ノックの音がして愛子が入ってくる。

「放っておいてって言ったでしょ」
「ご飯ぐらい食べなさいよ」

 また始まった、と思いながらもベッドに横になる。

「しんどい?」
「普通」
「普通だったら食べられるわね」

 返答を間違えた。確実に。
 愛子は買いもの袋からカットフルーツのパックを取り出してはローテーブルの上に並べていく。

「そんなに食べられないから」
「食べられる時に食べられるだけ食べればいいから」

 ああ言えばこう言う。もう何も言うまいと、朝陽は愛子がせっせと並べている様子をじっと見ていた。
 気づく。愛子の表情が明かるい。

「何かあった?」
「え? 何かって?」
「何か嬉しそうじゃん」
「そう?」

 わざとらしくはぐらかす。

「――優人?」
「――さあ?」

 図星だ。
 優人と何があったのかは知らないが嬉しそうということは、いいことだろう。愛子にとっていいことだとしたら、優人の想いも報われる。

「じゃあ、ここ置いておくから食べなさいね」
「はーい」

 並べ終えると、愛子はそそくさと出て行った。時計を見ると、六時すぎだった。夕飯を作らなければならない時間だ。ちょっと申しわけないと思いつつ、ここまでしなくてもいいのに、とも思う。
 今は吐き気が治まっている――もちろん唐突にくることもあるが――食べられる時に少しでも食べておこうと思い、起き上がってローテーブルの前に移動した。
 またノックの音が聞こえる。今度は優人が入ってきた。

「何?」
「何ってなんやねん――って、うわ! すごい量やな」
「でしょ。姉さんが全部食えって」
「全部!? 過保護やなぁ。無理せんとき」
「当たり前じゃん」

 朝陽は目の前のパックを一つ手に取って蓋を開ける。
 優人はローテーブルの対面に座った。

「食べていいよ」
「いや、いい。これから愛子さんの手料理食べるから。腹空かせとく」

 こっちも嬉しそうだ。

「姉さんと何かあった?」
「何かって?」

 じとーっとした目で優人を見ながらフォークの袋を開けた。

「いやぁ……ちょっとご飯に誘ってみてん」

 優人は観念して話始める――いや、話したかったのかもしれない。

「一緒に行ってくれるって?」
「そんなニュアンスだったかもなぁ」
「ふ~ん」

 優人もやられてばかりではない。

「月さん、心配してたで」
「あっそ」

 あまり効果はないのか、カットフルーツを食べ進めていく。
 月との会話を話そうとも思ったが、やめておいた。

「愛子さんの料理手伝ってくるわ! また後で様子見にくるから」

 優人は元気そうな朝陽を見て満足したのか、部屋を出て行った。口をもぐもぐさせながら、首をひねって「分からない」と表現する。
 またノックの音が響いた。優人が戻ってきたのかと思ったが、扉を開けたのは月だった。入れ代わり立ち代わりせわしないことだ。
 視線を外し、そっけなく話しかける。

「何?」
「ちょっと話せないかと思って」
「お腹の子の父親なら月じゃないけど」
「うん。それはいい」
「え?」

 意外な言葉に思わず月へ視線を向けた。じゃあ、何を話したいのか。
 月は朝陽の隣に座って何かを差し出す。

「これ」

 それは真っ白な封筒だった。赤色のリボンの柄がよく映えている。真ん中には、有明月様と名前が書かれていた。

「月宛じゃないの?」
「そうだけど、朝陽も一緒にどうかなって思って。許可はもらってるから」
「一緒にって?」
「中見て」
「……うん」

 いったい何の誘いなんだ、と思いながら封筒からカードを取り出す。折りたたみになっているそれを開くと、結婚式の招待状と書いてあった。思わず月を見上げる。

「誰の?」
「美華子の」

 一瞬ドキッとした――月と美華子の結婚式かと思ったから。
 だが、よく考えれば宛名が月になっている。当事者に招待状を送る必要はない。そう気づくと、肩から力が抜けた。

「――美華子さん結婚するの?」
「うん」
「誰と?」
「カメラマンって言ってたかな」
「そうなんだ……」

 何と言っていいのだろう。月が美華子に取られる心配はなくなったが、だからといって気持ちが変わるわけではない。

「でも、今の体調じゃ無理だよ」
「時期は安定期入るぐらいだと思う」
「え?」

 日付を確認すると月の言う通りだった。

「行こう?」

 体調以外のことだと断る理由が見当たらない。

「……まぁ、行けたら」
「体調が思わしくなかったら無理にとは言わないから」
「うん」

 カードを封筒にしまって、月に返す。

「少しは安心してくれた?」
「え?」
「美華子のこと気にしてたんでしょ?」

 見抜かれていたことが癪に障った。

「してない」
「え? でも――」
「してないから」

 語気が強くなる。
 月としては朝陽を安心させようと思ってしたことだったが、逆効果になってしまった。どうしてこうも空回りしてしまうのか。もしくは、妊娠して余裕がないだけなのか。
 視線を合わさずに朝陽は黙々とカットフルーツを食べ進める。一パック食べ終わったタイミングでその手を取った。

「――食べてるんだけど」
「朝陽と一緒に将来を考えたい」

 動揺が顔に表れる。月からは髪の毛で隠れて見えなかったが。

「こっち見て」
「嫌」

 朝陽は月の反対側へ顔を向けた。どうしても振り向かせたい。

「真剣に考えてるんだ」

 月の声に呼吸の仕方が分からなくなる。自分が固まっているのか、世界が止まっているのか。

「だから、これからもずっと一緒にいたい。兄弟じゃなくて、夫婦として」

 その言葉で我に返る。沸きあがってきたのは怒りの感情。

「――誰が言ってんの」

 その声は月には聞こえなかった。

「え?」

 思いっきり月の手を振り払う。

「出て行って」
「でも――」
「出て行って!!」

 背を向けられて、ここまでか、と諦める。

「――また話そう」

 返答はなかった。月は部屋を出る。扉が閉まる直前まで朝陽を気にしていた。