──3年後

私は、北海道に住んでいる。

不動産会社で事務員として働いている。

「藤田さん、この契約書の件で確認があるんですが」

「はい、すぐに確認いたします」

頼まれた資料を手際よく整理する。

この三年で、私は変わった。

自分の意見をちゃんと言えるようになったし、仕事でも評価してもらえている。

「藤田さんって、しっかりしてるよね。頼りになる」

上司にそう言われるたび、少しずつ自信がついてきた。

でも——

心の奥には、いつも罪悪感があった。

河内さんを一人にして逃げた自分への自責の念。

そして、河内さんへの申し訳なさ。

* * *

仕事を終えて家に帰る途中、ATMで通帳記入をした。

今月の給料が入っている。

私はそこから数万を別の口座に振り込んだ。

借金の返済。

三年間、一度も欠かしたことがない。

これが私と河内さんを繋ぐものだった。

河内さんは元気でいるだろうか。

会社はうまくいっているだろうか。

私のせいで、何か困ったことになっていないだろうか。

毎日毎日、そんなことばかり考えていた。

* * *

週に一度だけ、茶道教室に通っている。

「藤田さん、お点前がとても上達されましたね」

「ありがとうございます」

河内さんが教えてくれた茶道。

あの時の彼の手つき、優しい眼差し。

すべてが遠い記憶のようで、でもとても鮮明に残っている。

茶碗を手に取るたび、あの人の温もりを思い出す。

着物を着るたび、あの日河内さんがくれた着物を思い出す。

私は河内さんと過ごした時間を、どこかで繋ぎ止めていたかった。

あの人への想いを、消したくなかった。

だからこそ、北海道を選んだ。

あの雪の夜、「二人でどこかで暮らさないか」と言ってくれた場所。

その答えを、一人で探していた。

* * *

帰り道、夕暮れの商店街を歩く。

この町の人たちは優しい。

誰も私の過去を知らないし、詮索もしない。

ただ「藤田さん」として接してくれる。

それがありがたかった。

信号で足を止める。

向こうから子供を連れた夫婦が歩いてくる。

幸せそうな笑顔。

私も、もしかしたら……

もし河内さんと一緒にいられたら、こんな未来もあったのかもしれない。

でも今更、そんなことを考えても意味がない。

私は河内さんを裏切って逃げた。

もう戻れない道を選んでしまった。

それでも——

「河内さん……」

名前を呟くだけで、胸が苦しくなる。

愛してる。

今でも、ずっと。

「優美」

突然、名前を呼ばれた。

その声に心臓が止まりそうになる。

知っている声。

忘れるはずもない声。

恐る恐る振り返る。

そこに立っていたのは——

河内さんだった。

前よりさらに鋭さを増した彼が、私を真っ直ぐ見つめている。

スーツも、身のこなしも、すべてが以前より洗練されていた。

でも、その瞳だけは変わらない。

いや……変わっている。

「河内さん……」

その瞳は私をまるで憎んでいるかのような、でも愛情も感じられるものだった。

「やっと……見つけた」

私は立ち尽くしていた。

その時通りすがった自転車に軽くぶつかって転びそうになった。

河内さんに受け止められた。

バッグから帛紗入れが落ちた。

「……茶道続けているのか」

低い声に体が強張った。

「三年間……ずっと探していた」

私を受け止めた手に力が込められている。

「なぜ……なぜ俺に何も言わずに消えた」

その声には怒りと悲しみが混じっていた。

「どれだけ……どれだけ心配したと思っている」

私は何も答えられない。

答える資格がない。

私がこの人を傷つけたんだ。

「河内さん……」

やっと声が出た。

「もう……社長になられたんですね」

河内さんの表情が一瞬緩んだ。

でもすぐにまた険しくなる。

「そんなことはどうでもいい」

「俺にとって大事なのは……」

人目も憚らず、私はそのまま河内さんに抱きしめられた。

「お前だけだ」

商店街の夕暮れの中、時が止まったようだった。

私たちの間に流れる三年という時間。

それでも変わらない、この人の想い。

そして……変わらない私の気持ち。

でも、私にはもう、この人の隣にいる資格があるのだろうか。