翌日。
月と朝陽は愛子に起こされて朝の八時に起きた。深夜まで起きていたのでだいぶ眠い。働かない頭をなんとか起こし、寝ぼけまなこをこすりながら居間まで来ると、雑煮を差し出された。
「おもちは三つ入ってるから」
「「うん」」
珍しく月と朝陽の返事が被ったので、久史と愛子は顔を見合わせる。
「何? どうしたの?」
「なんか今日は仲がいいな」
二人はニヤニヤしながら話しかけ、二人を交互に見る。
「「え?」」
やっぱり月と朝陽は息ぴったりだ。二人は一時目を合わせたが、恥ずかしくなって視線を逸らす。朝陽は箸を取って雑煮を食べ始めた。
「これ美味しい」
二人の問いには答えず、雑煮の感想だけを言った。久史と愛子は顔を見合わせてから微笑む。
「そう? じゃあ三が日は雑煮にしようかな」
言いながら朝陽の隣に座った。
「えー、さすがに飽きる」
「何よ、美味しいんだったらいいじゃない」
「悪くはないけどよくもない」
「文句ばっかりね」
「すみませんね」
「そんなことより早く食べて、ほら月も」
小競り合いを切り上げ、二人を急かし始める。
「何でそんなに急いでるの?」
「初詣に行くからに決まってるでしょ」
年始にする一番メジャーな行事を忘れてしまっていた。
だが、朝陽には引っかかることがある。
「結は?」
「行けないわよ」
「じゃあどうするの?」
「私も行かない」
なるほど、と言いかけた時、もう一人声を上げた。
「俺も残ろうかな」
「父さんも?」
「もう年だから面倒なんだよ。二人で行って来て」
「二人?」
「朝陽と月君で」
「「え」」
月と朝陽は再び顔を見合わせた。断ろうにも理由が見つからず、考えあぐねていると久史が続ける。
「健康祈願のお守りよろしく」
「あ、私と結のも」
そこに愛子も便乗し、いよいよ断れなくなった。
「……月さんがいいなら」
「俺は、別に……」
「じゃあ決まりね!」
二人とも煮え切らない返事だったが、愛子が強引に押し切った。朝陽はしかめっ面で愛子を見たが、返ってきたのは余裕の笑み。吸った息を全部吐いてから再び雑煮を食べ始める。そんな様子を見ながら月は肩身の狭い思いをしていた。
雑煮を食べ終わって準備をすると、玄関に全員集まる。月と朝陽は靴を履き、久史と愛子はお見送り。結は愛子に抱っこされていた。今は上機嫌なようでニコニコしている。
「いってきまーす」
「いってきます」
朝陽が面倒くさそうな声で言った後玄関の引き戸を開ける。月は一礼してから朝陽の後に続いた。
「いってらっしゃい、気をつけてな」
「ほら、お姉ちゃんたちにいってらっしゃいして」
久史は手を振り、愛子は結に手を振らせる。そんな三人に見送られ、朝陽は不機嫌なまま、月は複雑に思いながら一緒に初詣に出かけた。
「何かごめんね」
「何が?」
家を出て早々月が謝ると、朝陽が見上げてくる。
「俺と二人で初詣って……」
「それはいいの。面倒事を押しつけられたのが嫌なの」
「あ、そういうこと」
自分のせいで怒っているのではないと分かると安心した。
アウターを着こみ、マフラーも手袋もして防寒対策は万全なはずなのに、それでも寒い。息を吐くと、小さな雲のような形が現れては消えた。
ここら辺の地理には詳しくなく、朝陽の背中について行く。
「神社は近いの?」
「歩いて二十分ぐらいかな」
「そっか」
遠いような近いような。
「人ごみとか平気?」
朝陽が一瞬振り向き、訊ねてくる。
「平気、かな。避けることが多いけど」
「そうだよね。これから行く神社、大きい所だからすごく混んでて歩くの大変だと思う」
「歩くのが大変なの?」
「そう。有名で県外からも人が多く来るからなかなか進めないし、参拝するのもお守り買うのも時間がかかるの。数時間は見てね」
「数時間?」
思わず驚きが声に出た。驚いたといっても月は叫ぶようなタイプではない。だが、朝陽にはその驚きが伝わった。
「ね? 嫌でしょ?」
「さすがにね」
朝陽のドヤ顔に笑う。
「近いんだからわざわざ今日じゃなくてもいいのに、なんかこだわりがあるのよね、うちの家は。せめて自分たちで行ってよって思うじゃん?」
「そうだね」
参拝の大変さを知っているからこその不機嫌だったのかと思うと、納得した。
それから、気づく――朝陽と自然に話せている。なんだか嬉しくなった。
「朝陽ちゃんは何か好きなこととかある?」
「何? 急に?」
ちょっと踏み込んだ話をしてみたくなった。
「何かあるのかなって思って」
「好きなこと……思いつかないなぁ。趣味とかないんだよね。月さんは?」
「俺は――今は勉強かな」
「うわぁ……そう言えるのがすごいよ。私には無理」
朝陽は大袈裟に肩をすくめて見せる。
「昨日……というか今日の深夜もそんな話してたよね?」
「まぁ、ね。みんな嫌いじゃん、勉強なんて」
「問題が解けた時は楽しいよ?」
「楽しいなんて思ったことないの」
ちょっと不貞腐れてしまった。続きを話すのに躊躇する。
「でも、ちょっとうらやましい」
「え?」
「楽しい――ではないけど、好きだった時期はあったから。小一とかの話だけどね」
愁いを帯びた横顔にこれ以上踏み込んではいけないような危うさを感じつつも、知りたいと思った。
「どうして好きじゃなくなったの?」
朝陽は足を止めて空を見上げた。月も少し進んだ先で止まり、同じように空を見上げる。澄んだ空気をまとった冬空が悠然と広がっていた。
「母さんが出て行ったから」
呟くように聞こえた声に、その小さな存在を見下ろした。視線は交わることはなく、朝陽はじっと空を見上げ続けている。
「小学生になって勉強が始まったけど、私はあんまり得意じゃなかったの。初めてのテストの時、クラスで一番点数が悪くて、こんなの母さんに見せられないって、帰りながら誤魔化す方法を考えてたんだけどろくなこと思いつかなくて。でも、テストが帰ってくるのを母さんは知ってたから逃げられなかった。テストを見せたら点数を見て、母さんは『初めてのテストでこの点数はすごい!』とか言って、褒めてくれた。普通褒めないじゃん? クラスで一番低い点数なんて。でも、私の母さんは褒めてくれる人だったの。私がどう思ってるか分かってたのかもね。それで何か肩の荷が下りたというか。次はもっと頑張ろうって思えて――母さんに褒められるのが好きで、勉強も好きだった」
朝陽は前を向いて、歩き始める。「そんなくだらない話だよ」と言いながら月の隣を通りすぎて行った。
「素敵なお母さんなんだね」
背後から聞こえた言葉があまりにも不意打ちで、再び足が止まる。目頭が熱くなるのを感じながらもそれを飲み込み、振り返る。
「早く行こう」
朝陽は笑っていた。
「――うん」
月も笑った。
朝陽の隣に並ぶと、小さな声で何か聞こえたような気がした。確かめることはしなかった。自信はないが、聞き間違いでなければ――。
「ありがとう」
