「(連絡するか…)」
 しかしノールックでメッセージを打つほど器用じゃない。洞察力を研ぎ澄ませて幸人の瞳をじっと観察する。それでも何とか
「いやいや〜ありがとうございます。私からも何か奢りましょっか?」
 取り敢えず悪いことを考えてはなさそうだった。平然を装うが彼から溢れ出る狂気は卓郎とは比べ物にならないほどで、もし怒らせたら相当ヤバいことだけはわかる…あと身体中から出る果実系の甘い香りに危険を感じる。
「お気になさらず…これは僕の奢りですから」
 そう言われてしまえば素直にいただく。私の正体に気付いていないのか?
 ゴクゴク…
「(ウッ…キツイ…)」
 どうやら少し口に合わなかったようだ。確かに酒の味は人それぞれ好みは分かれる。だからこそ楽しみ方は沢山だ。
「(この人は僕と年が近い。知沙さんと違って本題を切り出せない…それに着ているジャンパーの下はおそらく傷だらけだ…)」
 彼の方も言葉を出せなくなり思わず残っていた酒を一気飲み。濃いめを飲んでいるのに余裕の面構え。
「あの…何で私なんかに声掛けたんですか?」
 少し明美に似た安心感を感じたのか緊張を解して会話をしてみようと試みる。
「このお店、よく来るんですか?」
「私は初めてです」
 初対面なら誰でもするような会話を交わす。2人は何杯か飲むと彼女の方が先に酔いが回った。
「私神戸真美と言います…あなたはぁ…?」
「水瀬幸人です(まだ危機感は持っていないか…?)」
 彼と接触したらとにかく気を付けろと注意されていたにも関わらず、名前を名乗ってしまうどころか注がれた酒を飲んで酔い潰れてしまう。これは非常に大失態だ。
「スー…スー…」
「寝てしまいましたか…?」
 おまけに寝てしまった…本来犯人とわかっている人物が目の前にいるのなら逮捕で終了の流れだが、彼の目的は逮捕ではなく彼女を守ること。まだこの場では明かすことはできないが、実は奥野明美率いる女性グループには魔の手が迫っており、つまり彼の目的は複数ある。2人分の会計を済ませて彼女をお姫様抱っこし、取り敢えず周りに怪しい気配がないことを確認してひとまず彼の自宅へ。

「んん…?ここは…?」
「目が覚めましたか?」
 気付いたら朝を迎えていた。すぐ携帯を確認すると明美からの着信が3件。これはやってしまった…まだ二日酔いが残っていたが彼の顔を見て一気に酔いが覚める。
「あ…あんた!?水瀬幸人!?」
「昨日自己紹介していましたよ。相当酔ったみたいですね?」
「何であんたが?」
 着ていたジャンパーがなく半袖姿。傷が丸見えだ。
「私のジャンパーは?」
「汚れてたので一旦クリーニングに出しました。それにその傷、何があったんですか?」
「まさか脱がせたの!?この変態…!」
 彼女は水瀬幸人が目の前にいる焦りとちょっとした怒りから彼に殴り掛かるが、傷だらけの彼女が敵うはずもなく
「いたた…!離しなさいよ…!」
「傷が酷くなります…それに痩せすぎですね…」
 少しずつ食べるようになったがまだ体重は40kgいったくらいだ。
「ちょっとでも食べた方がいい…」
 数分経って彼が出した食事はできたてのオムライス。料理が得意なのか…?
