月は時間を確認する――十五時。
株取引が終わり、背伸びをする。可もなく不可もない。大きな変動がないのはいいのか悪いのか。
気を取り直してパソコンを操作し、今日の夜空を調べる。今夜は月がよく見えそうだ。天体観測をしてもいいかもしれない。月は同じ名前という理由で月が好きだった。月が生まれたのは満月が綺麗な夜だったらしい。あまりにも印象的だったと実母が言っていたことを憶えている。それが名前の由来だと。それからは月を探して毎日のように夜空を見上げるようになった。星が生まれてからは星も好きになった。ネットが使えるようになると、毎日のように今日は月が見えるのか、星が見えるのかと調べるようになって、もっと好きになっていった。嫌なことがあった日でも夜は必ずやってくる。夜空を見上げていると、月や無数の星たちが応援してくれているような気になって元気が出た。
――だが、最近は少し違う。
朝陽が妊娠したと聞いてからずっとソワソワして落ち着かない。
それに月には心当たりがあった――何度も繰り返し思い出す夜があった。
そのことを考えると、朝陽のお腹の子どもの父親は自分なのではないかと思った。だとしたら、一緒に育てていきたいとも思った。だが、きっぱりと否定されてしまった。
少なからず以前の朝陽は好意を持ってくれていると思っていた。でも、最近は――子どもを授かったと分かってからは距離を置かれているような気がする。
月への想いが消えてしまったのか、それとも元々そんなものはなかったのか――だとしたら、あの夜は?
そういう流れになったのは、月からではなく、どちらかといえば朝陽からだった。お互いの気持ちを知っていたからこそそういう流れになったのではなかったのか……。
何度も思い出す。だが、記憶とは曖昧なもので。憶えている通りのことが起こったのか、美化してしまったのか――。
ただ、握った手の感触や体温は憶えている。
様々な考えを巡らすが「父親ではない」と朝陽からきっぱり否定された事実は消えない。結局そこに着地する。その度にバイト先の外国人が脳裏をよぎり、ため息が出た。
スマホの着信が鳴る。愛子からだった。結の体調が悪いと学校から連絡があったらしい。現在は回復しているらしいが、念のため迎えに行ってほしいということだった。了承の旨を返信し、学校へ行く準備をする。パソコンを閉じ、アウターを羽織り、スマホだけ持って家を出た。見上げると綺麗な空色が広がっている。
「昼間に月を見つけられたら得した気分になるよね」
明るい空を見上げる度に思い出す、朝陽の言葉。月は夜だけではなく、昼間にも見えることがあるらしい。それを知った朝陽は昼間でも月を探すようになったと話してくれたことがあった。一緒に空を見上げて探したことを思い出し、しばらく空を眺めていた。今日は見つけられなかった。諦めて学校へ急ぐ。
今日のようなことはたまにある。だから、小学校に行くのも慣れた。結と星がいつも通っている通学路をなぞりながら歩く。月の出身校ではないが、小学校はどこか懐かしさを感じる。小さな門をくぐって校庭にいた先生に声をかけた。結は保健室にいるらしい。場所は知っていたが、先生が案内してくれると言う。その優しさを無下にも出来ず、甘えることにした。先生に連れられて保健室に着くと結がベッドに座っており、その傍らで星も椅子に座っていた。
「あ、月君!」
結が先に気づき、その言葉で星が振り向き、パッと笑顔を輝かせた。
「お兄ちゃん!」
星が走って来て抱きついてくる。優しく頭を撫でた後、結の方へ視線を向けた。
「迎えに来たけど、元気そうだね」
「うん。ママに言われて来てくれたの?」
「そうだよ」
「心配性なのよね~。もう大丈夫って言ったのに~」
大人びた結の発言にはいつも驚かされるが愛らしいとも思う。思わず笑ってしまった。
「私はお兄ちゃんが迎えに来てくれて嬉しいよ!」
星が月を見上げながら無邪気な笑顔で言う。月も笑顔で星の頭をまた撫でた。
結はベッドから下りると先生に挨拶をし、星を呼んで一緒にランドセルを受け取った。
「帰ろう」
「うん!」
結が先導して星がその後を追う。慌てて戻って来た星に手を引かれて、月もその後に続いた。
「朝陽ちゃんはどう?」
「え?」
結の突然の質問に動揺する。
「どうって?」
「今日は学校早退した?」
「いや、してない」
家を出てくる時にいなかったということは、早退していないということ――のはず。質問の意図が分からない。
「じゃあ、帰りに会うかもしれないね!」
「そういうことか」
小学校からの帰り道と朝陽の通っている大学からの帰り道は途中から一緒。だから、たまに合流することがある。結はそれを言っていた。
「あ! 朝陽ちゃん!」
星が前方を指さしながら嬉しそうな声を上げた。結と月もそっちの方を向く。信号の向こうに朝陽の姿を見つけ、胸が高鳴る――だが、それは一瞬だった。
「――え」
月から戸惑いの声が漏れた――朝陽は知らない男と並んで歩いていた。
朝陽と同年代だろうか。考えられるのは大学の友達だが、朝陽は留年しているため同い年の学生はみんな卒業してしまっている。同級生ではないとすれば、後輩と考えるのが妥当――。
「朝陽ちゃーん!」
結が大声で朝陽を呼び、我に返る。朝陽がこちらに気づくと、その男から距離を取った――ように見えた。
距離を取るということは、やましいことがあるということか。だとしたら――彼氏? もしかして、お腹の子どもの父親? いや、バイト先の外国人と親しいと言っていた――じゃあ、誰だ? 考え始めたら止まらなくなってしまった。
「お兄ちゃん」
「え?」
星に手を引かれてやっと我に返る。
信号はもう青に変わっていて、結は走って二人の元へ向かっていた。
「早く行こう!」
「あ、うん」
二人一緒に朝陽の元へ急ぐ。
「朝陽ちゃん、この人だれ?」
結が朝陽に訊ねていた。聞きたいような聞きたくないような――。
「彼氏だよ」
