私は‪✕‬‪✕‬を知らないⅡ

何を演奏するのか横目で見ていれば静かに演奏を始める女。


次々に紡がれる音に私自身の耳を疑った。


「まさか────、」


英雄ポロネーズ・・・?


和音が多く、手が小さい演奏者をふるいにかける曲。経験者だって楽譜を見て愕然とするのに。


中間部の左手が同じ伴奏型を繰り返すところなんて、ピアニストにとってもっとも難しいテクニックが要求されるよ?


楽譜通りに弾く事が難しいのはもちろん、クラシックは演奏者によって雰囲気が変わるのが醍醐味。この女は原曲を忠実になぞらえながらも力強い演奏で華やかさを演出していた。


信じられないのはそれだけじゃない。


この女楽譜なんてないじゃないっ・・・!





揺れる艶やかな黒い髪、なぞるように音を紡ぐ動作。


苛立って仕方ないのに、その全てで魅了されて目を離す事ができない。


いいえ、許されないという言葉が正しいわね。


こうなることが予め分かっていたように、こちらを気にする素振りなんて一つも見せずに彼女は己の世界に籠り演奏を続ける。


私達聴衆は邪魔をする事は許されず、ただ黙って見ることしかできない。


陰影や憂いが漂う旋律があるこの曲を誕生日を祝うこの場で演奏するなんて、曲選びのセンスもないじゃない。