私は朝、一直線でそこに向かった。

私は勇気を振り絞り、副社長室の前に立った。

ノックすると落ち着いた声が返ってくる。

「はい」

「藤田です」

「……入れ」

扉を開けると、河内さんがデスクで書類に目を通していた。

昨日の夜とは別人のような雰囲気に一瞬ひるんだけれど、決意は揺るがなかった。

「河内さん……私、もう無理です!」

静かな室内に私の声が響く。

河内さんは手を止め、ゆっくりと顔を上げた。

「昨日のことが怖くて……もうあなたの家には行けません。専属の嬢も辞退させてください!」

彼は書類を置き、暫く沈黙が続いた。

「悪かった」

低い声は真剣だった。

謝罪の言葉に、私は息を呑んだ。けれど心は決まっていた。

「それでも、やっぱり無理です。辞めます」

彼はしばらく黙っていたが、やがて小さく頷いた。

「……そうか。じゃあ、取引はなかった事にしよう」

胸がきゅっと痛んだ。でも、私は覚悟を固めていた。

「借金は自分でどうにかします。……また水商売に戻ってでも」

その瞬間、河内さんの表情が変わった。

立ち上がり、私の前に来る。

「それだけはダメだ」

強い声。けれど怒りではなく、必死さがにじんでいた。

「借金は俺が払う。だからそんな仕事は二度とするな」

河内さんの私への想いはわかる。

でも……

「ただ借金だけ払ってもらうのは私も気が引けます」

彼はぐっと手を握っていた。

「じゃあ、ただ家にいるだけでいい」

私は悩んだ末に

「……わかりました。昨日のような事がなければ」

その時河内さんの顔が少し緩んだ。

「ありがとう」

その顔を見て、何故か少しだけ安心した自分がいた。

* * *

仕事は、河内さんが先輩に釘を刺した後はあまり押し付けられなかった。

けれど、河内さんが私を庇ったせいで、変な噂がたっていた。

私が副社長を誘惑した、とか、前の飲み会で言った上司の冗談が独り歩きして、私が嬢をやっているとか……

実際やってたんだけど、このままだと副業をやっていた事が本格的にバレてしまって、河内さんも庇いきれなくなる。

そしてもう一つ困ったことがある。

先輩の田中さんだ。

前までは普通にいい先輩として接していてくれていたのに、最近やけに距離が近い。

「藤田さん今日仕事終わったら飲みに行かない?」

「すみません、今日は用事があるので……」

そうやってかわす毎日が続いた。

「どうやって副社長に取り入ったの?」

先輩達にとうとう直々に聞かれた。

「取り入ったりしてません……私が前残業している時に偶然会って仕事の話をして……それだけです」

先輩達は不満そうに立ち去った。

とにかく職場に居づらい……!

でも、河内さんとの約束もある。

私は何とか耐えるしかなかった。

一体この状況はいつまで続くんだろう。

私の心は揺れ続けていた。