「あ、おかえり、朝陽」

 家に帰ると、居間から久史が顔を出して声をかけてくれた。

「ただいま。早いね?」
「今日は短かったんだよ。もうすぐ定年だからね」
「退職が近くなると短くなるの?」
「そうそう。もうほとんど任される仕事がないから」
「……そっか」

 ついさっきまで優人と話していた内容を思い出す――久史は美空と連絡を取っているのだろうか。

「ねぇ、父さん」

 久史の右隣りに座り、声をかける。

「どうした?」

 久史は夕刊を読んでいたが、新聞をたたみ、朝陽の話に耳を傾ける。
「……聞きづらいんだけど」と前置きをしてから切り出してみた。

「母さんと連絡取ってる?」

 久史はフリーズした。朝陽はしまった、と後悔する。

「あ、いや、してないよね、ごめん、忘れ――」
「ママの話してるの?」

 可愛らしい声がして、朝陽は振り返る。久史も我に返ってその声の主を探した。そこに立っていたのは――。

「――星」

 星が廊下に立っていた。朝陽よりも早く帰ってきた星は結と一緒に勉強をしていたのだが、トイレに下りて来ていた。そこで偶然二人の話を聞いてしまったのだ。

「ママ帰ってくるの?」

 美空は星の本当の母親ではない。だが、星は本当の母親を知らない。星の首が座った頃に実父の不倫が発覚し、のちに二人は離婚してしまったから。星は本当の両親からは捨てられていた。そんな星を兄である月が引き取り、一緒に有明家に来た――だが、その過去を星は知らない。
 だから、美空を本当の母親だと思っている。いづれば言わなければならないことなのかもしれない。だが、今の小さな星にはあまりにも重たすぎる事実。美空を実母だと思っているのが一番平和だと思い込むことにした。

「ねぇ、ママどこにいるの?」

 星は居間に入ってきて、久史を見上げる――顔を背けられた。

「何でママは帰ってこないの?」

 次に朝陽を見上げた。こっちも返答はなかった。代わりに「言えない」と顔に書いてある。星は答えてくれないことにもどかしさを感じていた。

「何で教えてくれないの……」

 うつむいた星を見て朝陽はやっと口を開く。

「ごめん、星」

 星は再び朝陽を見上げる。

「母さんがどこにいるのかは分からないんだ」
「何で?」
「連絡を取っていないから」
「何で連絡取らないの?」
「それは――」

 何と説明したらいいのか朝陽には分からなかった。久史へ視線を向ける。うつむいていた。再び視線を落とし、星を見る。

「――大丈夫。母さんは私が連れ戻すから」

 星の大きな瞳に加え、久史の驚きの瞳が向けられる。

「朝陽――」
「本当!?」

 久史は止めようとしたが、星の嬉しさがパッと咲く。

「ママに会える!?」
「うん。会おう」
「会う! 会いたい!」

 星の嬉しそうな笑顔を消すようなことは久史には出来なかった。
 朝陽もそれを分かっていてあえて久史にそれ以上話しかけなかった。笑顔の星を愛おしく思いながら優しく頭を撫でた。