「ちょっと、朝陽!」
愛子が朝陽の部屋の扉を開けるなり怒鳴る。
「何考えてんの!? 妊娠なんて……本当なの?」
朝陽に結婚の予定はない。それどころか彼氏がいることすら知らない。いや、もっと言うなら恋愛のれの字だって聞いたことがなかった――それは、二人の間に距離があるからかもしれないが。
「本当に決まってるじゃん。エコー写真あるよ、そこに」
朝陽はローテーブルを指差す。その上に一枚の写真があった。しゃがんで手に取る。過去に自分も同じようなものを見たことがあるから分かった。本物のエコー写真だ。一度深呼吸をして少しでも冷静さを取り戻そうとする。
「――誰の子?」
最近朝陽と仲がいい異性は誰かと考えるが、思いつかない。聞いたところで知らない人かもしれない。だが、訊かずにはいられなかった。しかし、返ってきた言葉は――。
「そんなの姉さんに関係ないでしょ」
朝陽は言いながらベッドに寝転がる。冷たい言葉に、冷たい態度。心配しているのがバカらしくなってくる。でも、そんな感情を振り払う。
「関係ないことないでしょ。家族なんだから」
そう、家族だから。姉として妹を心配するのは当然で、母親に関しては自分が先輩だ。気にかけないわけにはいかない。
「姉さんだって未婚の母じゃん。私に誰の子かなんて訊く前に結の父親が誰なのか教えてくれる?」
先程までの勢いはどこへやら。愛子は口をつぐむ。
「ほーら、何も言えない。自分のこと棚に上げないでよね」
ぶっきらぼうな態度に、私の気持ちも知らないで、と少しの苛立ちを覚える。
確かに愛子は未婚の母だが、それだけに妊娠や育児の大変さは知っていた。
「これからどうするの?」
「一人で産んで一人で育てる」
「そんなこと出来るわけないでしょ」
呆れながら吐き捨てる。朝陽はまだ妊娠の大変さも出産の大変さも知らない。だからこんなことが言えるんだ、と。
「分かった。父親が誰なのか言わなくていい。私ももう訊かない」
朝陽のお腹の子どもの父親が誰なのか気にはなるが、その点に関しては確かに自分も苦しくなる。譲歩することにした。
「でも、その人とちゃんと話し合って。一人で育てるのは無理よ」
朝陽は鬱陶しく思う。愛子はいつもこうだ。正論だが、今回ばかりは言いたいことがある。
「じゃあ、姉さんもちゃんと話し合うべきなんじゃない? 結、気にしてたよ。自分の父親が誰なのか」
愛子の子ども――朝陽から見れば姪――結は仲がいい。結は愛子に話せないことを朝陽に吐露していた。
「今はそんな話をしてるんじゃないの」
「へぇ~、結のことはどうでもいいんだ」
「違う。今は朝陽の子どもの話をしてるの」
朝陽は愛子を一瞥してから体の向きを変え、真っ白な壁へ視線を向ける。
「話すことなんて何もないから」
いつもの拒絶に愛子は小さく溜息を吐く。
分かってはいた。朝陽は愛子に対して距離を取っているから素直には話さないと。
――朝陽と愛子は半分しか血が繋がっていない。
愛子は父親の前妻の子で朝陽は後妻の子。つまり、異母姉妹。だからなのか、昔からどこか距離があった。長年一人っ子だった愛子からすれば朝陽の存在はとても大きく、小さい頃はよく気にかけていた。少なくとも幼稚園まではよく一緒に遊んでいた。それが、小学生になると朝陽から距離を取られるようになる。朝陽が勉強をしていたら教えようとしたこともあったし、困っていると感じたら手を差し伸べた。だが、全て断られた。愛子は離れて行く距離にショックを受けたが諦めるしかなかった。
――でも、今回は違う。
「夕飯は?」
「え?」
いつもなら朝陽が拒絶を見せれば引き下がっていた。朝陽は背中越しに愛子を見る。傍らに立って自分を見下ろしていた。心配そうな眼差しで。
「ご飯。体がしんどいのかもしれないけど、ちゃんと食べないと赤ちゃんにだって栄養いかないんだからね」
今度は朝陽が黙る番。さすがに妊娠に関しては愛子が先輩だ。何も言えない。
「食べれそうなものない?」
「……知らない」
また背を向ける。
「じゃあ、適当に買ってくるから、ちょっと待ってて」
「え、買ってくるの? わざわざ?」
また愛子の方へ向き直り、上体を起こす。愛子が扉付近へ移動していた。本当に買い物に行くらしい。もう夜の七時を回っている。皆が夕飯を食べている中、愛子だけ買い物に行かせるのはさすがに申し訳ない。
「一日くらい食べなくても平気だよ」
「何? 文句あるの? お腹の子どもがどうなってもいいの?」
「……よくないです」
そう言われると弱い。さすが姉。よく分かっている。
「じゃあ、待ってて」
「……はい」
愛子はそう言って部屋を出て行った。
昔からそうだ。面倒見がよくて、出来たお姉さん。見た目も美人で、今年四十歳になる割に若く見える。朝陽と違って美容に力を入れているからかもしれないが。
久史が後妻を迎えるまで期間が空いているので二人は十六歳の年の差がある。愛子からすれば年の差のある妹は可愛く思えたが、朝陽からすればどう接していいのか分からなかった。
それが何故なのか――朝陽の中では何故か母親が思い起こされていた。
またベッドに寝転がると、ノックの音が聞こえた。
