スマホの画面をじっと見つめていた。そこには優人から教えてもらった美空の連絡先が映っている。連絡するべきか、このまま何も言わずに産むべきなのか――。
「おはよう! アサヒ!」
背後からハイテンションで声をかけられて我に返った。
「お、おはよう、デイビッド」
瞬時にスマホ画面を胸元に寄せて隠し、挨拶を返す。今はバイトに出勤するためにコンビニに来ていた。今日もデイビッドは同じシフトだ。
「体調はどう?」
布一枚の敷居の向こうから心配してくれる。その間にスマホ画面を閉じ、リュックの中にしまった。
「う、うん。大丈夫」
「そっか! よかった!」
店長には安定期に入ったと連絡したが、デイビッドは知らない。妊娠していることも。
今後のことを考える。このままここで働くべきなのか――。
今までは一人で育てようと思っていたからなんとしてもここで働かなければと思っていたが、月と結婚するなら金銭的な問題は解決する。ここで働く必要もない。店長にもその話はしている。一応デイビッドにもしておこうと思った。
「ねぇ、デイビッド」
「何?」
着替え終わったデイビッドが敷居を開け、出てくる。
「私、辞めるかも」
「え……」
意外な反応だった。もっと大袈裟に悲しむものかと思っていたが、ここまでリアルに落ち込むとは思っていなかった。
「あ、いや……」
思わず言い訳を探してしまう。
「何で? 何かイヤなことでもあった? ボクが何かした?」
「ううん。デイビッドは何もしてないよ。みんなにもよくしてもらった」
「就職?」
「そういうわけでもないんだけど……」
「じゃあ何で?」
こんなに質問攻めされるとは思っていなかった。
「まぁ、落ち着いて」
「おちつけないよ! アサヒがいなくなったら、ボクもここを辞める!」
「え」
まさかそこまでとは。
「デイビッドが辞める必要ないよ」
「アサヒが辞めるなら、ボクもここで働く必要ない」
「えぇ……」
何を言っているのか理解出来ない。困惑した。何でここまで意固地になっているのか――。
「ボクが初めてここで働くことになった時、いろいろ教えてくれたのはアサヒなんだ。アサヒがいないなら、ボクはここを辞める」
確かに新人だったデイビッドを一番世話焼いたのは朝陽だが、それが辞める理由にまでなるだろうか。
「だからってさすがにおおげさだよ」
「おおげさじゃない。ボクはアサヒのことが――好きだから」
「それは知ってるけど――」
「違う」
「え?」
デイビッドはよく朝陽を好きだと言ってくれるが、それは外国人ならではのスキンシップだと思っていた。だが、違うらしい。じゃあ、どういう意味で――。
「ボクはアサヒを一人の女性として好きなんだ」
朝陽の目が見開かれる。思ってもみない言葉だった。
「え……だって、デイビッド、男性が好きって言ってなかった?」
朝陽がデイビッドから元々聞いていた話だと同性愛者だったはずだ。だから、何も気にせずに一人の人間としてデイビッドを好きでいられた。デイビッドもそうだと思っていたから。
「本当はそうだけど、アサヒは特別なんだ。初めて好きになった女の子なんだ」
戸惑っているとデイビッドが朝陽を抱き寄せる。百六十センチ弱の身長は百九十センチの身長にすっぽり収まってしまった。
「せめてアサヒがボクを好きだと言ってくれないと、ボクはここで働けない」
こんなことになるなんて――どうしたらいいのか分からない。
「……むちゃ言わないでよ」
「じゃあ辞めないで」
「そんなこと言ったって……」
これは素直に言うしかない。
「――私、妊娠してるの」
今度はデイビッドが困惑する番。そっと体を離すと、朝陽の顔を覗き込む。
「何?」
「妊娠してるの。だから、近いうちに結婚するの」
信じられないというような顔をしている。
「何で……そんなこと言ってなかったでしょ?」
「店長には伝えてる。他の人には黙ってもらってるの。気をつかうかなって思って」
「いや……そんな……」
心底ショックを受けている。こんな様子を見たことがなかった。デイビッドはいつもハイテンションで明るくて――。
「ごめん、デイビッド――」
「なんちゃって!!」
「――え?」
急にいつものデイビッドに戻って、さらに混乱する。
「ビックリした?」
「……うん」
「ボクだってビックリしたよ」
「それは――」
「謝らないで」
デイビッドは困り眉で笑っていた。
「謝られたら、祝福出来なくなる。せっかく好きな人が結婚するんだから、ちゃんとお祝いしたいんだ」
「デイビッド……」
「ごめんね」
謝らないでと言うデイビッドが謝った。
「好きっていうのは、人として、バイト先の先輩として好きってことだから! ボクが好きなのは男性だからね! さ! 今日も働くぞー!」
そう言いながらデイビッドは売り場へ出て行った。
一人の女性として好きだと言ってくれたのに――だが、デイビッドの気持ちを汲み取る。
「ごめんね」
デイビッドには聞こえないようにつぶやいた。
バイト中もデイビッドはいつも通りに接してくれていた――いや、少し違和感はあったが。
でも、デイビッドがいつも通りに振る舞おうとしてくれていたから気にしないことにした。
シフトを終え、二人並んで帰途に就く。いつもならアニメの話題で持ち切りなのに、今日は無言が多い。上手く話せない。
「朝陽」
そこへ月が迎えに来た。
「お兄さん」
デイビッドが月へ視線を向ける。
「じゃあ、ここで」
「……うん」
朝陽は月の元へ走って行く――。
「え」
デイビッドがその腕を取った。
「――あ」
「何?」
「いや……ごめん」
月の元へ行かせてはいけない気がした。そのまま朝陽が帰って来ない気がしたから。だが、離さなければならない。
「お疲れ様」
「……うん、お疲れ様」
朝陽は月の元へ走って行く。二人の微笑み合う姿を見て、デイビッドは不思議に思った――まるで恋人のような雰囲気だったから。
そんな複雑な想いを抱えたまま、次にシフトが被った時にどう接すればいいのか考えていたが、その後朝陽は出勤することなく、退社した。