「さあ…お口に合うかわかりませんが」
「…」
 パクッ…モグモグ…
「(えっ…美味しい…)」
 思わずスプーンが止まらないほどの美味にガツガツと食べ進める。結婚生活では自分の分まで食い尽くされた彼女からするとこんなに美味しい物を食べるのはかなり久々。夢中で食べ進めていると
 リンリン…
「にゃあ~」
 近くから鈴の音と「にゃあ~」の声が
「紹介しますね。レオ(マンチカンのオス)とミア(マンチカンのメス)です」
「可愛い…」
 彼は2匹の猫を飼っている愛猫家だった。意外にも彼は寂しがり屋で常に心の癒やしを求めており、2匹の子猫を飼っている。
「ちなみにですけどうちはペットカメラ搭載です。なので昨日のやりとりも撮ってありますよ」
「えっ…じゃあ服脱がすとこ撮ってあんの!?」
「脱がせたのは上だけですよ」
「脱がせてんじゃん…!」
 意外にも墓穴を掘ってしまう発言。確かに今着ている半袖シャツは自分が持っていないメンズ用でジャンパーはクリーニング中。それに靴下も履いていたが今裸足ならそれも脱がせたなら彼しかいない。彼女は文句を言いながらオムライスを完食すると
「あぁ~もう!私の服返して!」
「まだ乾いてないです。乾くまでゆっくりしたらどうですか?」
「(遠回しに口説いてるし…)」
「それにその状態で外に出たら真っ先に職質ですよ?今あなたが容疑者かもしれないと追われているのはご存知なんですか?」
 しまった大事なことを忘れていた…!しかし何故容疑者を前にしているのに彼は逮捕しない?他に目的でもあるのか?彼女は恐る恐る
「何で逮捕しないの…?あんた警官なんでしょ!?」
「別に警官だからとかは関係ないです。確かに逮捕すべきかもしれませんが、あくまで僕の目的はあなたたちを守ることです」
「えっ…?」
 そうは言ってもこの男と関わるのはヤバい気がした。
「じゃあ守るんならこのジャンパー貰うわ!」
「あっ!それは母さんの…」
 母さんの?彼女が手に取ったのはレディースの冬用ブレザー。そのブレザーは母親の唯一の形見だ。
「服脱がせたんだから当然それくらい貰うわよ!」
 彼女は勢い良くバタン!とドアを開閉してマンションを出た。
「しょうがないですね…」
 彼はゆっくりと彼女を追う。酔いがまだ少し残っているのか千鳥足気味。
「どこ行くつもりですか?このままじゃ他の警察にも見付かりますよ!」
「適当にどっか行くわよ!」
 しばらく歩いていると彼が何かの気配に気付く。これは殺意か!?
 シューン!
「ハッ!」
「キャッ!?ちょっと何すんのよ!?」
 突然彼女を抱えてサイドステップ!よく見ると投げナイフがアスファルトに刺さっている。相当な殺傷力だ。
「ほう…やはり奥さんを狙う輩がいるようですね?」
「誰よコイツら…」
 現れたのは彼が数日前に蹴散らしたであろう海外マフィアの残党。4人いる。
「ちょうどいい…水瀬幸人に神戸真美。貴様に殺された仲間たちの恨み、晴らさしてもらうぞ」
「あんたたちじゃ相手が悪いと思いますよ?」
「どういうことなの…?」
「まず貴様から殺して神戸真美は俺たちのコレクターだ」
 やはり海外マフィアらしく大口径の拳銃にロングナイフを装備している。それにリーダー格の男は2m近い大男。
「消えろ雑魚…今すぐ立ち去るなら殺さないでやる…」
 さっきまでとは比べ物にならないほどの圧に殺意。
「(何なのこの男…まるで人間じゃない…)」
 まるで空気が歪んで見える。敵に回したら死ぬだけじゃ済まないことが肌で感じる。
「ハッタリかましてんな…!殺れッ!!」

 謎の刺客
 まず護衛の4人が一斉に襲い掛かる。彼はすかさず拳銃の引き金を引く。しかし
 カチッ
「空砲か…」
 彼の銃には弾が入っていない。護衛は避けるようにサイドステップを踏むがそれは想定内。
「何ッ…!?」
 避けて隙ができた途端目の前にまで接近!
 ガシッ!
「ムググ…!?」
 そのまま首を鷲掴みにしてアスファルトに後頭部を叩きつける!
 ドカーン!
「………」
 後頭部を叩きつけられてアスファルトに地割れが発生!何kg出ているんだ?
「嘘…でしょ?」
「さあ…次は誰からだ?」
「怯むな…!殺れ!」
 残るはリーダー含め3人。そして2人が一斉に銃を放つがそんなものは当たるはずもない。そして…
 ブスッ…!
「ガァァ…!」
 親指と小指で両目を潰し、そのままフルパワーの握力で脳みそごと握り潰してしまう!そして奪った銃で容赦なく頭部に3発の鉛玉を撃ち込んだ!
