甘く切ない沈黙が破られ、二人は過酷な現実へと引き戻された。
 紋章を見つけたのかというカイの問いに、エメは首をふる。彼女は情報をくれたイリスのこと、昨夜の挑戦が失敗に終わったことを彼に知らせた。

 「お前、そんな無茶してたのか」

 エメは急に恥ずかしくなって、顔を赤らめた。

 「…昨日のことは、もういいのです!夜、最も暗い場所。ここに答えがあるはずです」

 エメは息をひそめ、注意深くあたりを見回す。
 霊廟の一番奥にある古い石棺の側面に、それはあった。

 「……見つけた。これです。『日向の氏族』の紋章。数百年前に歴史から姿を消した一族の…」

 その名を聞き、カイは目を見開く。そして、顔を歪め苦々しく呟いた。

 「……姿を消した、か。人間の歴史では、そうなっているんだな」

 その声には、深い悲しみが宿っていた。
 カイは、龍の一族に口伝で伝わる真実の歴史を語る。

 「…日向の氏族は消されたんだ。龍の古い盟友だった。人間の英雄が龍を助け、褒美として龍の王から一滴の龍の血を分け与えられた。そいつが日向の氏族の始祖だ」

 「人間との約束が破られた時、龍の側についたために、コランダムの祖先によって一族皆殺しにされた…そう聞いてる」

 その衝撃的な事実に、エメは何も言うことができなかった。コランダムの繁栄の礎には、これほどの血と裏切りが塗り込められていたというのか。

 二人は改めて、石棺の側面に刻まれた「太陽の紋章」を見つめる。
 エメの視線は、紋章のさらに下、石棺の台座に刻まれたか細い文字を捉えていた。

 「カイ、これ…読めますか?」

 エメが指差した先を、カイが覗き込む。そこには、龍の一族の古い文字が刻まれていた。カイがそれを読み上げる。

 「龍の血と、人の心が一つになる時、道は…開かれる」

 二人は顔を見合わせた。これこそが、鍵。

 カイはエメの手をそっと取り、その指を冷たい石の紋章の上へと導いた。そして、自らの指をその上に重ねる。

 その言葉と、二つの心が一つになった瞬間。
 ゴゴゴゴゴ…という地響きと共に、二人の足元の石の床が沈み込み、さらに深く暗い闇へと続く、隠された階段がその口を開けた。

 暗く長い階段の先にあったのは、「日向の氏族」が遺した古代の地下神殿だった。壁には龍と人間が共に暮らす色鮮やかな壁画が描かれている。しかし、床や壁には後から無理やり刻まれた無数の禍々しい紋様があった。

 「…これか、異様な気配は……」

 その紋様にカイが触れようとすると、バチバチと音を立ててその手を弾き返した。

 「…っ!な、んだこれ、コランダムのまじないか」

 「カイ…!大丈夫⁉」

 エメが駆け寄る。

 (…紋様から、龍の匂いがする。それも、とてつもなく大きな。間違いない、王は。親父は。近くにいる…!)

 「心配ない、先へ進もう」

 二人は神殿の奥へ奥へと進む。
 祭壇のような場所に、玉座に座る、一体のミイラがあった。

 「ひっ…」

 エメが思わず後ずさると、隣のカイが何も言わずに彼女の冷たくなった手をそっと握った。その温かさに、エメの恐怖は不思議と消えていく。彼女はカイの手を握り返し、二人で再び遺体へと向き直った。

 遺体は胸に一枚の黒い石板を固く抱いていた。
 カイがそこに刻まれた龍の文字を、一つ一つ読み上げていく。

 「我らは滅びる。だが、我らの血と、龍との絆は決して絶えぬ。いつか再び偽りの雨が止む日に、『太陽の瞳を持つ同胞』が、龍と共に偽りの王を打ち破るだろう」

 「……太陽の、瞳を持つ、同胞?」

 エメが不思議そうに繰り返す。

 (…『同胞』…。ミイラになったこの人は、『日向の氏族』の血を引く者…?)

 エメは目の前の亡骸に、改めて深い哀悼の念を感じた。

 二人はさらなる手がかりを求め、遺体の周りを注意深く調べ始めた。エメは遺体へ手を合わせると、その干からびた衣服へそっと触れる。エメの指が、袖口に隠された硬い何かに気づいた。カイに手渡すと、懐かしそうにこう言った。

 「龍の…鱗だ」

 それは最後の力を振り絞って刻まれた、数行の記録だった。
 カイがその小さな鱗を光にかざし、そこに刻まれた文字を読み上げる。

 「王子が生まれた。太陽の瞳を持つ、我らが最後の希望」

 「だが、あの子は呪われている。母スピネルの、その冷たい血に」

 「龍の力を恐れ、憎む、人の血に。ああ、我らが太陽は、母によって凍てついてしまった…」

 その、あまりにも悲痛なメッセージ。

 カイはその言葉の意味を完全には理解できずにいた。しかし、エメは全身の血が凍りつくのを感じていた。

 (スピネル…?)

 (まさか。そんなはず…)

 彼女は声を震わせカイに尋ねた。

 「…カイ。その、スピネルという名。間違いありませんか…?」

 「ああ。確かに、そう刻んである」

 エメは息を呑んだ。

 (…だって。わたしとルビウス王子の婚約が、にわかに決定されたのは…)

 「…スピネル。それは、つい先日原因不明の病で急死した、コランダム女王の名前です」

 なぜ、数百年前に滅んだはずの一族の遺言に、つい先日死んだ女王の名が?
 二つの時代のピースが、ありえない形で繋がってしまった。

 あまりにも信じがたい謎を前に、エメとカイは立ち尽くした。
 神殿が静寂に包まれた、まさにその瞬間。

 ドクン。

 それは音ではなかった。衝撃だった。神殿の床が、壁が、空気が、まるで巨大な心臓の内側であるかのように、一度、大きく脈打った。

 (気づかれた)

 もう一刻の猶予もない。
 二人は顔を見合わせると、来た道を全力で引き返し始めた。