向かいの席に座っているカーラから出てきた蝶は『許せない』と憤っている。グレッグもディアナに報告しながら、同じような蝶を飛ばしていた。
そこで、ディアナはふとアレスの蝶を見ていないことに気がついた。
(確か、王太子殿下は見える者同士は、蝶が見えないって言っていたわね……。まさか、アレスも頭から血を流したことがあるの!?)
ディアナは眠っているアレスを起こさないように、そっと金髪をかき分けて傷を探した。しかし、どこにも傷は見当たらない。
(良かった……。ひどい暴力を受けていたわけではなさそうね)
ホッと胸を撫で下ろす。
(たまたま蝶を見れなかっただけなのかしら? それとも、子どもは蝶を飛ばさないとか? うーん、まだまだ謎が多いわね)
それよりも、今はまずアレスをどうするかだ。
(お母様は、アレスを受け入れてくれるかしら……)
もし、母がアレスを拒絶しても、ディアナはあの家に帰すつもりはなかった。しかし、無理強いして母を悲しませるつもりもない。
(アレスもお母様も幸せになれる方法を考えないと)
ディアナは、カーラの隣りに座っているグレッグに話しかけた。
「アレスをバデリー伯爵家の養子にするにはどうしたらいいかしら?」
グレッグは指を二本立てる。
「我が国では、養子を迎えるには二種類の方法があります。ひとつは、実の親子との関係を続けながら、養子になる方法」
これは貴族が、本家に跡取りがおらず、分家に優秀な子どもがいたときによく使う方法だそうだ。
「もうひとつは、まさに今の状況ですね。貴族が平民との間に子どもを作り、その子どもを貴族側が養子にするときは、実の親との関係を断ち切ってから養子に入ります」
その場合、実の親の同意がいるそうだ。
アレスの場合は、勝手に連れてきてしまったので、このまま養子に迎えることはできないらしい。
ディアナが「お父様は、アレスと一緒に愛人もバデリー家に入れるつもりだから、縁を切ることに同意しないでしょうね」と呟くと、グレッグは「ですね」と頷く。
「しかしながら、実の親が子どもを育てるに値しない人間であることを証明できれば、保護という名目で実の親の同意なく養子に迎え入れることができます」
「それなら、簡単にできそうね」
今日少し調べただけで、ベラがアレスをどう扱っていたかの証言がたくさん出てきている。
そうしているうちに、バデリー伯爵家の本邸の前で、馬車がゆっくりと停まった。
ディアナはまだ眠っているアレスをカーラに預けて、先に馬車から降りた。
(アレスを養子にできるのなら、すべてを解決できるいい方法があるわ。お母様がそれを納得できるかは分からないけど)
母はエントランスホールで、ディアナを出迎えてくれた。ディアナは、『不安』と囁く蝶を飛ばしている母に微笑みかける。
「お部屋で休んでいるのかと思っていました」
「少し寝たら元気になったわ。それで、愛人の家はどうだったの?」
ディアナは、慎重に言葉を選んだ。
「その件ですが……。とてもいい解決方法を思いつきました。仕事をしないお父様を当主の座から追い出し、かつ、お母様がバデリー伯爵夫人のまま、この家で過ごせる方法です」
母の目がギラリと光る。
「いいわね。詳しく話してくれる?」
「はい。以前お母様は、私が男の子を二人産んで、その一人にあとを継がせようと言っていましたが、それでは対応が遅すぎてお父様のいいようにされてしまいます」
「じゃあ、どうすればいいの?」
「落ち着いて聞いてほしいのですが、実は……」
ディアナは、愛人の子であるアレスが、実の母から虐待を受けていることを伝えた。
「なんてことを」と呟いた母の顔は怒りで強張っている。
「そんな可哀想なアレスを養子に迎えて、当主を継いでもらうのはどうでしょうか? もちろん、アレスが成人するまでは私が当主代理として仕事をします」
母の口がポカンと開いた。
「愛人の子を当主にですって? そんなこと、許せるわけないじゃない!」
「そうでしょうか? 父が愛人と共にアレスをこの家に連れ込む前に、保護の名目で養子として迎えれば、愛人を家に入れなくて済みますよ」
「そ、そうだけど……」
しばらく考えていた母は「そうか、そうね。アレスを当主にしたら、あの人を逆にこの家から追い出すことだってできるのね」と暗い笑みを浮かべる。
ディアナが「ひとまず、アレスに会っていただきたいのですが」と伝えると、母は「分かったわ」とため息をついた。
「生意気な子だったら、受け入れられないわよ」
「それは大丈夫だと思います」
母と二人で馬車に向かうと、ちょうど起きたアレスがカーラに抱きかかえられながら、馬車から降りてきたところだった。
大粒の涙を浮かべていたアレスは、ディアナを見つけたとたんに、暴れてカーラの腕から降りた。そして、そのまま駆け寄ってくる。
「お姉ちゃん!」
ディアナのスカートにぎゅっとしがみついたアレスは「置いてかないで」と泣きじゃくった。
「ごめんね。もう置いていかないわ」
ディアナがアレスの髪を撫でると、アレスは「本当?」と言いながら顔を上げた。そして、ディアナの後ろに立っていたディアナの母を見て目を大きく見開く。
「お母さん……? じゃない。僕のお母さんに似ているけど、お母さんよりずっときれい。お姫様みたい」
キラキラお目めのアレスに褒められた母は、まんざらでもなさそうな顔をしている。そして、ディアナにこう囁いた。
「アレスが成人したら、令嬢達から熱い視線を送られちゃうわね。お嫁さん選びには苦労しなさそうだわ」
もうすっかりアレスを養子に迎える気満々の母に、ディアナは苦笑した。
そこで、ディアナはふとアレスの蝶を見ていないことに気がついた。
(確か、王太子殿下は見える者同士は、蝶が見えないって言っていたわね……。まさか、アレスも頭から血を流したことがあるの!?)
