「おはようございます――」
「おはよう!! アサヒ!!」
元気な挨拶が聞こえたかと思うと、思い切り抱きつかれた。拒むことなく背中に手を回す。
「おはよう、デイビッド」
朝陽はコンビニでアルバイトをしている。基本的には大学が終わった後にシフトを入れてもらっていたが、最近は体調のこともあっては入れる時に入れてもらっている。本当は辞めることも考えたが、子どもが生まれたら金がかかる。そのため店長に頼み込んで融通を利かせてもらっていた。
二十歳から働き始めて四年が経つ。一緒に働いていた同級生もいたが、その子は大学卒業と同時に就職し、辞めてしまった。朝陽も本来ならばそうなるはずだったのだが――。
シフトがよくかぶるのはデイビッドという在日アメリカ人。ナチュラルな金髪に碧眼。月よりもさらに高い約二メートルの身長。洋画の中から飛び出してきたかのような彼は、意外にも年下で、大学三年生の二十一歳。
デイビッドは朝陽から離れると、顔を覗き込む。
「アサヒ、体調は大丈夫? 店長から聞いてるよ! 何かあったらボクを頼ってね!」
「うん、ありがとう」
流ちょうな日本語でずっとハイテンションのまま話しかけてくる。気分が落ち込んでいる時でもこのテンションで話しかけられると元気が出てくる。だから、デイビッドが好きだった。礼を言ってから布一枚の仕切りの中で制服に着替え、ロッカーにリュックを入れ、そこについている小さな鏡を見ながら髪をまとめてポニーテールにする。
準備が終わり、布を開けると、デイビッドがタバコをふかしていた。デイビッドは元々喫煙者だから今まではそんなに気にならなかったが、妊娠してから匂いに敏感になってしまったのか、不快に思い、思わず顔をしかめる。副流煙は子どもに影響があるだろうか――。
「じゃあ、行こうか!」
デイビッドは灰皿の中でタバコの火を消すと立ち上がった。
「ああ、うん」
笑顔をつくろう。不快に思っていたことを悟られてはいけない。
「レッツゴー!」
そう言いながら左拳を突き上げ、右手を朝陽の肩に添える。煙草の残り香がどうしても気になって顔を逸らしてしまった。
「アサヒはレジに立っててね! ボクは売り場にいるから! 何かあったら呼んで!」
「分かった、ありがとう」
デイビッドは親指を立ててから、颯爽と売り場へ消えて行った。
レジに立って、客の対応をする。
接客が終わり、アイドルタイムに入ると、変に考え込んでしまう。今はまだバイトとして雇ってもらっているが、このままでいいのだろうか。結を産んでからも愛子は正社員として働いている。シングルマザーになるなら見習うべきなのだろうが、留年している自分が就職するのは厳しいかもしれない。だったらバイトとして雇ってもらえるだけでもありがたい。ここで働き続けるべきなのかも――。
「アサヒ! アサヒ!」
デイビッドに話しかけられて顔を上げる。いつの間にかうつむいていたらしい。
「スマイル!!」
両手の人差し指を頬に添えながらデイビッドがウィンクしてくる。そうだった、バイト中だった。ぎこちない笑顔を作って見せた。
「オッケー!」
満足したのか、また売り場に戻って行く。気持ちを切り替えなければ、とまた笑顔で接客に戻った。気分が悪くなると、デイビッドがフォローしてくれ、バイト中ずっと頼もしかった。おかげで大きなミスもなく終わった。
「ごめんね、迷惑かけて」
今日のシフトは四時間で終わり、二人は次のシフトの人とチェンジして上がった。バックヤードでデイビッドに話しかける。無事に終えられたのはデイビッドのおかげだ。謝罪と礼は必要だと思った。
「気にしないで! こういうの好きなんだ! オタガイサマっていうの!!」
デイビッドの優しさが染みる。自然と笑顔になった。
「助かったよ、ありがとう」
「ノープロブレム! 今度ボクが体調悪かったら助けてね!」
「――もちろん」
「さあ帰ろう!」
「そうだね」
二人並んで店を出る。帰り道が途中まで一緒だから、いつも談笑しながら帰っている。デイビッドは日本のアニメが好きで日本に興味を持ったらしい。最近ではよくある理由だ。だから、談笑の内容はもっぱらアニメ。だが、朝陽はそこまでアニメには詳しくない。知っているのは、結や星が見ているアニメか、子どもの頃に見ていたアニメだけだったが、最近はデイビッドから薦めてもらったアニメを見たりして少しずつアニメの話についていけるようになった。それが楽しくて、二人で帰っている時間が好きだった。
「そういえば、この前アサヒが言っていたアニメを見たよ!」
「え、あれ十年以上前のアニメだよ?」
「DVDを借りたんだ!」
「そういうことか」
逆に朝陽が見ていたアニメをデイビッドが見ることもある。それだったら話せると、いつも以上に盛り上がった。
分かれ道で立ち止まる。朝陽は家の方面へ、デイビッドは駅の方面へと移動する。
「じゃあ、またね、アサヒ」
そう言いながらデイビッドがアサヒを抱きしめる。朝陽もその大きな背中に手を回した。
「うん、またね、デイビッド」
「大好きだよ、アサヒ」
さっきよりも強く抱きしめられた。
「苦しいよ」
嫌な苦しさではないが、このままではつぶれてしまいそうだった。
デイビッドは笑いながら離れ、「バイバイ!」と手を振って駅の方へ向かう。朝陽も「バイバイ」と返しながら手を振った。デイビッドを見送ってから家の方へ歩き始める――。
「朝陽」
目の前に月が立っていた。
「月、何で――」
「迎えに来た」
「……そう」
月の隣を通り、変わらず家へ向かって歩く。朝陽を追いかけ、隣に並んで歩く。月が穴が空きそうなほど朝陽を見ても、視線は帰ってこなかった。
「さっきの人、バイト先の人だよね?」
朝陽のバイト先には何度も行ったことがある。外国人は目立つから覚えていた。
「そうだけど、それが何?」
「いや――何か親しそうだったから」
月は二人が抱き合っていたところを見ていた。
「親しいけど、それが何?」
「え――」
眉間に皺が寄る。
「親しいって?」
「そのままの意味」
「――付き合ってるってこと?」
訊きづらかったが、はっきりさせたいことでもあった。
「別にいいでしょ。そっちだって美華子さんと付き合ってんだから」
「美華子と俺が? 付き合ってないよ」
「はいはい」
訊く耳を持ってもらえない。
「朝陽!」
目の前に立ちふさがると、その足が止まる。
「真面目に――」
「ちょっと疲れてるんだ。体調も悪いかも」
そう言われると弱かった。月が二の句が継げない内に朝陽は横を通りすぎ、家へ急ぐ。
月は振り向いて見たものの、その背中にかける言葉も――かけられる言葉も見つからなかった。
