だから愛は嫌だ~虐げられた令嬢が訳あり英雄王子と偽装婚約して幸せになるまで~

 それから一週間、ディアナは安静に過ごした。
 頭の傷はもう痛くない。しかし、ディアナの父はその間、一度も家に帰ってこなかった。

(ライオネル殿下へのお礼に何を持っていったらいいのか、お父様にお聞きしたかったけど……)

 これ以上、お礼を遅らせるわけにはいかない。

 ディアナは、父を待つのをやめて、母に尋ねることにした。

 母とは、毎朝時間を合わせて朝食をとっている。今日もいつも通り食堂に現れた母と、ディアナは静かな食事を始めた。

 一通り食事終えたころ、ディアナは母に話しかける。

「お母様。ライオネル殿下へお礼をしたいのですが、何を贈ったらいいのでしょうか?」

 母は「ライオネル殿下?」と不思議そうに小首をかしげた。

「はい。先日、夜会でケガをしたとき、ライオネル殿下に助けていただいたのです。後日、お礼に伺う約束をしました」

 母が手に持っていたナイフを落としたせいで、カチャンと音が鳴る。

「ダメよ」
「え?」
「ライオネル殿下は、残虐王子と呼ばれているでしょう? 仮面で醜い傷を隠しているという話よ。何をされるか分かったものじゃないわ。そんな恐ろしい方に近づいてはダメ」
「でも……。助けていただいたのです」

 母は無言で首を振った。これ以上、話を続ける気はないようだ。母から出てきた灰色の蝶が、また『不安だわ』と囁いている。

(お母様が不安になる気持ちも分かるわ。私も殿下にお会いするまでは、恐ろしい方だと思っていたから)

 しかし、実際に会ったライオネルの印象はまったく違っていた。

(私は、ライオネル殿下に改めてお礼がしたいわ。それに、ロバート様と婚約破棄するために、新しい婚約者候補を紹介もしてほしい……)

 母の灰色の蝶が『不安だわ、不安だわ』と繰り返している。

(こうなったら、お母様に内緒で行動するしかないわね)

 母と別れ食堂から出たディアナは、厨房へと足を運んだ。

 ディアナ達の朝食が終った厨房は、どこかのんびりしている。そこにひょこっと顔を出したディアナを見て、付き合いの長い料理長が微笑んだ。

「ディアナお嬢様、デザートのおかわりですか?」

 料理長のジョンは、ディアナが幼いころにデザートのおかわりほしさに、厨房まで来たことを今でも昨日のことのように話す。

 『可愛い』と囁く白い蝶を飛ばしながら、恰幅のいい男性がお腹を揺らしている。ディアナの頬は赤く染まった。

「ジョン。もうそのことは忘れて、恥ずかしいわ」
「では、今日はなんのご用で?」
「実は、騎士団を持つ高貴な方にお礼をしたいのだけど、何がいいかしら?」

 少しも迷うことなくジョンは「そりゃ、酒でしょうね」と言い切った。

「高貴な方なら、すでになんでも持っているでしょうから、その方ではなく騎士団に酒や肉を差し入れてお礼をするのが喜ばれると思いますよ」
「なるほど……。手配をお願いできるかしら?」
「もちろんです」
「送り先は、第二王子ライオネル殿下の騎士団よ」

 名前を聞いたジョンの目が、大きく見開かれた。

「ライオネル殿下っていえば、戦を勝利に導いた英雄様じゃないですか! お嬢様、いつの間にご縁が?」
「先日、助けていただいたの」
「それは、それは」
「いいお酒とお肉をお願いね。お父様には私から伝えておくわ」
「分かりました」

 厨房をあとにしたディアナは、父への伝言をしたためて執事へと手渡した。

(お父様は家にいない分、好きにお金を使わせてくれるから、これで問題ないわよね)

 ジョンが大急ぎで準備してくれたようで、二日後には騎士団に酒と肉を差し入れすることができた。

 そして、それを受け取ったライオネルから、お礼と共に王宮に来るように手紙が届いたのが今日。

 失礼がないように身支度を整えてから、ディアナは馬車に乗り込んだ。

(どうか、殿下の騎士団員の中に、ロバート様より好条件な婚約者がいますように)

 そう祈っているうちに、ディアナを乗せた馬車は王宮にたどり着いた。

 馬車の扉を開けてくれたのは、前にお世話になった女性騎士のカーラだ。

「ディアナ様、お待ちしておりました! どうぞ、こちらへ!」

 満面の笑みに圧倒されながら、王宮内の客室に案内される。

「こちらでお待ちください! すぐにライオネル殿下をお呼びしてきます」

 そう言いながらカーラが部屋から出ようと扉を開けると、そこにはライオネルが立っていた。

「殿下!? 今から呼びに行こうかと!」
「早すぎたか?」
「いえ、問題ありません!」

 ビシッと敬礼したカーラは「どうぞ」とライオネルを室内に招き入れた。全身黒い服で身を包むライオネルは、相変わらず黒い仮面をつけて顔を隠している。

 ソファーから立ち上がったディアナは、淑女の礼をとった。

「第二王子殿下にご挨拶を申し上げます」
「楽にしてくれ」
「はい」

 ソファーに向かい合わせに座ったライオネルは、ディアナをまっすぐ見つめている。ディアナは、その澄んだ青い瞳を見つめ返した。

「先日は、助けてくださりありがとうございました」
「いや、それは気にしなくていい。こちらこそ、酒と肉の差し入れ感謝する。皆、喜んでいた」
「良かったです」

 ホッと胸を撫で下ろし、笑みを浮かべるディアナの頭上に、ヒラヒラとピンク色の花びらが数枚落ちてくる。

(また幻覚の花びらだわ。いったいこれにはなんの意味が?)

 ディアナが不思議に思っていると、ライオネルから出てきた白い蝶がはっきりとこう言った。

 ――可愛い。