再び縁結び



〈三人称視点〉

 参観日から約1週間が経っていた日。いつもの様に家に帰宅した。ランドセルをリビングに放り投げて、ゲームをしようとする。小春はそんな息子に注意をして、春斗はめんどくさがりながらもランドセルを指定の場所に置いた。

「春斗、学校はどうだった」

 小春が春斗に対して頻繁に聞く質問だ。だが、息子から返された言葉に彼女は耳を疑う。

「なんかね、せんせーが倒れちゃったみたいで、薊せんせーがせんせーの代わりにお勉強教えてくれた」

 彼女の頭の中で整理が追いつかなかった。春斗の指す先生とは、結斗の事なのだろうかと。それとも、それ以外の先生なのだろうか。小春は、身を屈め春斗と目線を合わせた。

「春斗、先生って誰のこと指してるのかな」

「しののめ先生だよ。ママッ」

 あぁ、やっぱりかと小春は自分の中で納得した。きっと、1人で抱え込んでいた三色さんの家庭の件か、と。

「ねえ、どうして東雲先生は倒れたのかな。ママに詳しく説明してくれるかしら」

「なんかね、あざみせんせーがね、すとなんゃらとかひろお...とか言ってたんだ。なんかむずかしい言葉のやつ」

 春斗は、薊が言っていた難しい言葉を必死に伝えようとしていた。小春は、そんな成長した息子を見て胸が温かくなる。頭の中で結斗が倒れた理由を整理した。

「わかった。ストレスとか疲労で、東雲先生が倒れちゃったんだね」

「うんっ」

 母から言われた言葉は合っていたようで春斗は元気に頷く。息子の事が愛しくなり、頭を優しく撫でる。すると、春斗はえへへと笑う。

「...ついでに、どこの病院に入院したか知ってるかしら」

「たしかねぇ...だい病院っ、甘夏大病院ってとこ」

「よく答えれました。ありがとう、春斗」

 息子を褒める言葉や態度とは裏腹に結斗の事が心配になっている自分もいたのだ。もし結斗が本当にいなくなってしまったらと考えると落ち着けなかった。

ーー

 参観日の日。確かに小春は菫と春斗を連れて家に帰っていた。職員室では数名の教師が、残業をしていた。結斗もその1人だった。

 丸つけをしていると菫の母親である奈沙から結斗へ電話が来た。

 甘夏小学校では、2学年毎に固定電話が共有されている。彼は恐る恐る受話器を手に取って耳にあてる。すると、向こう側から甘ったるい声が聞こえた。

ー東雲先生。やっとダーリンが帰ったから、菫返して欲しいんだけどぉ

ーその件ですが、桜庭さんに預かってもらっていますので、桜庭さんに連絡して、僕が桜庭さんのお宅に行き、娘さんを連れて、僕が引き渡しますね。

ーはいはーい、じゃあよろしくぅ

 奈沙との電話を切った後、彼は一か罰かで小春に電話をかけた。夜遅いと言うのも承知の上だ。

ーはい、桜庭です

 電話に出た彼女の声は眠そうだった。きっと、夢の中へいるときに結斗からの電話で起こされてしまったのだろう。

ー...あっ...。夜遅くに申し訳ございません。東雲です。...三色さんは寝ていますか

ーはい、もうソファで寝ちゃってます。春斗と一緒に勉強沢山して疲れたみたいです。

 小春の視線の先には、ソファでクッションを抱き締めてスヤスヤと眠る菫の姿があった。その顔は、いつもの暗い表情からは想像できない穏やかな顔だった。

ー...そうですよね。深夜ですもんね。先ほど、三色さんのお母さんである奈沙さんから電話が来ました。菫ちゃんをを戻して欲しいと。

 電話の向こうの彼女は、話を聞くとため息をつく。彼女も奈沙さんの自己中心さに呆れているのだろう。

ー...急ですね

 その言葉は、結斗に向けられたものか、はたまた奈沙に向けられたものなのか。彼女は、こめかみに人差し指を置き少しの間無言になった。

ー本当に今夜深夜に電話するのも申し訳ないです。それか、僕が桜庭さんの家の近くについたらまた電話しますので、玄関に菫ちゃんを待機させていただいて僕が引き取る方法でも構いません。

ー...大丈夫です。三色さん今凄く穏やかな顔して眠ってます。それに、途中で起こしたら子どもが可哀想ですし。それに、子どもを放置するような親に返したら、そっちの方がよっぽど危険です。それに、深夜ですから東雲先生もかなりお疲れでしょう。明日、春斗の集団登校のグループに菫ちゃんも同行させますから

 その口調はとても強かった。まるで、自分が菫の母親の代わりになると決意したかのようだった。結斗もキッパリと言われた後、少し考えたが小春を信じた。

ー承知いたしました。ご迷惑おかけいたしますが、三色さんをどうかよろしくお願いいたします

 その日は、それで終わった。翌朝には小春が言っていた通り、菫を春斗がいる集団登校のグループの生徒達と登校させた。奈沙の件はこれで終わると思いきや、その後も何回も続いた。

 夜遅く仕事が終わり、家に帰ると奈沙から電話がかかってくる。

ー東雲先生、桜庭さんに今日も預かっといてって言っといて、よろしく〜

 つまり、奈沙は結斗と小春の信頼関係で成り立つ善意に漬け込んだのだ。最初は小春も春斗が楽しく過ごせるならと受け入れていた。だが、頻度は増えていき、いつの間にか"奈沙専属の菫預かり屋"になってしまったのだ。