「何て強さなの…!?(これが元公安の水瀬幸人だっていうの?)」
 そして握り潰した男をリーダー格の男の足元に投げ飛ばす。これは圧倒的強者であることを見せる一種の挑発だ。だが男は
「部下のせいで勘違いさせちまったかもしれんが…俺相手に勝てた奴は誰一人いない」
 リーダーの男は両手にメリケンナイフを装備している。メリケンナイフはナイフとして扱うのは勿論、取っ手がメリケンサックになっていて打撃にも利用できる優れものだ。
「ならあんたの力を見せてもらおうか。この僕に一発でも当てられたら、あんたの勝ちでいこう…」
 自分のことを強者と思っている人間ほどちょっとした挑発にも乗る。
「なら一発で貴様の息の根止めたろか!」
 ビューン!
 やはりマフィアで鍛えられた熟練の戦闘者はスピードも桁外れだ。だが今回の相手は水瀬幸人。果たして通じるのかはこれからわかる…
 ドーン…
「グハァ…!?」
「お前遅すぎるわ…ギリギリまで待ったのに当たらないなんてね…」
 何と彼は分厚い肉体をたった一発のストレートで内臓を破壊。あまりの激痛に動けなくなり
「お前の汚ぇ臓腑をぶちまけとけ…」
 ドスッ…ドスッ…!
 彼はそのまま男を何度も殴って撲殺。その姿は血反吐を吐いて内臓も吐き出していた。壮絶な姿を見て彼女は明美以上の恐さを知ることになる。
「お怪我ありませんか?」
「ないけど…てかもう来ないでよ!」
「いや…まだ僕といた方が…むッ!?」
 突然コートと仮面で顔を隠した何者かが凄まじいスピードで彼の心臓部を目掛けたキック!
「ハッ…!」
 だが彼も凄まじいスピードで回避。この威力をまともにガードしたら腕が使いものにならなくなるだろう。
「何者だ…?(女性…?)」

 仮面の人物
 ここで彼女を引き渡すわけにいかない。彼はダッシュで距離を詰めて近接戦闘に持ち込むが
「ハァッ!」
 ドスッ!
「(僕のスピードと同等…そこら辺のマフィアじゃない…)」
 彼の神速ともいえる打撃をも完璧にガードしている。身体つきは完全に女性なのに一体何者だ?
「フゥゥ…!」
 女の剛拳を初めてガードすると一気に腕が痺れる。
「(面白い…!)」
 彼は一切怯まず攻防を繰り返す。そして遂に大きなチャンスが生まれ
「(そこだ…)」
 バリン!
 彼の拳が女の顔面を捉え仮面の一部が破損!だが割れたのはほんの一部で左目しか見えない。女もこのままじゃ不都合だと思ったのか煙幕手榴弾を何発か投擲し
「待てっ…!」
 女はそのまま真美を抱え、少し離れて停めていた車までダッシュして逃走。視界が戻った頃は既に走り去った後でナンバーを視認することはできなかった。
「逃げられたか…(もしかしてあの人は…?)」
 真美を車に乗せた例の女は姿が見えなくなった幸人に呟くように
「ごめんね…まだあなたに顔を見られるわけにはいかないの…」
 まるで彼を詳しく知っているかのような発言だ。果たして彼と戦い合った女の正体は。

 ブーン…
「早速会ったようね?」
「明美さん?」
「遅くなって悪かったわね…連絡がないから心配したわ」
 連絡しなかったことと早速しくじってしまったことに対してこっぴどく怒られると思った彼女は少し震えている。
「別に怒るつもりはないわ。ただ水瀬幸人と会ったのが予想より早かっただけよ」
 やはりまだ明美の近くにいると安心しきれない。何故なら超人のような幸人とも互角に渡り合っただけでなく、彼はシンプルな殴り殺しに対し明美は拷問狂であることが大きな要因だ。たった数日で「普通じゃない」2人の人間を見てしまった彼女の心が一層疲れる。
「教えてください…水瀬幸人って何なんですか?明美さんとどういう関係なんですか…?」
 明美の口からあれほど水瀬幸人の名前が出たんだ。絶対狙ってくる以外の理由がある。
「それは直接幸人君に聞くといいわ…」
「幸人君?」
