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 桜の花が春の嵐にまたたくまに散っていった、四月の半ば。
 ほの白く染まった寝室のベッドから足音を立てないよう離れると、陽彩が小さく身動ぐ気配がした。

「一希……」

 起きたかとふり返るも、陽彩の目が開く様子はない。
 今のは寝言だろうか。
 夢の中でも俺を呼んだのかと思うと口元がゆるむ。あとで、どんな夢だったか聞くことにしようか。
 シャワーを浴びてTシャツとスウェットに着替え、リビングに戻ってカーテンを引く。とたん、爽やかな陽射しが室内に降り注いだ。
 古民家特有の、傷のついた柱にかけた時計をたしかめる。八時半。
 ここの大家から譲り受けた、いかにも大正か昭和風の佇まいの時計だ。音が鳴らないよう、改造しておいてよかったと思う。
 このところ、陽彩とゆっくりできる日が少なかった。
 年度末でもあったし、俺が広島の一件以外にも新しいプロジェクトを任されたからでもある。
 四月になればなったで、陽彩の下には新入社員がつくことになっている。その準備で、陽彩もずっとバタバタしていた。
 だから昨夜は少し、いやかなり、加減を間違えてしまった。
 ずいぶん疲れさせただろう陽彩を、もう少し寝かせてやりたい。
 冷蔵庫から取り出したミネラルウォーターのペットボトルに口をつけ、さらに思考すること数秒。頭がはっきりしてくる。
 俺は近所のパン屋で買った厚切りのパンを、トースターにかける。
 そのあいだに、熱したフライパンに卵を割る。
 殻の欠片が落ちたのを焦って取ろうとして「あちっ」と手を離す。スプーンでなんとか殻を取り除いたころには、目玉焼きの中央が固まり始めていた。
 そうだ、湯を沸かすのを忘れていた。コーヒー用と、スープ用。スープとはいっても、市販のコーンスープの素だ。湯を注ぐだけのもの。