大学では二学期が始まっていた。暦の上では秋だというのに、まだまだ残暑が厳しい。
最近は徐々につわりも落ち着いてきて、以前のように過ごせている。そろそろ安定期に入るだろうと産婦人科の先生も言ってくれた。放課後、向かった先は大学院。もちろん優人に会うためだ。スマホで連絡を取ると、まだ教授がいるから来ないように言われる。大学院へ繋がっている渡り廊下で足を止め、柵に肘をつきながらボーっと生徒が往来する中庭を眺めていると、名前を呼ばれた。
「朝陽!」
声が聞こえた方を見ると、優人が手を振っていた。爽やかな笑顔で走ってくる。
「何してんの?」
「いや、待たせて悪いやん」
「そうじゃなくて、教授と用事があるんでしょ?」
「他の子がな」
「優人じゃないんかい」
「部屋が使われへんから」
なるほど、と呟き、納得する。
「最近勉強頑張ってるやん」
「偉いでしょー」
「偉い偉い」
随分上機嫌なことだ。いつもなら「自分で言うな」とツッコまれるところだ。
「姉さんと何かあった?」
「え」
分かりやすく動揺した。
「い、いや、何も――」
「デートでもこぎつけたか」
黙った。あんなにおしゃべりな優人が。
「分っかりやすぅ~」
優人の腕を指でツンツンすると、身をよじって全身で拒否してくる。それが面白くてしつこくツンツンしてしまった。
「う、うるさい! やめろ!」
優人に手を掴まれて強制終了。一気につまんなくなる。
「いいねぇ、順調で」
「……まぁ、おかげさまで」
「うぜぇー」
「何や。応援してくれとったんやないんか」
「してたよ。でも、実際に上手くいってんのは気に入らない」
「ひねくれてんなぁ」
「おかげさまで」
優人の顔が歪む。ついさっき自分の言った言葉をここまで不快に感じるとは思わなかった。
二人は渡り廊下の柵に背を預けながら並ぶ。
「いいの? 戻らなくて」
「ええねん。俺がおってもおらんでも変わらんから」
「ひねくれてんなぁ」
「ええ加減にせーよ」
軽く朝陽の腕を小突く。
少しの沈黙の後、朝陽がおもむろに口を開く。
「結婚式ってさ――」
「え、結婚!? ついに!? 月さんと!?」
「早とちりしないで。最後まで聞いて」
「あ、はい」
朝陽にジト目で見られてテンションを急速冷凍する。
「結婚するのは美華子さん」
「美華子さんって月さんの幼馴染みやったっけ?」
「そう」
「その人が結婚するんや? よかったやん。ライバルじゃなくなるってことやろ? 安心して月さんと結婚出来るな! ――そういうことか!」
「だから、違う。自己完結しないで最後まで聞いて」
「あ、まだ終わってなかったんや」
恋愛が上手くいっているヤツの脳みそほど理解出来ないものはない。
「結婚式に来ないかって誘われたらしいの」
「誰が?」
「月が」
「誰に?」
「だから、美華子さんに」
「それで?」
「私も一緒に誘われてんの」
「行けばいいやん」
ぶっ飛ばしたくなった。さすがに出来ないので脇腹をグーで殴る。ちょっとビックリしていた。
「何? 行きたいんやったら行けばええし、行きたくないんやったら行かんかったらええやん」
もう一回脇腹をグーで殴る。今度はさっきより強めに。
「何? 怒ってんの? 俺なんか間違ったこと言った?」
「言ってない」
「じゃあ、何で怒ってんの?」
こればかりは仕方がない。乙女心というものは乙女にしか分からないのだから。
「嫌でしょって」
「何で?」
さすがに優人を睨む。小さい声で「ごめん」と謝られた。何で怒っているのかも分からないくせに謝られても。
「もういい」
「不貞腐れんなや~」
「説明したって理解してくんないじゃん」
「理解出来るような説明してくれてないやん」
もう一回優人を睨む。
「えっと、つまり……月さんとお似合いの美華子さんの結婚式に出席するのは嫌ってこと?」
返ってきたのは、無言。それは肯定と受け取った。
「ええやん、別に。もう月さん以外の人と結婚するんやから。結婚式行って、私が月さんと結婚しますって美華子さんに宣言してやればええやん」
「なんか祝福されそうで嫌」
「祝福されるんやったら嬉しいんやないの?」
「何か負けた気がする」
「意味が分からん」
関西人というものはストレートにものを言う。それがいいのか悪いのかは分からないが。呆れる優人を一瞥し、下を向く。
「私だって分かんないよ」
呟いた言葉は、ちゃんと優人にも聞こえていた。
「美華子さんはどういう意図で朝陽を結婚式に呼んだんやろうな」
「そんなの私が知るわけないでしょ」
「朝陽を応援したくて呼んだかもしれへんけど、朝陽はそんな風に受け取れへんもんな」
「応援? 結婚式が何の応援になるの?」
「だから、それがどういう意図なんやろうなってこと」
朝陽は黙って考え込む。考えたところで分からなかったが。
「確かめに行ってみれば?」
「確かめに?」
「実際に結婚式見たら、月さんとの気持ちも固まるかもしれへんし」
「それはない」
きっぱりと言い放つ。
「タダより高い物はないねんで? 行けばええやん」
「ご祝儀があるんだからタダじゃないでしょ」
「あ。じゃあやめとき」
「あのねぇ」
今度は朝陽が呆れる番だった。
「俺やったら行きたくないなら行かへん。行きたかったら行く。今言えるのはこれだけや」
優人が体を反転させて外へ視線を投げる。
「ほら、お迎え」
「え?」
肩を叩かれ、優人の方を見ると、前方を指差していた。その指先を辿る――月がいた。
最近はずっと月が送り迎えをしてくれている。何故だかは分からないが。
「お熱いねぇ」
ニヤニヤする優人にさすがに腹が立った。優人に背を向けて、月の元へ向かうために歩き出す。その歩き方はあきらかに苛立ちを表していた。