 児童相談所にも校長を通して相談をしていたのだ。

「校長先生、僕のクラスの三色さんの家庭の事で、児童相談所に通していただきたいことが」

「どうかされましたかね、東雲先生」

そして、校長に話を通してもらい職員が1回目に家を訪ねた。すると、奈沙に「私なりに子育てしてるから、変なこと聞かないでよ」と追い返されてしまったらしい。

 そして2回目も職員が尋ねた。だが、奈沙は職員に帰ってと言ったらしい。職員も無理には入れないために進展がない。

 校長は結斗に1回っきりしか相談されなかっために、そんなに大事ではないと勘違いをしてしまった。

 元々は週に1日や2日と言う頻度だったが、次第に、平日毎日となり、挙げ句の果てに週末も預かってといってくる始末だった。その度に、小春に謝罪し、彼女は受け入れた。

 だが、彼は小春に迷惑をかけてしまうことが段々と苦痛になってきたのだ。昼や朝は、ゼリーや菓子パン、カップラーメンの簡単なご飯に頼る日々が続いた。昼飯は、学校の方で出された給食を食べれる。だが十分に噛む時間はない。給食を急いで食べ、プリントや宿題のまる付け、次の授業の内容確認、学年便りなどの配布物の確認をしなければならない。1日分の朝と夜の食事で補えない栄養を取ればいいなと言う考えになってしまっていた。

「おい、東雲先生。なんかあんま顔色良くないけど大丈夫か」

「ご心配ありがとうございます。飛竜先生。まだまだ、俺はやれますから」

「おい,本当に大丈夫か、なんか凄く歩き方が」

「大丈夫です。気にしないでください」

 そう言う会話も何人かの教師としていた。だが、本人が大丈夫としか言わなかった。それ以上の過度な介入は出来なかった。
 
 あまりに偏りすぎる食事を続けていたせいで、ニキビや腹痛の回数も増え始める。顔色も日に日に悪くなっていた。生徒や他の教師の前ではいつもの笑顔で振る舞っていた。だが、ついにある日ガタが来てしまった。

「さあ、皆、今日は鬼ごっこやろう。鬼は先生がやるから、皆で1、2、3数えたらスタートしよう」

 その時は、グラウンドで体育の授業をしていた。生徒達が元気に結斗と一緒に数え始める。

「「1〜、2〜、3〜」」

 そのカウントと共に、結斗は、クラクラと目眩がし視界がぼやけ始めた。

「あれ...なんだこ...れ」

「せんせっ」「ねえ、どうしたの」

 子ども達の声が聞こえてくるが、視界が真っ黒になり地面に打ち付けられた感覚があった。

「おい、どうした。東雲先生...返事しろっ、くっ、誰か救急車呼べっ」

 たまたまグラウンドで研究の授業をしていた理科担当の野崎 理人(のざき りひと)が6年生達に大声で呼びかける。その数分後、救急車のサイレンの音が鳴り響き、数人の教師達がグラウンドに駆けつけていた。その状況を校舎から見ていた生徒や教師もいた。

ーー

 そんな事があり結斗は倒れてしまった。あの後病院に運ばれ、校長と教頭が付き添った。病院から先に戻って来た薊は、東雲の代わりに1年1組の教壇に立ったのだ。その日もクラブ活動が行われる予定だったが全て中止になり、校長と教頭が病院から戻ってくると、全職員が集められ職員室で緊急の会議が行われた。空気は重い。最初に切り出したのは校長だった。

「教職員の皆様方、話には聞いてるとは思うが今日の体育の授業中に東雲先生が倒れてしまった。どうやら、過労と栄養状態の悪化が重なったらしい。現在、病室で東雲先生は点滴を受けている。こんなことになる前に早く学校で対処すればよかったが、東雲先生は誰にも頼れずに1人で抱え込んでしまっていたみたいだ。何が原因かはまだ何かよくわかっていない。何か心当たりある先生方はいらっしゃるかね」

 校長の言葉が終わると職員室に静寂が流れる。結斗とあまり関わった事がない職員達は頭にはてなを浮かべていた。頻繁に関わっている者達は結斗の行動を思い返していた。

「そういえば、最近よく生徒を職員室に連れて来ていました。何やら電話していたようです。関係あるかは不明ですが、もしかしたらと言う感じです」

 幸助に視線が集中する。幸助の記憶の中では、音葉が職員室にいた生徒にお菓子をあげていたという事しか思い浮かばなかった。すると、養護教諭の 藤宮 奏(ふじみや かなで)が手を挙げた。

「血液検査の結果、低栄養を示す数値が出ていたらしいですね。校長先生と教頭先生から教えていただきました。食生活の方も気になります。朝昼晩、3食ともしっかり食べていたのでしょうか。昼ご飯は給食があるにしろ、昼だけまともに食べていたとしても栄養がかなり偏ります」

「つまりは、東雲先生はまともに栄養を取れていなかった。給食もまともに食べれていなかったという可能性がありますね。何にせよ、食べ物はよく噛まないと消化不良を起こす可能性がありますからね」

 呟きながら、理人が眼鏡をクイっと押す。奏は、静かに頷く。すると、今度は音葉が何かを思い出しながら話し始める。

「...東雲先生の電話の内容ちょっと聞こえてました。正確にはわかりませんが、三色さん...と確か言っていました。今回の倒れた件について関連があるかはわかりませんが...」

「つまり、もしかしたら通話の記録に東雲先生が倒れた理由がわかるものがあるかもしれないと...」

 理人が音葉の言いたかった事を汲み取ると彼女は、強く頷く。この甘夏小学校では、校内にある全ての固定電話は通信記録が残るように設定されている。

「わかりました。職員会議を終わります。今回の件は教育委員会にお伝えします。何かあればすぐ誰かに相談することを心がけてください」

校長の言葉で教員たちはそれぞれの仕事に戻った。校長は歩き出し、低学年用の固定電話の前に立った。そしてポケットからメモ帳とボールペンを取り出した。