数日後、朝陽は退院することになった。
 美空と月が付き添ってくれて三人で帰宅する。美空は久しぶりの有明家に緊張しながらも朝陽に励まされ、一緒に帰って来た。
 月が玄関の引き戸を開けると、愛子、久史、結、星――全員が玄関まで走って来た。

「朝陽、大丈夫!?」

 一番に駆け寄って来たのは、愛子。

「うん。もう平気。赤ちゃんも大丈夫だって」
「そう」

 心底安堵したように微笑む。

「……美空」

 愛子の後ろから久史の声が聞こえ、愛子は久史を見た後、朝陽の後ろに立っている女性に気づく――だが、何と呼んでいいのか分からなかった。とりあえず、会釈をする。

「久しぶり」

 美空は、久史、愛子へと順に視線を向けた。
 言葉もない三人を見かねて、朝陽が美空の隣に立つ。

「母さん、今日からまた一緒に住むから」

 その声に反応したのは星だった。

「母さん?」

 その目は輝いている。

「そう、母さん」

 朝陽が優しく言うと、星は美空の元へ走って来た。

「ママ!」

 美空は一瞬戸惑った。だが、すぐに笑顔になって星と同じ目線の高さになるようにしゃがむ。星が小さな頃の朝陽と重なって見えた。優しく頭を撫で、頷く。星は嬉しくなって美空に抱きついた。

「ずっと会いたかったんだ」

 星が満足そうにそう告げる。少しだけ強く抱きしめた。

「もうどこにも行かないでね」
「……うん。どこにも行かないよ」

 その言葉には素直に肯定出来た。星はより強く美空を抱きしめた。

「星」

 月が星を呼ぶと、美空から離れて大きな瞳を向ける。

「ずっと抱きついていると、困っちゃうよ」
「……ごめんなさい」
「大丈夫。また後で話そうね」

 美空の言葉にまた笑顔になる。

「寒いからお部屋に入ってて」
「うん!」

 星は結の元へ駆け寄り、二人は手を繋いで居間へ向かった。
 久史はその間もずっと美空を見続けている。

「父さん」
「……何だ?」

 朝陽が話しかけるとやっと我に返った。

「母さん、帰って来たよ」
「……うん」
「これから、また一緒に暮らしてもいいよね?」

 久史は迷う。一度出て行った美空がまたここに住みたいと思うのか。一緒に住んだとしても、また出て行くのではないか――。

「久史さん」

 美空が久史の名前を呼んだ。いつぶりだろうか。十七年前――一緒に住んでいた時も、あまり名前を呼ばれたことはなかった。

 ――いや、それほど美空を気にかけていなかったのかもしれない。

 当時は若い女性である美空と結婚したことで気が大きくなっていた。自慢でもあり、どこか下に見ていた存在でもあった。それがきっと美空にも伝わっていた。だから、出て行ってしまったのだ、と当時美空が出て行った後に必死に思考を巡らせて辿り着いたのがその答えだった。また同じことを繰り返してしまうのではないか――そんな不安がよぎる。
 そんな久史の手を美空が取った。目の前の変わらない妻に釘づけになる。

「今までごめんなさい」

 久史は首を横に振る。言葉にならない感情が込み上げる。

「あの日、どうしても苦しくて、家を出て行く選択をしたのに、結局あれから一日だって忘れられなかった。久史さんのことも朝陽のことも――愛子ちゃんのことも」
「え……」

 美空の視線は愛子へ向かう。愛子は戸惑いながら視線を下げた。美空は微笑み、また久史へ向かう。

「でも、一度出て行った私がどの面下げて帰るんだって思ったら帰れなくて……いつの間にか十七年も経ってた」
「……そうか」

 絞り出したのは当たり障りのないあいづちだった。

「私が臆病だったの」
「それは、私もだ。もっと早く美空を迎えに行くべきだった。すまない」

 今度は久史が謝る番。

「美空が出て行ってから、仕事しながら家事もして愛子と朝陽、二人を育てていくのは大変だった。その大変さを知っていたはずなのに、それでも私は美空に甘えていた。本当にすまなかった」

 前妻が亡くなった時、シングルファーザーとなった久史は愛子を一人で育てながら仕事をしていた。それがどれだけ大変だったのか分かっていたはずなのに、美空と結婚してから怠けるようになった。自分は仕事だけしていればいいと。それが美空を追い込んでいるとも知らずに。
 久史の甘え、愛子との不和、朝陽の育児――様々なものが重なり、美空は出て行った。

「もういいの。私も悪かったから、ごめんなさい」
「いや、悪いのは僕で――」
「分かった分かった」

 互いに謝り続ける二人の間に割って入ったのは、朝陽だった。

「二人はやり直す。それでいいでしょ?」

 久史と美空は顔を見合わせ、笑った。

「姉さんもいいよね」

 今度は愛子へ矛先を向ける。

「何で私に訊くのよ」
「どう思ってるのかなーって思って」
「好きにすればいいじゃない。私の許可なんて必要ないんだから。あ―寒い。私も居間に戻ろ~」

 愛子は腕をさすりながら居間へ向かった。

「照れてるね」
「そうなの?」
「そうだろうな」
「嫌だったら嫌って言うでしょ」
「言う言う」

 朝陽と久史が笑い合う中、美空は不思議に思っていた。愛子と上手くやっていけるかはこれからの自分次第だ。

「早く中に入ろう、姉さんの言う通り寒いし」
「そういえば寒いな」
「今気づいたの?」
「今気づいた」

 久史は部屋から出てきたため薄着だ。それなのに、寒さを忘れていたらしい。それほど美空のことで頭がいっぱいだったのだろう。
 他愛もない話をしながら、朝陽、久史、美空は中へ入って行く――。

「朝陽」

 呼び止められ、朝陽だけ振り返った。二人は空気を呼んで居間へ入って行く。

「話がある」
「今?」
「ちょっとだけ」
「何?」

 月は朝陽と二人きりになるタイミングを見計らっていた。

「二人で行きたい所があるんだ」
「行きたい所?」
「うん。だから、体調がいい時に教えてほしい」
「分かった。気にしておくね」
「ありがとう」

 二人はそれだけ話すと、家族の待つ居間へ向かった。