「最後の飯」

 言いながら、俺は玄関で今にも帰ろうとした陽彩の手をつかんだ。この手は。この手だけは。
 陽彩が驚いた顔でふり返る。

「俺は、陽彩の作ったのがいいけど」
「と、唐突にどうしたの」
「けど今言うのは違くて、仕切り直したいし」
「う、うん?」
「せめて今のプロジェクトが軌道に乗るまで待って。死ぬ気でコンペ取るから」
「……死ぬ気で取り組んだら、いきなり最後のご飯になっちゃう」
「それはまずいな」

 陽彩が苦笑した。俺の手にもう一方の手を重ねる。
 その顔に安堵して、俺は陽彩を腕の中に閉じこめた。陽彩は抵抗することなく、俺の腕に収まる。

「とにかく。陽彩は早まってもいないし、重くもない。ただ、きちんとしたいから待ってて」
「えっ……」

 言葉をなくした様子の陽彩が、俺の胸に顔をうずめた。
 その耳は真っ赤だ。

「……どうしよっかなぁ」
「え、悩むの」

 陽彩が顔を上げた。ふわっと口元をほころばせる。

「私がおとなしく待つと思っているなら甘いよ、一希。あんまり待たされたら逆プロポーズするかも」 

 つい噴き出した。
 陽彩らしくていい。
 もっと、俺にがっついてくれてもいいくらいだけど。

「陽彩こそ、俺がそこまで待たせると思うなら甘いって」

 俺は陽彩をさらに深く抱きすくめる。
 こんなにかわいい恋人を放っておける余裕は、どこにもない。この手だけは、ぜったい離したくない。離さない。
 だからその日は、今俺が考えるよりもずっと――もう、すぐそこだ。