ディアナは眠っているアレスを起こさないように、そっと金髪をかき分けて傷を探した。しかし、どこにも傷は見当たらない。
(良かった……。ひどい暴力を受けていたわけではなさそうね)
ホッと胸を撫で下ろす。
(たまたま蝶を見れなかっただけなのかしら? それとも、子どもは蝶を飛ばさないとか? うーん、まだまだ謎が多いわね)
それよりも、今はまずアレスをどうするかだ。
(お母様は、アレスを受け入れてくれるかしら……)
もし、母がアレスを拒絶しても、ディアナはあの家に帰すつもりはなかった。しかし、無理強いして母を悲しませるつもりもない。
(アレスもお母様も幸せになれる方法を考えないと)
ディアナは、カーラの隣りに座っているグレッグに話しかけた。
「アレスをバデリー伯爵家の養子にするにはどうしたらいいかしら?」
グレッグは指を二本立てる。
「我が国では、養子を迎えるには二種類の方法があります。ひとつは、実の親子との関係を続けながら、養子になる方法」
これは貴族が、本家に跡取りがおらず、分家に優秀な子どもがいたときによく使う方法だそうだ。
「もうひとつは、まさに今の状況ですね。貴族が平民との間に子どもを作り、その子どもを貴族側が養子にするときは、実の親との関係を断ち切ってから養子に入ります」
その場合、実の親の同意がいるそうだ。
アレスの場合は、勝手に連れてきてしまったので、このまま養子に迎えることはできないらしい。
ディアナが「お父様は、アレスと一緒に愛人もバデリー家に入れるつもりだから、縁を切ることに同意しないでしょうね」と呟くと、グレッグは「ですね」と頷く。
「しかしながら、実の親が子どもを育てるに値しない人間であることを証明できれば、保護という名目で実の親の同意なく養子に迎え入れることができます」
「それなら、簡単にできそうね」
今日少し調べただけで、ベラがアレスをどう扱っていたかの証言がたくさん出てきている。
そうしているうちに、バデリー伯爵家の本邸の前で、馬車がゆっくりと停まった。
ディアナはまだ眠っているアレスをカーラに預けて、先に馬車から降りた。
(アレスを養子にできるのなら、すべてを解決できるいい方法があるわ。お母様がそれを納得できるかは分からないけど)
母はエントランスホールで、ディアナを出迎えてくれた。ディアナは、『不安』と囁く蝶を飛ばしている母に微笑みかける。
「お部屋で休んでいるのかと思っていました」
「少し寝たら元気になったわ。それで、愛人の家はどうだったの?」
ディアナは、慎重に言葉を選んだ。
「その件ですが……。とてもいい解決方法を思いつきました。仕事をしないお父様を当主の座から追い出し、かつ、お母様がバデリー伯爵夫人のまま、この家で過ごせる方法です」
母の目がギラリと光る。
「いいわね。詳しく話してくれる?」
「はい。以前お母様は、私が男の子を二人産んで、その一人にあとを継がせようと言っていましたが、それでは対応が遅すぎてお父様のいいようにされてしまいます」
「じゃあ、どうすればいいの?」
「落ち着いて聞いてほしいのですが、実は……」
ディアナは、愛人の子であるアレスが、実の母から虐待を受けていることを伝えた。
「なんてことを」と呟いた母の顔は怒りで強張っている。
「そんな可哀想なアレスを養子に迎えて、当主を継いでもらうのはどうでしょうか? もちろん、アレスが成人するまでは私が当主代理として仕事をします」
母の口がポカンと開いた。
「愛人の子を当主にですって? そんなこと、許せるわけないじゃない!」
「そうでしょうか? 父が愛人と共にアレスをこの家に連れ込む前に、保護の名目で養子として迎えれば、愛人を家に入れなくて済みますよ」
「そ、そうだけど……」
しばらく考えていた母は「そうか、そうね。アレスを当主にしたら、あの人を逆にこの家から追い出すことだってできるのね」と暗い笑みを浮かべる。
ディアナが「ひとまず、アレスに会っていただきたいのですが」と伝えると、母は「分かったわ」とため息をついた。
「生意気な子だったら、受け入れられないわよ」
「それは大丈夫だと思います」
母と二人で馬車に向かうと、ちょうど起きたアレスがカーラに抱きかかえられながら、馬車から降りてきたところだった。
大粒の涙を浮かべていたアレスは、ディアナを見つけたとたんに、暴れてカーラの腕から降りた。そして、そのまま駆け寄ってくる。
「お姉ちゃん!」
ディアナのスカートにぎゅっとしがみついたアレスは「置いてかないで」と泣きじゃくった。
「ごめんね。もう置いていかないわ」
ディアナがアレスの髪を撫でると、アレスは「本当?」と言いながら顔を上げた。そして、ディアナの後ろに立っていたディアナの母を見て目を大きく見開く。
「お母さん……? じゃない。僕のお母さんに似ているけど、お母さんよりずっときれい。お姫様みたい」
キラキラお目めのアレスに褒められた母は、まんざらでもなさそうな顔をしている。そして、ディアナにこう囁いた。
「アレスが成人したら、令嬢達から熱い視線を送られちゃうわね。お嫁さん選びには苦労しなさそうだわ」
もうすっかりアレスを養子に迎える気満々の母に、ディアナは苦笑した。


