ライオネルの言葉は、ディアナの心に静かに広がっていく。

「私でいいのではなく……?」
「むしろ、俺はあなた以外、無理だと思う。戦地から戻り兄の頼みで夜会に出たものの、視線がまともに合った貴族はあなただけだった」
「私だけ?」
「ああ、老若男女問わず全員に視線をそらされた。よほど、この仮面姿が恐ろしいらしい」

 そう言いながら、ライオネルは身に着けている仮面を指さす。

「それは……なんというか……」

 ディアナは『仮面を恐れているのではなく、殿下が陰で残虐王子と噂されているせいでは?』と思ったが、不敬すぎて口にできない。

 反応に困るディアナに、ライオネルは「いつものことだ。気にするな」と淡々としている。ライオネルの蝶は、何も言わないので本当に気にしていないようだ。

「殿下の事情をお話しくださり、ありがとうございます。おかげで納得できました」

 ロバートとは協力できなかったが、ライオネルとは協力できそうだ。ロバートとの婚約解消に希望が見えたことで、ディアナの表情は自然と明るくなっていく。

「では、私はこのお話を一度持ち帰って、父と相談を……」

 そのとたんに、ライオネルの蝶が『ダメだ!』と叫んだ。

(えっ!? 何がダメなの?)

 ライオネルの威圧感にディアナが圧倒されているうちに、ライオネルは控えていたカーラを手招きした。

 なんらかの指示を受けたカーラが、紙と羽ペンを持って戻ってくると、それを受け取ったライオネルは黙々と手を動かす。

「ディアナ嬢。俺とこの場で今すぐに、契約を交わさないか? 決して悪いようにはしない」

 そう言いながらテーブルの上に置かれた紙には、箇条書きの条件が並んでいた。

 ディアナは、紙を受け取るとザッと目を通す。

 要約すると「お互いの目的のために婚約し協力すること。そして、目的が達成されたあと、ディアナは自由にしていい」的なことが書かれている。

「契約婚約ということですか?」

 ディアナの問いに、ライオネルは「そうだ」と頷く。

「俺ならあなたとロバート卿の婚約を、円満に解消することができる」

 それは魅力的な言葉だったが、やはり当主の意見なく進めるわけにはいかない。

「私もぜひお願いしたいです」
「では!」
「ですが、父に相談なく進めるわけには……。ライオネル殿下との婚約なら、父も大喜びしますよ」
「バデリー伯爵が、俺のような醜い男との婚約を認めるとは思えないが仕方ない。あなたの意志を尊重しよう」

 ソファーから立ち上がったディアナを、ライオネルは馬車までエスコートしてくれた。「困ったことがあれば、いつでも俺を頼ってくれ」とまで言ってくれる。

(私以外に婚約者候補がいないと言っていたし、殿下は望まない結婚を避けるために必死なのだわ。私と同じ……。それに、自分を醜いだなんて……)

 もしかしたら、ディアナがロバートに貶されてきたように、ライオネルも心無い誰かに外見を貶められてきたのかもしれない。

 ライオネルの手を借りながら馬車に乗り込んだディアナは、その手が離れる前にライオネルの瞳を覗き込んだ。

「殿下は醜くありませんよ」

(そして、きっと私もロバート様が言うほど、ひどくはないはず)

 確かにディアナは、元専属メイドのエレンに騙されて、これまで似合わない服を着ていたかもしれない。

 しかし、だからといって、自分は婚約者にため息ばかりつかれて、怒鳴られなければならないような存在だとは思いたくなかった。

『醜くありませんよ』と言う言葉は、ライオネルのために言ったのか、自分自身のために言ったのか分からない。それでも、ライオネルの蝶が『嬉しい』と囁いてくれたので、ディアナは『言って良かった』と微笑んだ。

 馬車の扉が締められ、ゆっくりと進みだした。一人きりになったディアナは、これからのことに想いを馳せる。

(お父様は、王族と縁ができることを喜んでくださるはず)

 ライオネルは、父の目的である『良い血筋と縁を持つこと』という条件を満たしている。それも、これ以上にない貴い血筋の王族と縁ができるのだ。断る理由がない。

(問題はお母様よね。私がライオネル殿下にお礼をしたいと伝えただけで、不安になっていたもの。婚約すると分かったら、きっと倒れてしまうわ)

 そもそもディアナの母は、端整な顔立ちのロバートをとても気に入っている。それにロバートも、さすがにディアナの両親の前で一人娘を見下すような発言はしてこなかった。

(まずは、お母様にロバート様のこれまでのひどい言動を説明して、それからライオネル殿下が噂のような怖い方ではないと……)

 ふと、先ほど聞いたライオネルの言葉がよみがえる。

 ――誰でもいいのなら、俺はあなたがいい。

(殿下は、私がいいと思ってくださっている……)

 それが契約婚約の相手に選ばれただけだとしても、ディアナは嬉しかった。

 皆に怖がられているライオネルが、ケガの心配してくれたり、緊張したりすることを知っているのも、自分だけかもしれないと思うと口元が緩んでしまう。

(殿下はご自身の外見に問題があるとおっしゃっていたけど、仮面をつけていても私は少しも気にならないわ)

 とても失礼な話だが、仮面をつけていないロバートのほうが、ディアナにとってはなぜか耐え難い存在になっていた。