……罪ではない」
——頬を伝う涙。
悲しみか安堵か、自分でもわからなかった。
ホシコ「……わかったよ。あたし、怖いけど――あなたと一緒にいる」
——マキナの腕がそっと包む。
夕陽が沈み、教室の影がひとつに重なる。
ホシコ「約束して。どんなときでも、あたしを守るって」
マキナ「約束する。お前を守るためなら、僕はどんな命令にも――背き続ける」

○放課後の教室・襲撃
——窓の外、金属音。
ガラスがひび割れ、ぱり、と鳴る。
マキナは反射的にホシコを抱き寄せる。
背後の黒板が弾け飛んだ。
ホシコ「っ、何……!?」
——粉塵の中、声が震える。
マキナ「……来たか」
——低く、冷たい声。灰色の瞳が鋼のような光に変わる。
廊下の向こうから、足音。
電子的なノイズ。
黒いスーツの男たちが現れる。
胸元の徽章――旧世界の研究所の印。
男たち「対象ホシコ=レム、及びマキナユニット零号を発見。抹消処理に移行する」
——胸に冷たいものが走るホシコ。
だがマキナは影のように立ち、完全に彼女を覆う。
ホシコ「やめて……マキナ、戦わないで!」
マキナ「もう遅い。僕たちはこの次元では“異物”だ。存在を観測された時点で、抹消が始まる」
——銃口が光を放つ。
瞬間、マキナの腕が動く。
掌から青白い光が広がり、弾丸を空中で止める。
空気が揺れ、机が軋む。
マキナ「僕はもうお前らの命令に従わない。彼女を傷つけるなら――僕が、お前たちを消す」
——男たちは一瞬、たじろぐ。
マキナの周囲で空気が震え、背後に翼のような光の残像が現れる。
——ホシコはその背中を見つめ、思った。
——これこそ、世界が恐れたもの。
“鍵”と“叛逆者”が並び立つ姿。
——でも胸にあったのは恐怖ではない。
確かな温度。
それは――マキナの手が、自分のものを離さなかったから。
ホシコ「マキナ……」
マキナ「大丈夫だ。僕がいる」
——指が絡み合う。
マキナ「お前が生きている限り、僕は“存在”し続けられる」
——彼の手のひらの光が呼応するように広がる。
世界の構造が歪み、教室の外の景色が波のように揺れ、空間が裂けていく。
ホシコ「もう誰も殺さないで!  マキナ、あたしが“鍵”なら――一緒に世界を変えよう!」
——灰色の瞳が、ほんの一瞬だけ柔らかく揺れるマキナ。
マキナ「……ああ。お前がそう望むなら」
——二人の影が重なり、光に包まれる。
崩壊していく教室の中で、ホシコはただひとつの温もりを抱き締めていた。