放課後の教室は、光の色がやわらかい。





 窓から差し込む夕日が、机の木目を金色に染めていた。




 黒板には「運動会まであと3日」とチョークで書かれている。




 その文字を見ながら、舞は小さく息をついた。





 ——この日が近づくたびに、胸がざわつく。





 “いろは節”の踊り、先生の笑顔、そして未来へ帰るその瞬間はいつなのだろうか。




 まるで運命のカウントダウンのように刻々と迫りつつあった。






「綾瀬さーん〜、今日も衣装の最終チェック?」


 沙織が顔を出した。


「うん、もうちょっとで完成だから。」




「ほんと真面目だよね。あ、そうだ。宮澤、探してたよー?」






「……え?」





 その言葉に、胸が跳ねた。




 放課後の光の中に、彼の姿が浮かぶ気がする。


















【 放課後の教室 】








 クラスのほとんどは帰ってしまい、教室は静まり返っていた。





 窓際の席で、舞は最後の糸を結びながら、小さな声でつぶやいた。





「あと少し……」

 ふと、背後から足音が近づく。





 振り返ると、ドアのところに大樹が立っていた。




 逆光の中で、表情はよく見えない。





「綾瀬、やっぱりいた。」




「……宮澤くん?」





「最近、ずっと残ってるからさー。ちょっと気になってな!」







 そう言って、大樹は教室に入ってきた。






 机の上の衣装を手に取り、興味深そうに見つめる。







「これ、全部、綾瀬が作ったのか?」

「うん。みんなで着るやつ。」

「すげーな……俺、裁縫とか全然無理だわー。」

「最初は下手だったけど、練習したの。」







 ふと、大樹が顔を上げた。



 その瞳が、まっすぐに舞を射抜く。





「なぁ、綾瀬。……やっぱりさ、お前、なんか変だよ。」





「えっ?」





「悪い意味じゃないけど。……でも、やっぱりなんかどことなく普通じゃないんだと思う。違和感みたいな。」








 その言葉に、空気が一瞬止まった。

 風の音も、蝉の声も遠のいていく。






【 仮説 】









「綾瀬さ、時々先の未来のこと、知ってるみたいなこと言うじゃん?」





 大樹の声は穏やかだったが、瞳は真剣そのものだった。








「“このあと雨が降る”とか、“その木は倒れる”とか……。なんでそんなことわかるんだよ?」







 舞の喉がからからに乾く。
 心臓の音が、耳の奥で鳴り響いた。







(まずい、どうしよう……気づかれてる?)





「もしかして——未来から来た…?とか?」










 その瞬間、時間が止まった。





 チョークの粉が空中で凍るように、世界が静止する。







 ——ついに、この時が来た。






 逃げようとしたけれど、もう無理だった。

 彼の瞳には、冗談の影が一つもなかった。

「なーんて…、

「なんで…。」



「……なんで、そう思ったの?」



「…直感だよ。でもまあ、確信もある。綾瀬さ、友田先生のこと、なんかずっと見てるだろ?」


「それは……、」


「なんとなく心配してるの、わかるんだ。でもさ、あんなに必死なの、ただならぬ様子つーか。なんか子供の顔じゃないっつーか。」









 沈黙が落ちる。



 窓の外で風鈴が鳴った。







 舞はゆっくり立ち上がり、言葉を選ぶように口を開いた。



















【 告白 】




「うん、………そうだよ。」





「……まじで?」






 その一言が、空気を震わせた。




 涙が、声の奥ににじむ。



「わたし、未来から来たの。
 30歳のとき、同窓会の前日に——お守りを持っていたら、気づいたらここにいたの。」






 大樹は黙って聞いていた。

 舞は震える声で続ける。






「実は先生、未来ではもう治らない病気になって……。だから、今のうちに助けたくて。」


「……病気?」


「膝に腫瘍ができて、それが転移して、最後は……」





 そこまで言って、言葉が途切れた。






 涙が頬を伝う。




 机の上にぽたりと落ちる音が、やけに大きく響く。






「だから、わたし、この世界で先生を救いたいの。





 もしそれで未来を変えられるなら、それでいい!」





 大樹は拳を握った。



 長い沈黙のあと、低く、しかし真っ直ぐな声で言った。






「……なんで俺に言ったんだよ?」





「言うつもりなかった。でも、もう隠せなくて……。」

「信じてもらえるかわからないけど…本当の事なの!」






「バカだな…。最初から言えよ。俺、綾瀬のこと、信じるに決まってんだろ!」





 その言葉に、視界が滲む。





「俺、最初から思ってたんだ。
 “未来”とか“運命”とか、そういうの信じてなくても、
 綾瀬の真っ直ぐな言葉だけは、本気なんだって。」





 舞の心が、静かに震えた。



 誰かに本気で信じてもらえたのは、いつぶりだろう。






「宮澤くん……。」

「大樹でいいよ。」

「……大樹…くん。」

「よし、そのほうがいい。」








 二人は微笑んだ。






 でもその笑顔の裏に、涙の予感が潜んでいた。









【 二人の約束 】





「じゃあ、先生を助けるんだな。」


「うん。」


「どうすればいい?」


「まず、検査を受けてもらうこと。でも、どう説得したらいいか……。」






 大樹は腕を組み、考え込んだ。




「じゃあ、俺が言うよ。サッカーのケガで病院行ったってことにしてー、先生を一緒に連れてく。」



「そんな……いいの?」




「当たり前だろ。仲間だし、それに——」





 そこで言葉を切り、照れくさそうに笑う。







「綾瀬のためだから。」






 心臓が跳ねる。

 頬が熱くなる。






「ありがとう、大樹くん……。」







「いいって。俺、嘘つくのは苦手だけど、先生の命がかかってるなら、やるよ。」






 そう言って、大樹は真剣な表情で続けた。





「ただ、ひとつ約束な」

「約束?」

「未来に帰っても、俺のこと、絶対、忘れんなよ。」







 その瞬間、舞の目から涙が溢れた。



 それは悲しみでも、喜びでもない。


 “生きている実感”のような涙だった。






「うんっ、……絶対に忘れない。」

「よし!」


大樹は笑い、舞の髪を軽く撫でた。





 その手の温もりが、時間の境界を越えて染み込んでいく。
















【 放課後の夕暮れ 】









 二人は並んで校庭に出た。


 夕焼けが空を赤く染め、雲が流れていく。


 まるで“あの日の空”のようだった。


「大樹くん。」

「ん?」

「わたし、この世界に来てよかった。
 怖かったけど、みんなにもう一度会えて……本当に嬉しかった。」

「そっか。」

「でも、もし未来に戻ったら——もう今の知ってくれている大樹くんには会えなかもしれないんだよね。」

「……それは、やだな。」







 大樹は少し沈黙してから、振り向いた。

 その目が、まっすぐ舞を見つめる。











「じゃあ俺、今お前に言っとく。」






 風が止まる。
 雲が流れる。
 夕日の光が二人を包み込む。













「俺、綾瀬のことが好きだ。」













 舞の呼吸が止まった。


 言葉が出てこない。


 でも、胸の中が熱くて、涙がこぼれそうで。








「大樹くん、……ありがとう。」





「返事は、未来でもいい。」




「……うん!」





 二人の影が、夕焼けの中で重なった。





 風が吹き抜け、校庭の砂をやさしく巻き上げる。











 その瞬間——
 世界がほんの少しだけ、やわらかく光った気がした。