あれから一年後。







初詣。



 境内の空気は澄み渡り、白い息がふわりと空へ溶けていく。


 雪をわずかにかぶった石段を、舞と大樹は並んで登っていた。




 「あれからもう一年か……」



 大樹が手をポケットに突っ込みながらつぶやく。





 「ね、早いよねー。」




 舞はマフラーを口元まで引き上げ、笑顔を見せた。






 ——あの日、同窓会で再会してから一年。




 二人は正式に恋人となり、ゆっくりと大人の恋を育んでいた。






 大樹はスポーツ用品メーカーに勤め、舞は介護福祉士の仕事を続けている。





 忙しい日々の中でも、二人が交わす言葉にはいつも優しさがあった。





 今日訪れたのは、友田先生がよく参拝していたという神社。






 小学校の頃、運動会前にはクラスみんなで「怪我をしませんように」と祈った思い出の場所らしい。





「友田先生、元気にしてるかなー?」



 舞がぽつりと呟く。
 大樹はうなずきながら、笑った。




「この前メールしたら、『最近は腰が痛いんだよ』って言ってた。
病院進めたら、『これは年だっ!』て笑ってたよ。
 でも、相変わらず星とか鉄道とかの話になると止まらなくてさ。」






「ふふっ……そーなんだ、変わってないね。」




 二人は絵馬を買い、願いを書いた。




 “この幸せが長く続きますように”
 舞の字は少し照れくさそうに震えていた。







【 御神木の奥へ 】






 参拝を終えて帰ろうとしたとき、
 舞はふと、境内の奥にある大きな御神木が目に入った。






 冬の陽射しの中で、古びた木の幹が静かに光っている。






 その根元の奥、木々の影の中に、
 小さな祠(ほこら)が隠れるように建っていた。






 「ねぇ、大樹。あんなとこに祠あるみたいだよ?」



 「ん? ああ……どうだろ。先生何も言ってなかったからなー。」




 何かに導かれるように、舞は足を向けた。







 雪を踏むたびに、しん、と音が吸い込まれるような静寂。






 祠の前に立つと、冷たい空気が少しあたたかく感じられた。


 どこか懐かしい匂いがする。













【 神主との出会い 】









 「おや?——もう、願いごとをかなえられたんですね。」






 突然、背後から声がした。





 舞と大樹が振り返ると、白い装束をまとった年配の神主が立っていた。





 優しい笑みを浮かべ、深い皺が目尻に刻まれている。






 「え……願いごと、ですか?」




 舞が戸惑って尋ねる。




 「ええ。ここにある祠はね、
  本当に強い“想い”を持つ者だけが辿り着ける場所なんですよ。」





神主は穏やかにそう言って、
 袖の中からひとつのお守りを取り出した。





 それを見た瞬間——
 舞の息が止まった。





「それはっ……!」





 それは、友田先生がくれたお守りと全く同じものだった。
 茶色い布の色も、紐の結び目も、裏に書かれた小さな星の刺繍までも。





「……どうして、これを……?」





 神主はにこりと笑った。





 「昔ね、この神社によく来る"学校の先生"がいましてね。
  いつも“生徒たちが幸せでありますように”と祈っていました。
  その人が、この祠でお願いしたんですよ。
  “どうか、あの子たちの未来に、自由と希望をください”とね。」





 舞の胸が熱くなる。




 その“学校の先生”が誰かなんて、聞かなくてもわかっていた。





「そのとき、その方に一つだけお守りを差し上げたんです。
 “願いを叶える力が、必要な人の手に渡りますように”ってね。」




 神主はお守りをそっと舞の手に乗せた。





 「このお守りが再びあなたのもとに現れたということは、
  もうその願いは果たされたのでしょう?」





 そして、柔らかく頭を下げ、雪の向こうへ静かに歩き去っていった。














【 奇跡の意味 】







 しばらく呆然と立ち尽くしていた舞に、
 大樹が不思議そうな顔で近づく。






「なんだ?あの人。なんか悪徳商法の人じゃないよな?」






「もう、変なこと言わないでよ。」





 舞は笑いながら、手の中のお守りをぎゅっと握った。






 ——先生が、わたしたちの未来を守ってくれたんだ。

 ——だから、今こうして大樹といられる。







 胸の奥で、あの春の日の声がよみがえる。





 『自由に生きるんだ』

 『綾瀬、君はきっと大丈夫だよ。』




 雪が風に舞い、御神木の枝がきらめいた。






 まるで先生が空から微笑んでいるようだった。





手を合わせる二人





「ねぇ、大樹。せっかくだし、祠にお参りしていこう!」





「ん、そうだな!」





 二人は並んで祠の前に立ち、静かに手を合わせた。





 柏手の音が冬空に響く。




 ——どうか、この幸せが続きますように。

 ——そして、先生がいつまでも笑っていられますように。






 祈りながら、舞は小さくつぶやいた。




 「先生、ありがとう。」





 大樹はその声を聞き、舞の手をそっと握った。









 「なあ、舞。」


 「ん?」







 「俺、あのときからずっと思ってたんだ。
  お前が泣いたり笑ったりするたびに、
  あの頃の教室が今もどこかに生きてる気がするんだ。」





 舞は頬を赤くしながら笑った。






 「それ、詩人みたいだねー。」



 「いや、マジで。俺、本気でそう言ってるんだけどな!」





 二人は顔を見合わせて笑い合う。


 白い息が交わり、雪の中に消えていった。





空を見上げて神社を出るころ、雲の切れ間から淡い陽射しがのぞいた。





 灰色の空の向こう、うっすらと光の筋が差している。




 「ほら、雲が流れてく。」




 大樹が指差す。





 舞はその方向を見上げた。




 ゆっくりと流れる雲のかなたに、
 あの日、友田先生と見た“大空”が重なって見えた。








 ——あの日、流れ行く雲を追いかけた。


 ——そして今も、わたしたちは同じ空の下にいる。





 舞は、ポケットの中の小さなお守りをそっと握りしめた。



 心の中で静かに呟く。






 「先生、ちゃんと自由に生きてます。
  あなたのおかげで、私は今、幸せです。」







 風がやさしく吹き抜けた。






 雪がきらめきながら空へ昇っていく。
 それはまるで——先生の笑顔のように。





 舞は大樹の手を取り、




 「行こう、来年もまたここに来ようね!」と言った。





 大樹が微笑んで頷く。







 二人の足跡が、雪の白い参道に並んで刻まれていく。




















― 終章 ―






 空を見上げると、雲がゆっくりと流れていた。

 あの日、追いかけた雲の向こうには、
 今も変わらぬ未来が広がっている。





 ——あの日、流れ行く雲を追いかけた。


 ——そして今、雲の向こうで、みんなの未来は目映く光っている。




 舞は微笑んだ。


 その笑顔は、どこまでもやさしく、あたたかかった。