「これが、こう?」
「そんなわけないやろ。何回説明したら理解すんねん」

 最近、朝陽は勉強に力を入れ始めた。休み時間に優人を訪ねては復習するようになったが、今までの基盤が出来ていなさすぎて全く理解出来ない。

「むっずぅ~」

 体中から力が抜け、机に突っ伏す。

「どんだけ勉強サボってたん? 大学生何年やってんの? こんなんも出来ひんなら退学してまえ」
「うわぁ、ここぞとばかりに罵ってくるじゃん」
「違う。現実突きつけてんねん」
「それダメージの大きさ同じだからね?」

 そう言いながらノールックで優人の腹を軽く殴り、ダメージを与えようとする。

「やめろ」

 もちろん掴まって終わりだが。

「家では勉強してんの?」
「してない」
「何で?」
「家にいるとつわりがひどくなる」
「何やそれ」
「私に訊かれても分かりません」

 実際学校にいる時と家にいる時とでは、家にいる時がゴミ箱に顔を突っ込んでいることが多い気がする。

「精神的なもんなんかな?」

 優人は何だかんだ真剣に考えてくれている。

「落ち着くもん用意しといたらええんちゃう?」
「何? 落ち着くものって」
「そんなん朝陽の匙加減やろ」
「自分で探せってこと?」
「そういうことやな」
「ぶっとばしていい?」

 そんな余裕があるわけがない。

「分かったって。悪かった。何か……音楽とかええんちゃう?」
「音楽ぅ?」

 優人が必死に考えたのも虚しく、朝陽には刺さらなかったようで思いっきり睨まれた。だが、構わずに話を進める。

「クラシックとか落ち着きそうやし、赤ちゃんにもよさそうやん」
「クラシックねぇ」

 悪くはなさそうだが。あまり乗り気にはならない。

「最近スマホで何でも聴けるやん。それくらいやったら探せるやろ?」
「まぁ、確かに」

 それくらいなら寝ながらでも出来る。考えを改めた。たまには優人もいいことを言う。

「やるやん」
「せやろ」

 エセ関西弁で褒めながら拳を突き出すと、優人も拳を突き出してグータッチ。

「はい。続きやるで」
「えー」

 そう文句を言いながらも朝陽は体を起こし、ノートに向かった。

「ところでさ」
「んー?」

 朝陽は聞いてるのかいないのか、話題を変えようとしているにもかかわらず優人には目もくれない。

「愛子さん、元気?」
「元気なんじゃない? 定期的に姉さんのこと訊いてくるね?」

 優人は過去に有明家に泊ったことがある。その時に愛子とも会っていた。それから気にかけるようになったらしい。

「綺麗な人やんか」
「まぁね」
「ええ人とか出来た?」
「いるわけないじゃん。結と仕事で手いっぱいでしょ。今は私のことまで気にかけてるし」
「あ、そっか……ふーん」

 朝陽は半目を優人に向ける。

「何なわけ?」
「何も?」
「好きなら好きって言えばいいじゃん」
「そ、そんなんじゃないわ!」
「すぐムキになるぅ~。図星の証拠ぉ~。頭の悪い私でも分かるんですけどぉ~」

 優人をここぞとばかりに挑発して、またノートに視線を落とす。

「姉さんに恋人が出来たらちゃんと教えてあげるから。それまで片想い頑張って」
「何で片想いって決めつけんねん」
「何もしないなら片想いで終わるでしょ」

 確かにそれはそうだ。このまま何もせずに終わるのか――それは嫌だと素直に思う。

「何が引っかかってんの?」
「え?」
「年の差?」

 優人は朝陽と同い年。愛子との年の差ももちろん同じ十六歳差。気にならないわけがない。
 だが、それ以上に気になるのは――。

「それとも――結?」

 言葉につまったが、視線だけ朝陽に向けた。

「結か」

 朝陽は確信した。

「自分が父親になれるのかって心配してるんだ?」

 きっすいの関西人でおしゃべりな優人が一分間も口を開かないのは珍しい。それだけ愛子への想いが本気ということだろう。

「デートでもセッティングしてあげようか?」
「え!」

 やっと口を開いた。
 呆れながら振り返ると嬉しそうな顔が目に入り腹が立つ。ついさっきまで気にしていた、結の父親になれるかどうか、という悩みはもう吹っ飛んでいた。

「ま、マジで? 愛子さんとデート出来んの?」

 この表情をどうやったら曇らせることが出来るだろうか、と一瞬思ったが、さすがにいつも世話になっているのでその考えは捨てた。人の幸せを妬ましく思う自分も気に入らなかったから。

「別にうちにきてもいいしね」
「マジ!? 行ってええの!?」
「誰かダメって言ったっけ?」
「いや、言ってない」
「じゃあ、きたら? 最近、私がご飯食べないから一人分余ってるらしいし、代わりに食べてよ」
「マ、ジ、かぁ~」

 鼻息が荒くなってきて気持ち悪い。天を仰いでいるのが腹立たしい。

「やっぱダメ」
「それはないやろ……」