今日は放課後まで学校にいられたので、優人を待って一緒に帰ることになった。
いつ優人を有明家に招待するか悩んでいたが、優人が出来るだけ早くと熱望したこと、朝陽の体調が比較的いいということから今日になった。
学校の前で待っていると、何人かの男子学生に声をかけられる。いつものことだが鬱陶しいにもほどがある。
大学では何故か朝陽の貞操観念が軽いという不名誉な噂が流れており、それを目当てにしてか、声をかけてくる男子学生がたまにいる。誰が流した噂なのか、いつ流した噂なのかも分からないが同級生だとしたらもう卒業している。犯人を特定することも出来ないし、朝陽一人が否定したところでその噂が払拭されることもなく、打つ手はなかった。とりあえず、声をかけてくる男子学生には無視で対応していた。
だが、今日はしつこいヤツが一人いた。無視していれば五分ぐらいで離れて行くが、その男子学生は十分経っても二十分経っても立ち去る気配がない。ずっと無視しているにもかかわらず。どんなメンタルしてんだと思いつつ、朝陽はスマホでゲームをしていた。
さすがに腹が立ったのか、その男子学生がどんなゲームをしているのかとスマホを覗き込んでくる。
「いい加減にしてよ」
思わず言ってしまった。
朝陽は怒っているにもかかわらず、男子学生は笑顔だった。それがどこか不気味で目を逸らし、またスマホに視線を落とす。男子学生はさらに執拗に絡んできた。一度反応してしまったので調子に乗らせたのかもしれない。厄介なのに目をつけられてしまった、とため息が漏れる。
背を向けるが、さっきよりも距離を詰めてきて体が触れ合う。気持ち悪くて離れると、また距離を詰められる。これの繰り返しが始まった。ただ、拒絶したところで喜ばせるだけだと思ったら怒る気にもなれず。どうしたらいいのかとゲームをしながら良案を模索していたが、朝陽に思いつくわけがない。
その時、その男子学生の手が朝陽の肩を掴み、引き寄せられた。
「ちょっ――」
さすがに怒ろうと振り向いたら男子学生の顔が苦痛に歪んでいた。
「離せ」
男子学生の手を誰かが握って朝陽から引きはがす。こんなことが昔にもあった気がする。その時に助けてくれたのは――。
「――優人」
安堵のような落胆のような声が漏れる。
男子学生は優人の顔を見るなり、その手から逃れ、走り去った。女には強く出れるが、男には弱いタイプだったのかもしれない。
優人はその男子学生を追うことはせず、朝陽を見下げる。
「大丈夫か?」
優人が心配して朝陽の顔を覗き込む。
「――遅い」
「は?」
返ってきたのは意外にも文句だった。
「優人がもっと早く来てたらこんなことになってない」
「何で俺のせいやねん。悪いのはアイツやろ」
いつもの調子で返したが、朝陽の表情には動揺が見え、手も震えていた。
「――悪かった」
何度も同じ目に合っていると知っていたのに油断していた。加えて朝陽は現在妊娠中。以前より精神面も体調面も不安定。素直に申しわけなく思った。
「教授にちょっと捉まってしもうて……どこかで休む?」
「いい。帰る」
「分かった」
一刻も早くこの場を去りたいのだろうと察する。何度も小さく深呼吸をする朝陽に寄り添いながら並んで歩いた――。
「朝陽ちゃーん!」
前方から可愛らしい声が聞こえ、前を向くと信号の向こう側に、結、星、それから月が立っていた。
結と星は笑顔で手を振っているが、月は少し複雑そうな視線を朝陽に向けていた。それに気づき、慌てて優人から離れる。
「どした?」
優人は心配しながら朝陽の顔を覗き込む。
「何でもない」
そう言ってから、朝陽は結と星に手を振り返す。
優人は月を見つけた。
「――誰? 知り合い?」
「まぁ」
過去に優人が泊った時、まだ月は有明家にいなかった。だから月のことは朝陽から聞いた話でしか知らない。
とりあえず礼をしてみると、同じように礼が返ってきた。
信号が変わると結は走って近づいて来て、星も月の手を引きながら結の後を追う。結が一番乗り。
「ぐうぜんだね!」
「そうだね」
結が朝陽を見上げながら嬉しそうに笑う。そんな結の頭を優しく撫でる。
優人は三人が誰なのかと思案しながら、とりあえず愛想笑いをしていた。朝陽が声をかけてくる。
「ねぇ」
「ん?」
「この子――」
次の瞬間、世界が止まった。
「結だよ――姉さんの子ども」
結のことも知ってはいたが、朝陽の話で聞いていただけ。実際に会ったことはなかった。ゆっくりと下を向く。無垢な瞳が自分を見上げていた。
「朝陽ちゃん、この人だれ?」
結の視線がまた朝陽に向かい、当然の疑問を投げかける。その時、月と星も追いついた。
朝陽から発せられたのは――。
「彼氏だよ」
結と星の目の色が変わる。月は驚きながら優人へ視線を送った。
「初めまして。朝陽の彼氏の――」
優人は少し動揺していたのか、朝陽の言葉をそのまま使って結に向かい、自己紹介しようとして、気づく。
「はぁ!?」
人生一、声が出ていたと言っても過言ではないくらいの声量が響く。優人は慌てて否定しようとしたが、朝陽に腕を引っ張られ、強制連行。
「おい! 待て!! 朝陽!?」
「いいから」
「よくないわ!!」
「うるさい」
「すみません」
確かに声は大きくなっていた。
「付き合ってどれくらいなんですか?」
「え? いやぁ……」
小走りで追いついて来た結に質問されて答えを濁す。答えられるわけがない。彼氏ではないのだから。
「結ちゃんに誤解されたやんか」
「いいじゃん、別に」
「だから、よくないやろ」
声量に気をつけながら話すと思ったより小声になってしまう。調整が難しい。
「赤ちゃんのお父さんはお兄さんですか?」
結からの質問が続く。
「え? いやいや――」
「そうかも」
「朝陽!!」
「うるさい」
「すみません――じゃなくて! 誤解されたやんか!」
「いいの」
「何がやねん!!」
「うるさい」
「すみません――ああもう!」
声量の調整が難しい。いや、そこじゃない。何がどうなっているのか優人にも理解が出来なかった。朝陽は何を考えているのだろうかと思案するがさすがに分からない。
「何で朝陽ちゃんと結婚しないんですか?」
「ええ……」
朝陽は何を考えているのか分からない上に、結の遠慮のない質問も止まらない。誤解されたまま有明家へ強制連行され、優人はどうしていいのか分からなくなった。
そんな三人の背中を――朝陽の背中を、星に話しかけられるまで、月はじっと見つめていた。
