十年前――。

「今日からお世話になります」
「いいよ、そんなに堅苦しくしないで。上がって上がって」
「はい」

 月は大学受験のために冬休みの間有明家に居候することになった。月の家からだと大学が遠く、受験する時に行き来するのが面倒だということが理由だったが、それはこじつけにすぎなかった――ただ、あの家にいたくなかった。
 初めて入った有明家の家は和風な一軒家でマンションとは全くの別物。その雰囲気に圧倒された。日本人として生まれたが故に古風なものには心惹かれるのかもしれない。玄関から廊下を進むと、すぐ右側に居間が見えてくる。小さなテレビと大きな座卓。数枚の座布団の中で異彩を放つ赤ちゃん用の椅子。物珍しそうに見ていると、久史が優しく話しかけてくれる。

「月君の家とは大分違うだろうから、ちょっと落ち着かないかもしれないけど」
「いえ」

 月の家は高層マンションの一室のため、有明家とは真逆だった。

「ちょっと今子どもを寝かしつけてるから愛子いないんだけど、適当に座って待ってて」
「はい」

 いとこの愛子とはたまに連絡を取っており、よき相談相手になってくれている。一回りの年の差があるが、愛子は本当の弟のようにかわいがってくれていた。
 久史が台所へ向かい、お茶を淹れる。月はキャリーケースを壁際に寄せて置き、一番近い場所の座布団に座った。辺りを見回す。居間からは廊下を挟んで小さな中庭が見えた。植物でいっぱいの緑豊かな中庭。視線を上げると小さく切り取られた空が目に入る。雲がのんびりと流れていた。こんなに穏やかな気持ちは久しぶりだ。
 その時、玄関の引き戸が開く音がした。

「あ、朝陽。おかえり」
「ただいま」

 声だけで誰かが帰って来たと分かった。この家には四人が住んでいる。久史は今お茶を淹れてくれていて、愛子は子どもを寝かしつけている。となると、もう一人は――。

「月君来てるから挨拶して」
「あ、今日だっけ?」
「うん。居間にいるから」
「はーい」

 木造の床が軋む音が数回してから声が聞こえてきた。四歳も年下の子に緊張するのはおかしいかもしれないが、初対面となると話は別。

「――こんにちは」

 可愛らしい声がして、その人物を見上げる。セーラー服を身にまとった女子中学生が立っていた。中学生なら緊張するほどじゃない。むしろ向こうが緊張している――ように感じた。警戒かもしれないが。

「こんにちは」

 姿勢を正し、害はないというように笑顔で返す。

「えっと……月、さん?」
「はい。そうです」
「あ、どうも。朝陽、です。まぁ……ごゆっくり」
「ありがとうございます」

 朝陽はぎこちなく礼をして階段を上がり、自分の部屋へ急いだ。そんな背中を見ていると遮るように久史が戻ってくる。

「お待たせ~」

 湯呑が二つ乗ったお盆を持っていた。「よっこらせ」と言いながら月の左斜め前に座ると、湯呑を差し出してくる。

「ごめんね。朝陽、ちょっと人見知りするから。どうぞ」
「いえ。ありがとうございます。いただきます」

 湯呑を持つと、優しい暖かさが手の中に広がった。一口飲むと、ホッと息をつく。そんな様子を見て久史も安堵した。自分の湯呑を取り、空になったお盆を床に置くと、足を崩して座り、お茶を一口。

「うん。悪くないな」

 自画自賛した。

「はい」

 月も同意した。
 その時階段から激しい足音がした。走って誰かが下りてきたようだ。

「月!」

 顔を出したのは愛子だった。

「愛子ちゃん。お邪魔してます」
「いいのいいの。ごめんね、遅くなって。結がなかなか寝なくて」
「大丈夫」

 慌てて月の対面に座った。

「結は寝たのか?」
「朝陽が見てくれてる」

 月と愛子がいとこ同士なのは事前に朝陽にも知らせていたので、気をつかったのだろう。

「迷わなかった? ちょっと分かりにくかったでしょ? 迎えに行きたかったんだけど……」
「こうやって来れてるんだから大丈夫だよ」
「あ、そうね。確かに」

 愛子が心配性なのは昔からだ。安心させると、愛子は肩の力を抜いてペタンと座った。それから顔を上げる。

「これからよろしくね、月」

 続いて久史も声をかけてくれる。

「よろしく、月君」

 有明家の二人に受け入れられて、心が暖かくなった気がした。

「はい。よろしくお願いします」