 今ハッキリと下の名前に君付けしているのが聞こえた。やはり何か関係がある。一瞬明美と幸人は親子なのか?と考えたがいくら親バカでも自分の息子に君付けすることは考えられない。
「嫌でも聞くときが来ると思うけど、とにかく水瀬幸人と顔を合わせるわけにはいかないの…」
「明美さんは教えてくれないんですか?」
「そうね…話す機会があったら話したいけど、今私から話したらお互いのためにならないから」
 この時点で前々から明美と幸人は何らかの関係があるということはわかった。幸人はさらっと教えてくれるのか?と気になって仕方なく、それと拝借したジャンパーを返してクリーニングに出されている自分のジャンパーも取り返したい。「母さんの」と言っていたから大事なものを拝借してしまった…もしかしたら
「あの…このジャンパーって見覚えありますか?」
「何か懐かしい感じがするわね…」
 あまりハッキリしない回答だ。見覚えがないわけではなさそうだ。
「早速で悪いんだけど、次の仕事頼めるかしら?」
 これで引き受けるなら彼女にとって人を殺すのは2人目になるが
「わかりました」
 彼女はそう答えてジャンパーを擦り、微かに香る幸人の匂いをゆっくり楽しんだ。幸人の香り…また堪能したいな…

 シャー…
「この厄介者!疫病神が!」
 バチン!バチン!
「お前のパパは人殺しなんだろ?だったら俺たちの前から消えろよ!」
「死ね!お前なんか野球部の邪魔者なんだよ!」
 シャー…キュッ…
「はぁ…」
 一人になると思い出してしまう過去が多すぎる。まだ28歳なのに壮絶な過去が多いなんて、今これから先の未来のことを考えることができない。身体中には生々しく縫った跡とミミズ腫れがあり、おそらく幼少期に受けた暴力が原因だろう。知沙との性行為ではうまく隠していたがしっかりと消えない傷跡はよく見るとわかってしまう。彼は身体をバスタオルで拭きながら
「やっぱり…君だけは僕のことをわかってくれる…」
「にゃぁ?」
 愛猫のレオとミアを撫でる。母さん…本当どこにいるんだ?何で僕を置いて出ていってしまったんだ…あれから既に25年経っているのに一度も会えていない。知沙と触れ合って女性の温もりを知ってから彼女に会いたくて仕方ない。
 プシャッ…ゴクゴク…
「ふぅ…」
 いつもなら美味しいはずの缶ビールが美味しくない。虚しい感情になって飲む酒は美味しくないのか。時刻はまだ18時前。
 プルプルプル
 着信元は上司の坂本逸郎からだった。一体何かあったのか?
 ピッ
「はい…?」
「あぁ出たか…?最近大丈夫か?数日顔を見てなかったから心配したんだぞ?これからどっか飲みに行こうと思ってたんだが、水瀬君もどうだ?」
 彼にとって理解できない。あれほど自分のことを怖がっていたのに飲みに誘うとはどういう風の吹き回しだ?
「いえ…僕はけっこうです…」
「そっか…残念だけどまた誘うな!あまり無理しすぎるなよ?じゃっ」
 ツーツー
「はぁ〜」
 上司からのお誘いなら乗ってよかったかもしれない。だが彼にはできない。事実水瀬幸人はサイコパスな性格と冷たい態度から上司や部下から恐れられ、誰もが距離を置いている。寂しい心を我慢できなくなった彼は知沙のメールアカウントを開いて
「気付いたらご連絡ください。」
 とメッセージを送る。また会える日が来るかな?と思いながらビールを飲み切る。計画のためとはいえ一度はお互いの愛を分かち合ったつもりだ。それに僕は本気で彼女を愛してしまった…すると
「幸人君。私もメールしたかったわ。もし予定なければ8時に葉琉州のライティング(イタリアンレストラン)で会わない?」
「勿論ですよ。8時に会いましょう」
 するとさっきまで沈んでいたとは思えない微笑みを出し、急いで髪を乾かしてセットした。前はスーツだったから今日は私服を着ていこう。取り敢えず真面目な考え事は今日は終了だ!知沙が待っている…
 彼は知沙と約束していたレストランへ向かうのだった。