私たちを見た通行人が驚いて、チラチラと視線を送りながら通り過ぎていく。

河内さんは私を離すと、スマホを取り出した。

「今夜ここに来い」

画面に表示されたのは、この近辺の高級ホテルのホームページ。

今この人と二人になるのは怖い。

でも、ちゃんとまた話したい。

私が俯くと——

「待っている」

河内さんはそのまま背を向けて去っていく。

今夜会うのは怖い。

でも、また再び彼の姿を見ることができて、嬉しいと思う自分もいた。

* * *

アパートに帰った私は、できるだけフォーマルな服に着替えて家を出た。

バスに揺られながら、胸の鼓動が止まらない。

ホテルのロビーで待っていると、河内さんが現れた。

「ちゃんと来たな」

私は小さく頷いた。

気まずい沈黙の中、私は彼について客室に向かった。

ドアが静かに閉まると、外の世界から完全に遮断されたような気がした。

河内さんはソファに座り、隣を指した。

「ここに座れ」

私は少し距離を置いて腰を下ろす。

河内さんはウィスキーのボトルとグラスを持ってきて、私の前に置いた。

「注げ」

久しぶりに感じる、あの日々。

私はグラスにお酒を注いで差し出した。

河内さんはそれを一気に飲み干す。

そして静かに口を開いた。

「なぜあの日、消えた」

来ると思っていた質問。

ちゃんと言わないといけない。

「……限界だったんです」

河内さんの表情が変わった。

「限界?」

「頑張ろうとしていました。でも、もうこれ以上は精神的に無理だって……あの日気づいてしまったんです」

あんなに大切に想っていたのに。

この人と一緒に歩む未来を切り開こうとしたのに。

「自分が壊れてしまうと思って……逃げました」

暫く重い沈黙が続いた。

河内さんの手が、私の髪に触れた。

優しい手つきで。

「逃げて行ったくせに、毎月毎月金を振り込んできて……それが俺の唯一の支えだった」

「振込が来るたび、お前が無事でいることがわかって安心した」

河内さんが私を見つめる。

「でも返済が終わるのが怖かった。繋がりが完全になくなってしまうから」

河内さんは立ち上がって窓の外を見た。

「この三年間、俺はずっとお前の気持ちを考えようとしていた」

胸が詰まった。

「部屋に残されたお前のドレスや着物を見るたび、あの時のお前の表情を思い出した」

河内さんの横顔が、あの時より遠く感じる。

「なぜお前が俺から逃げたのか、ずっと考えていた」

私の方を見た。

「あまり変わってなくて安心した」

その優しい表情を見ると、胸が苦しくなった。

「ごめんなさい……」

「茶道も続けてるんだな。俺への未練か?」

図星だった。

「俺が今日までどんな思いをしていたか、わかるか?」

河内さんの声が震える。

「お前のことを恨んだよ。信じていたのに、突然いなくなって」

私も苦しかった。

でも、それを言う資格はない。

「でも……やっとわかった」

河内さんが私の前に座った。

「俺がお前を追い詰めていたんだ」

その言葉に、私は息を呑んだ。

「お前が限界だったって言葉を聞いて、やっと気づいた」

河内さんの目に、深い後悔の色が浮かんだ。

「俺は自分の気持ちばかり押し付けて、お前の心の状態を見ていなかった」

私の頬が、そっと包み込まれた。

「もう追い詰めない。今度は、お前の気持ちを一番に考える」

河内さんの優しさに涙が溢れそうになった。

「でも……河内さんは私のこと、許してないですよね」

河内さんが私を見つめる。

「お前を愛してるなら、お前が幸せでいることが一番大事だろ」

河内さんは、会えなかった時間を埋めるかのように私を優しく抱きしめた。

許してもらおうとは思ってない。

ただ、これ以上もう傷つけたくなかった。