翌日。
 つわりが落ち着いたタイミングを見計らって学校へ向かった。
 朝陽は二年留年しているので、大学四回生三年目。留年しているだけでも目立つのに、さらに見た目も目立つことから――服装は地味なのだが――モテる上にやっかみも多く、魔性の女のレッテルを貼られている。そのため、学校は好きではない。
 学校に来てから一番に向かうのは大学院だった。とある教授の部屋へ向かう。この時間ならまだ教授はいない。代わりに――。

「優人!!」
「何やねん。いっつもでっかい声で入ってくんな」

 優人と呼ばれた青年がいた。
 大学院生二年目の彼は、身長は朝陽よりかなり高く、月より少し小さいくらいで日本人の中では高い。見た目は二枚目だが中身は三枚目で親しみやすく、誰からも好かれるため仲がいい人は多いが表面上だけの関係で、信頼している友達は少ない。そんな感じなので根は哀愁漂っているが、基本的には明るい性格。元々優人は関西出身で思ったことをズバズバ言う上に口達者でもある。大学進学を期に上京し、今はアパートで一人暮らしを満喫中。そんな優人は朝陽が頼れる数少ない人物。

「何で学校に来る度にこーんなに注目浴びなきゃいけないわけ!?」
「俺が知るか!」
「誰が魔性の女なわけ!?」
「それはそう」
「誰が留年して卒業出来ないわけ!?」
「お前や」
「私が年上なんだからもうちょっと敬えよ!!」
「留年してるやつを敬えるか!」
「あーもう!!」

 全力で叫びながらキャスターを転がし、乱暴に座り、資料で山積みの机に突っ伏した。

「大学なんてやめてやる!!」
「卒業せぇ!」

 さっきからずっと優人に突っ込まれっぱなしだ。
「あー、しんどい」と、お腹をさすりながら魂と一緒に吐き出す。
 優人は資料を整理していた手を止めて朝陽に近づく。

「体調大丈夫なんか?」
「今しんどいって言ったでしょーが」
「どれくらいしんどい?」
「今はまだマシ」
「マシなんかい」
「じゃないと学校なんて来ないから」
「それもそうやな」

 優人は隅にある小さなカフェスペースへ移動し、お湯を沸かす。

「妊娠したらホルモンバランスも崩れるっていうし、イライラするんは分かるんやけど、あんまり悪態つくんはやめや?」
「何でよ」
「お腹の中でも赤ちゃんに聞こえてるらしいで」
「……マジ?」
「マジ」

 朝陽は視線を優人からそーっとお腹へ移動させる。どうしたらいいか数秒考えてからお腹を撫で始めた。

「今のは全部嘘だよ~」
「もう遅いやろ」
「じゃあ、どうすんのよ」
「今後気をつけるんやな。ずっと言わんかったら赤ちゃんもその内忘れるかもしれんし」

 そう言いながら手にはマグカップ。それを朝陽の前に差し出す。

「何これ」
「白湯」
「あ、どーも」

 有り難く受け取った。温かさにホッとする。ほんのりショウガとハチミツの香りがした。

「ちょっとは落ち着いた?」
「まぁね」

 優人は隣の椅子に腰かけながら頬杖をつく。

「で、今後どうすんの?」
「何が?」

 優人の質問の意図が分からない。

「妊娠したら出産があって、出産したら子育てが始まるやろ。学校通ってる暇ないんちゃう?」
「ああ、そういうこと」

 朝陽よりもずっと先を優人は考えているらしい。自分のことではないにも関わらず。

「退学しちゃおうかな。そんなに勉強に興味もないし」
「現実的に考えればそうやろな」
「止めろよ。さっき卒業しろって言ってたじゃん」
「結婚もせーへんねやろ? 家族に手伝ってもらうんか?」

 朝陽の言葉を聞いているのかいないのか、珍しく真剣な表情で続ける。

「家を――」
「家を出るとかもっての外な。一人で子育てなんか無理やから」

 思いっきり優人を睨んだ。

「先回りしないでくれる?」
「これが一般的な考え方やろ。一人で子育てなんて出来ひん。何のために親が父親と母親の二人おんねん。二人おらんと子育て出来んからやろ」
「そーですねー」

 真剣な優人に対し、朝陽は放っておいてくれと言わんばかりに鬱陶しそうに振る舞う。

「一般的って言うけどさ。うちは一般的な家庭じゃないわけ。両親は再婚してるし、姉だって未婚の母だし、兄弟だって血が繋がってない。私にだけ、一般的? でしたっけ? そんな立派なもの強要しないでくれる?」

 確かにそう言われたらそうかもしれない。優人は一瞬口をつぐむ。だが、引き下がっていい問題ではない。

「じゃあ、子どもの将来は?」

 今度は朝陽が口をつぐむ。

「生まれてくる前に環境整えてやらんと、苦労するのは朝陽じゃなくて、子どもやと思うで?」

 優人がここまで真剣にお腹の子のことを考えているのは自分の家庭環境が影響している。実家は裕福だったが、その分両親は仕事で忙しく、優人に構っていられなかった。一人っ子のため兄弟もおらず、家ではほとんどの時間を一人ですごし、寂しい思いをしていた。表面上は笑顔をつくろっていても、内面はぽっかり穴が空いたような感覚がつきまとう。その正体がずっと分からなかったが、後になって気づいた――寂しいのだと。
 大切な朝陽の子どもは、やっぱり大切だ。せっかく生まれてくるのだから、幸せになってほしい。そんな風に思っていた。
 朝陽は白湯を一口。

「……ずいぶん、子育てに詳しいですね?」
「え」

 じとーっと朝陽が優人を見ると、絶句した後背を向けられた。

「そろそろ教授が来る頃やな~。朝陽も教室行かへんと授業遅れるで~」
「あからさまに誤魔化すな」

 優人には何か隠していることがありそうだ。